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2013年09月13日

伊勢湾フェリーで鳥羽から伊良湖岬へ+豊橋カレーうどん


伊勢神宮の後も、わくわくすることの連続です。

近鉄で、宇治山田から鳥羽へ。
鳥羽へは仕事で何十回も来ているので、見物はしません。
鳥羽で降りたのは、伊勢湾フェリーのためです。

昔は仕事で度々乗る機会のあった伊勢湾フェリー。
最近では7、8年前に乗ったきり、とんとご無沙汰しています。
いつかまた乗るかもしれないときの下見も兼ねています。

鳥羽港
奥の方に見える、水色の模様の船が、伊勢湾フェリーです。

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鳥羽(三重県)と伊良湖(愛知県の渥美半島)を結ぶフェリーで、
所要時間は55分。

地図で見ると、鳥羽と伊良湖が伊勢湾をはさんで向き合っているのが
よくわかります。

伊良湖から先は、バス+鉄道で渥美半島を縦断して、豊橋に出て、
そこから新幹線で帰るのです。

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16時30分鳥羽発の便に乗ります。

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船が動き出して、今来た方角(西)を振り返ると、もう夕方の色。

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進行方向左手は、答志島。
小学校5年生のときの「海の生活」が、この島だったように記憶しています。
なつかし過ぎ!

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進行方向右手は、三重県では答志島に次いで二番目に大きい、菅島。
ここではその左半分しか写っていませんが。

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出発してから25分ほど経った頃、右手前方に神島が見えてきました。

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三島由紀夫の恋愛小説『潮騒』の舞台となった島です。

『潮騒』は映画化されました。
1964年、東京オリンピックの年に、吉永小百合と浜田光夫が演じました。
なつかしいです。映画は見ていないのですが、ポスターが目に浮かびます。

その後、山口百恵と三浦友和のコンビでも映画化されたようです。
こちらはあまり印象がありません。

8kamishima


















三島由紀夫と言えば、8月、風変わりなイギリスの夫婦のガイドをしました。
朝、会うなり、「We are strange people.」と前置きした上で、行きたいところを
リストアップしてきました。

三島由紀夫のお墓
三島由紀夫が割腹自殺したバルコニー
靖国神社
刀剣博物館

いきなりのリクエストに、慌ててネットで三島由紀夫のお墓を調べた次第です。
それは多磨霊園にありました。
お墓の住所は、10区 1種 13側 32番 です。

「娘」ちゃんの大学の最寄り駅である、西武多摩川線の「多磨」駅が、
多磨霊園の正門に通じているので、「娘」ちゃんの大学に何度も行った自分は、
白糸台での乗り換えでも一切迷うことなく、すんなりと道案内できました。

こうして辿り着いた、平岡家のお墓です。

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お墓の右に、故人の戒名などが彫られた石碑があります。
その真ん中に、平岡公威と彫られています(三島由紀夫の本名)。
亨年45才だったのですね。

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あの日のことは、はっきりと覚えています。

大学の学生食堂の2階の学生サロンにいたとき、テレビニュースに
市ヶ谷のバルコニーでの様子が映し出されて、騒然となりました。
1970年11月25日のことでした。

ちなみに、イギリス人夫婦は、この日付を諳んじていました。

イギリス人との、8月のこの仕事についてまだ書いていなかったので、
今日のテーマからは脱線しますが、この機会に記録しておくことにしました。

刀剣博物館と靖国神社は問題ありません。

市ヶ谷の防衛省では、予約なしの飛び込みだったので、
バルコニーは見せていただけませんでした。


さて、行く手に伊良湖岬が近づいてきました。

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到着間近です。

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着いた!

