m2_ozehiuchigatakem2_fujisunrise_m








2016年09月05日

楽しかった色々なこと(7月−9月)♪

ブログを更新していないので、何人ものお友達からメールをいただきました。
ご心配いただきありがとうございます!
元気そのもので、楽しいことがいっぱいありました。
楽しかった思い出の写真を少し、下の方に貼り付けます♪

更新できなかった理由:
iPhoneのicloud不調により画像をPCに同期するのが非常に困難なこと、
iPhone内に画像がたまり過ぎて、本体の「storage不足」状態が続いていること、
そうこうするうち、書きたい新しい出来事が次から次へと増えていくので、
処理しきれなくなったこと、
facebookならそれらの苦労がないので、専らfacebookをやっていたこと、etc.

この夏に行なった主なイベントは、
南木曽から妻籠・馬篭・妻籠の中山道往復ハイキング、
恵那の岩村城址ハイキング、
名古屋の秀吉・清正資料館と名古屋能楽堂、
アメリカやドイツの団体との長めのツアー、
イタリアから来日した友達との炎天下の多摩ウォーキング、
『吾妻鏡』勉強会、
能装束の虫干し見学会、
金春流・観世流合同の能楽イベント、
砂川闘争に関する展覧会と映画、
長唄三味線の浴衣会、

そして、またドイツの団体との長めのツアーを昨日関西空港で終了し、
帰り道に、伏見の稲荷山に登って、豊橋の吉田城址で吉田文楽と薪能を観て、
今朝未明に帰ってきました。

長唄三味線の浴衣会
浴衣であっても、袋帯に帯締・帯揚、そして足袋と草履です。

yukataobi


























ドイツの団体と諏訪の旅館で

tour


















妻籠から馬篭峠に到着。
ここから先、馬篭宿まで歩き、ピストンして大妻籠の旅館に宿泊。

magome pass




















馬篭宿からの恵那山の眺めは最高!

mt ena





























岩村城址。
岩村駅から15分ほど歩いた後、城址は山頂にあるので、登りが大変。

iwamura





















武田修能館で行なわれた能装束の虫干し見学に参加。

nocostume



















金春流と観世流の合同での能楽イベントにも参加♪
facebook友達の能楽師さん達にお会いできました☆

konparukanze




















府中市美術館で行なわれた、砂川闘争に取材した郷土の画家の作品展、
「燃える東京・多摩 画家・新海覚雄の軌跡」を見に行き、
砂川事件を描いたドキュメンタリー映画を見ました。

sunagawa


























昨日の朝は、関空で仕事が終わると、その足で京都の伏見に立ち寄り、
稲荷山に登りました。

fushimiinariyama


























稲荷山の後、京都から新幹線で豊橋に行き、
吉田城址での吉田文楽と薪能を鑑賞。

yoshidabunraku


























吉田城址への夜道を照らすのは、豊橋にある東海道二川宿の灯篭。
いつかまた三河へ行けたら、二川宿に寄ってみたいです。

二川宿


























最後までお読みいただき、ありがとうございます!
よろしければ、1日1回、下記のいずれかのバナーをクリックしていただけると、
励みになり、とっても嬉しいです☆

にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へにほんブログ村 子育てブログ 大学生以上の子へにほんブログ村 アウトドアブログ ハイキングへ  

Posted by MIKO at

2016年01月22日

桑名ミニサイクリング-2(木曽三川・旧東海道・三八市)

昨年11月末、桑名・岐阜・名古屋の家族旅行、その2。

六華苑を後にして、近くの揖斐川へ。
いわゆる木曽三川(木曽川、長良川、揖斐川)のひとつです。

画像手前の揖斐川と隣りの長良川の合流部に位置する長良川河口堰。
奥は木曽川の河口。
(空撮画像はWikipediaからお借りしました)

kisosansen


















治水・利水の観点から(?)計画されたものの、長良川の生態系や漁業への
悪影響が懸念されたことから、国民の税金を使った公共事業のあり方や、
河川管理のあり方について、霞が関を相手どった大論争となった、長良川河口堰。

六華苑から徒歩1分の揖斐川河口より撮影。

8nagaragawa_kakouzeki


















このあたりは、1959年(昭和34年)9月26日の伊勢湾台風で
甚大な被害を受けました。
今では多度に住む親戚も当時は桑名に住んでいて、実質、家を失いました。

話は変わり、輪中と呼ばれる、洪水から守るために周囲を堤防で囲んだ集落が、
ここから目と鼻の先にあるはずです。

地理が好きな息子は是非とも輪中に行ってみたかったのですが、
時間がなかったことに加えて、そこへ行く術がすぐには思い当たらず、断念。

7nagaragawa_cycling



















さて、ここには、旧東海道の中で唯一の海路であった七里の渡し場跡があります。
名古屋の熱田宿とここ桑名宿を結ぶ伊勢湾の船旅は3時間を要したとのことです。

伊勢国東の玄関口である七里の渡し場には、伊勢神宮への第一の鳥居があり、
伊勢神宮の20年ごとの式年遷宮では伊勢神宮の宇治橋を移して建て替えられます。

9shichirinowatashi


















旧東海道、桑名宿にある、老舗の料亭「船津屋」。
木曽三川方面の展望が得られる2階の座敷がお勧めです。
って、貧乏旅行の自分たち親子には無理。
昔、父の一周忌の法事で使いました。

明治の文豪、泉鏡花がこの船津屋に滞在して『歌行燈』を書きました。
志賀直哉や川端康成も滞在したそうです。

funazuya



















船津屋の塀に掛けられた泉鏡花『歌行燈』に関する説明。

izumikyoka


















そして、近くに、『歌行燈』のモデルとなった、うどん屋「歌行燈」。

10utaandon




























さあ、そろそろ名古屋に行かなくてはなりません。
桑名城の城跡である九華公園を横目に、駅へと走ります。

ところで、桑名藩主の松平定敬は会津藩の京都守護職松平容保の実弟であり、
桑名城には伊勢桑名藩の藩庁が置かれていたため、お城は戊辰戦争で無血開城。
明治政府軍により破壊され、石垣の一部が四日市港の防波堤に利用されたとか。

また鋳物、鉄工、機械工具、木綿紡績など、軍需関連工場を擁した桑名は、
太平洋戦争中には空襲の標的となって破壊されました。

女学校の生徒だった私の母は、軍人さんの服を修繕するため学徒動員され、
空襲で生家を丸焼きにされ、大貝須の農家に疎開したそうです。

こうしたたかだか150年ほどの新しい歴史の中で、多くの貴重なものを
失ってしまったので、本当の古き良きものは残念ながらあまり残っていません。
でも、昔の掘割を再生したりと、さまざまな努力がなされているようです。

さて、回った順序とは逆になりましたが、朝に寄った駅近くのアーケード。
なかなか情緒があり、なつかしい雰囲気がします。

美味しいものが、たくさん、たくさ〜んあります♪
鬼まんじゅう、大判焼き、自家製ういろう、醤油が香ばしい串団子など、
もう、誘惑に負けそう!!

もちろん、焼きハマグリもありますよ〜!
生姜の香りがただよう自家製のアサリやシジミのしぐれもあります。

「三八」と言って、3と8のつく日の9時から13時ごろまで開かれているそうです。

11kuwana38

























アーケードは、お堀に沿った遊歩道と並行して走っています。
このお堀沿いの道がまたなかなか良いのです。
春には河津桜が咲きほこるとか。

息子が、今回のミニサイクリングにより、自分の中の、桑名に対して
いだいていたイメージが変わった、と言ってくれました。
そう言ってもらえて、本当にうれしいです☆

horiwari


























最後までお読みいただき、ありがとうございます!
よろしければ、1日1回、下記のいずれかのバナーをクリックしていただけると、
励みになり、とっても嬉しいです☆

にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へにほんブログ村 子育てブログ 大学生以上の子へにほんブログ村 アウトドアブログ ハイキングへ  
Posted by MIKO at

2016年01月21日

桑名ミニサイクリング-1(六華苑)

昨年11月末に行なった三重・岐阜・名古屋、家族旅行の記録、その1。

11月28日(土)、桑名の観光案内所で無料自転車を借りて、六華苑へ。
自分は2度目ですが、ぜひ息子にも見せてあげたかったのが、ここ!

政府のお雇い英国人建築家ジョサイア・コンドルによる建築。
鹿鳴館、ニコライ堂が特に有名ですが、地方の名士のために建てられた
民間の建築物としては、きわめて稀な存在。
ほぼ原形をとどめた、貴重な文化遺産(1913年、大正2年に完成)。

1rokka_me





















桑名の実業家、二代目諸戸清六氏の邸宅です。
ジョサイア・コンドルによる洋館、廊下でつながる日本建築、
そして、土蔵、茶室、池泉回遊式庭園などがあります。

右側に見える塔の部分が、とてもステキ。

2rokka_1





















こちらが塔の内部。

3rokka_turm




























さて、こちらは広々としたサンルーム。
ほのぼのとして心が温まる空間です☆

4rokka_sunroom


















各階にあるトイレは洋式で水洗です。
TOTOが初めて作った1917(大正6年)の水洗トイレが採用されているようです。

rokkaen10

























こちらは日本建築の部分。
このように広い座敷が、庭に面していくつも並んでいます。
障子を額縁に見たてると、庭の松が絵になります。

5rokka_jap


















お庭を散歩します。

6rokka_garden



















池の片隅には古代蓮があり、前回来たときには花を咲かせていました。
2012年7月

hasu






















最後までお読みいただき、ありがとうございます!
よろしければ、1日1回、下記のいずれかのバナーをクリックしていただけると、
励みになり、とっても嬉しいです☆

にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へにほんブログ村 子育てブログ 大学生以上の子へにほんブログ村 アウトドアブログ ハイキングへ  
Posted by MIKO at

2015年12月07日

琵琶湖疏水ウォーキング

近ごろ妙なものに興味が湧いてきて、水道、上水、疏水、水門など、
水インフラ巡りをしています。

今回は、10月と11月の京都での仕事の合間に行なったウォーキングから
いくつかの写真を抜粋し、ざっくりとした覚書とします。

10月24日(土)のウォーキングは、実は、水以外のことから始め、
京都の烏丸十条より、伏見桃山御陵、山科川、六地蔵、醍醐寺、山科と歩き、
日没前にぎりぎり間に合いそうだったので、山科から琵琶湖疏水沿いを歩き、
疏水第二トンネルにぶつかった後、御陵に下り、旧東海道を蹴上まで歩きました。
(この日の歩数と距離: 42,920歩、約32km)

一方、11月14日(土)は、最初から琵琶湖疏水について学ぶ目的で、
南禅寺境内の水路閣から始め、琵琶湖疏水記念館でかなりな時間を過ごしました。

では、写真アルバムです。
10月24日、山科の琵琶湖疏水の橋のたもとに掛かっていた道標。
今なお「国鉄」と書いてある点がノスタルジック。

1jnryamashina


















同じく、10月24日、疏水沿いに快適なウォーキング。

2biwakososui






















疏水の流れている場所、つまり自分の歩いている場所が、
町よりもかなり高いことに、やたら驚きと感動。

写真では見にくいのですが、左下を走っている鉄道と比べればわかります。
鉄道より50メートルくらい高いところを歩いているような感じがしました。
なかなか不思議な感覚です。

3sosui_tetsudo


















途中にある天智天皇陵へは寄らないで、鬱蒼として薄暗い天皇陵の裏を
足早に通り過ぎます。

この日は午前中に、伏見桃山で桓武天皇柏原陵、明治天皇・昭憲皇后陵、
醍醐寺の後で、朱雀天皇醍醐陵、醍醐天皇後山科陵と、天皇陵巡りをしたので、
天皇陵はもうたくさん!と言うよりは、日没前に蹴上に着くことが目標だったので、
天智天皇陵は諦めました。

ほどなく、疏水第二トンネルに到着します。

ここで疏水は暗渠となります。
そのため、疏水沿いの道は行き止まりとなるので、
地下鉄御陵駅方面への道標を頼りに、町へ下りていきます。

4no2tunnel




















御陵では地下鉄に乗らず、旧東海道を粟田口へと急ぎます。
ちょうど今、お能の囃子(大かわ)で習っている『蝉丸』にも出てくる粟田口、

・・・すえ白川をうちわたり、粟田口にも着きしかば ・・・

ここは、昔、都で最大の極刑場だったのですね。
ここで処刑された1万5千余人の霊を慰める碑がいくつもありました。
折から夕暮れ時とあって、いっそう無常観がただよっていました。

それはともかくとして、蹴上に着いたのが17時半。
かろうじて、上に線路が敷かれた、アーチ型の煉瓦の橋脚を撮影することができました。

5keage




















かわって、こちらは、11月14日、南禅寺の境内にある煉瓦造の水路閣。
古代ローマの「水道橋」に似ていますね。

6nanzenjisuirokaku


















今日こそは、この水路閣の上を流れる水道に沿って歩いてみる〜〜

ところが、水の流れる方向が、何か変!
逆みたい?

後でわかったのですが、これは、疏水分線で、北へと流れているのでした。
「哲学の路」へと流れていくのですね。

7biwakososui
























少し先に行くと、分線と疏水の合流点がありました〜

で、そこをぐるっと、反時計回り?に回り込んだ?ところに、
関西電力 京都電力所が。

biwakososuipowerstation1


















放水中のダムって、かっこいいなあ〜

ちなみに、これ、広い意味で、まだ南禅寺の境内です。

8biwakososuidam


















疏水の水は、この太い導水管を通って、蹴上発電所へと流れていきます。

9powerstation


















ダムを後にして、蹴上の煉瓦の上に敷かれた線路に沿って下っていきます。

sosui_incline




















と、ここで出会うのが、インクライン(傾斜鉄道)。

今では廃止(1948)されましたが、疏水と町との高低差を克服するための技術で、
酒や物資を積載した船を、急傾斜面で、船ごと積んで運んだ鉄道の名残です。

歴史写真『南禅寺船溜、蹴上インクライン』(大正期、個人蔵)

nanzenjifunedome

















水運が重要な位置を占めていた、明治末期から大正・昭和初期のことです。

酒造で名高い伏見にも同様のインクラインがあったそうです。

10incline



























琵琶湖の湖水を京都で、上水、潅漑、工業用水、発電に利用するために
行なわれた明治の一大事業 − 琵琶湖疏水工事。

1890年 第一疏水完成
1912年 第二疏水完成

この感動的な歴史を学ぶため、琵琶湖疏水記念館を訪問。

入場無料。
豊富な資料、ジオラマ、歴史写真など、いくらでも時間を過ごせます。
自分は、2時間ほど滞在したような気がします。

館内はもちろんのこと、外へ出てみるのもおもしろいです。
ここは、本当にお勧めのスポット。

機会があれば、琵琶湖疏水を、琵琶湖の取水口から歩いてみたいです。

11biwakososuishiryokan


















最後までお読みいただき、ありがとうございます!
よろしければ、1日1回、下記のいずれかのバナーをクリックしていただけると、
励みになり、とっても嬉しいです☆

にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へにほんブログ村 子育てブログ 大学生以上の子へにほんブログ村 アウトドアブログ ハイキングへ  
Posted by MIKO at

2015年07月18日

京都守護職会津藩本陣(黒谷の金戒光明寺)

金戒光明寺の旧会津藩墓地にようやくお参りできたのは、
中学生と旅行中、京都でフリーになった6月27日のことでした。

もっともこう書いている今、自分は桑名にいます。
昨夜、快速みえ「伊勢市」号に乗って、やってきました。
リアルタイムで書けず、3週間遅れの回想になってしまっている点が残念です。

それはともかくとして、おそらく一生忘れることができないであろう
強烈な印象を残した金戒光明寺。

aizuhanbochi3



























実際に来てみて、金戒光明寺が京都守護職会津藩の本陣に選ばれたわけが
わかりました。

とにかく広い (千名の軍隊が駐屯できる)
見晴らしがきく (小高い丘で自然の要塞、遠くは淀川の帆船さえも見えた)
交通の要衝に近い (御所から2km、東海道の発着点粟田口から1.5km)

konkaikomyojiview



















柏村毅という、会津出身、東京急行電鉄の取締役などを務めた方の志によって
昭和33年7月に建立された
「会津藩墓地参道 → 」と彫った沢山の石道標に導かれて、
会津藩墓地の入口に着いたときには、もう胸がいっぱいでした。

入口の石碑にはこう彫ってあります。
「会津藩殉難者墓地」

aizuhanbochi1



















「会津墓地の由来」と書いた石碑の説明文を読みながら、
ついに涙をこらえきれなくなりました。

会津藩が経験した、あのように不可解、理不尽な事の顛末が
他にあるでしょうか?

孝明天皇の謎の死によって、事は真逆の方向に急転回し、
戊辰戦争中最大の悲劇、会津戦争を生んだのでした。

aizuhanbochi2


















さらに涙を誘ったのは、下の写真に見られる供え物の数々です。
それらは主に、鶴ヶ城(会津若松城)の絵や写真でした。

aizuhanbochi4


























そのうち1枚を別途撮影してここに掲げます。
鶴ヶ城(会津若松城)
あまりにも、悲しく、悔しく、痛々しく ・・・。
当事者でない自分がどんな言葉を並べても、その無念は表しきれません。

aizuwakamatsujo




























墓地を後にして、再び境内に戻り、山門を撮影します。
山門の左手後方に、蹴上のウェスティン都ホテルが見えます。

sanmon_b




















高台で、遮るものがないので、開放感に満ちています。

konkaikomyojiwide





















御影堂(大殿)。
黒谷の金戒光明寺は、浄土宗の開祖、法念上人ゆかりの地です。
知恩院が総本山なのに対して、こちらは大本山のひとつです。

浄土宗の菩提寺にある父母の墓参りのためにやってきた桑名で、
会津の墓参りの回想記を書くことになったのは、単なる偶然に過ぎません。

しかし菩提寺の墓地に新撰組隊士だった人の墓があるのは、
何かしら運命的な奇偶を感じざるを得ません。

konkaikomyoji



















最後までお読みいただき、ありがとうございます!
よろしければ、1日1回、下記のいずれかのバナーをクリックしていただけると、
励みになり、とっても嬉しいです☆

にほんブログ村 シニア日記ブログ 団塊の世代へにほんブログ村 子育てブログ 大学生以上の子へにほんブログ村 アウトドアブログ ハイキングへ  
Posted by MIKO at