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伊良湖旅客ターミナルです。

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ところで、このターミナル内に、やしの実博物館があります。

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そう言えば、黒潮に乗ってやしの実が漂着したのが、ここ伊良湖岬でした。

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島崎藤村の詩「やしの実」の舞台だと言われています。
作曲は、大中寅二。

何度聞いても涙の出る、美しい曲です。

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バスの発車まで時間があったので、恋路ヶ浜に行ってみました。

「海の日の沈むを見れば激(たぎ)り落つ異郷の涙・・・」と藤村が書いたのは、
この浜辺で日が沈むのを見たのでしょうか。

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バスが発車し、渥美半島の内側の海岸に沿って走ります。
どっぷりと日が暮れてきました。

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19時22分、豊橋鉄道渥美線の新豊橋に到着しました。

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ここで、予め調べてあった、名物の豊橋カレーうどんを食することに。
新幹線の発車までの限られた時間しかないので、駅ビル地下のお店にしました。

豊橋カレーうどんが一般のカレーうどんと異なる点は、
下にご飯、真ん中にとろろ、上にカレーうどんと、三段階に積み重なっている点と、
うずらの卵とミニトマトが入っている点です。
このお店のには、ニラも入っていました。

味の上でも量的にも食べ応えがあり、これで890円というのはお値打ちです。
ただし、かなりこってりしているので、食べ終わった瞬間には、もう食べたくないと
思ったことも事実です。

でも、お腹がすいたら、きっとまた食べたくなると思います。

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2013年09月12日

桑名から伊勢神宮へ

関西で仕事が終わると、日程が許す限り、自費で寄り道をしています。
今回の寄り道は、両親の墓参りと、今年62回目の式年遷宮を迎える伊勢神宮。

三重県の桑名市に、先祖代々のお墓があります。
桑名とは、会津藩主松平容保の実弟の松平定敬が藩主を務め、
戊辰戦争で共に官軍と闘って破れ、朝敵とされた桑名藩のこと。

桑名はまた、東海道中で唯一、海を渡る、宮宿(尾張の熱田)〜桑名宿間の
「七里の渡し」があることでも知られています。

さらには、浅利や蛤の時雨煮(貝新)や松阪牛の佃煮(柿安)でも有名です。
そしてまた、泉鏡花の『歌行燈』の舞台となったうどん屋と料亭旅館「船津屋」も
七里の渡しの近くにあります。

ところが、鋳物の町でもあることを、大抵の人は知らないのでは?
この2枚の写真は、桑名の街路で見つけたマンホールの蓋です。

鋳物の町、本場桑名のマンホール蓋を、是非ご覧あれ(笑)
一方には「七里の渡し」、もう一方には「貝」が擬人化されています。

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さて、京都 → 桑名 → 伊勢神宮 のコースなので、
JR乗車券は、京都 → 伊勢市 を購入しました。

後戻りしない限り、どこでも途中下車できることを利用して、
名古屋で下車して、高校時代の親友に会うことにしました。

この親友、つい10日前に新宿で会って、居酒屋で乾杯したばかりです。

今度は、旦那さんと同伴で名古屋駅まで来てくれ、
山本屋の味噌煮込うどんとビールをご馳走してくれました ♪( ´▽`) 

あらかじめ私が、山本屋の味噌煮込みを食べたい!!と言ったので、
旦那さんと一緒に駅周辺の各店舗を下見して、席取りまでしてくれたのです(涙)

そのときいただいたのが、写真右、両口屋の和菓子。

写真左、坂角の海老せんべい「ゆかり」は、新宿でいただいたもの。
名古屋城と、徳川義直(徳川家康の九男、名古屋城主)が描かれた
黄金色の包装紙がステキなので、特別に紹介しました☆

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お土産紹介のついでに、後ひとつ。
お寺さんからいただいた浅利の時雨と椎茸昆布です。
伊勢志ぐれの佃煮は、ふっくらと炊けていて、辛さ加減も丁度なのです。

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さて、父と母のそれぞれのお寺への墓参りを終えて、
再び徒歩で桑名駅に戻り、JR関西線「快速みえ」に乗って、伊勢へ GO!

JR伊勢市駅で降りるのは生まれて初めて。
いつもは、近鉄の宇治山田駅を利用するので。

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伊勢市で降りれば下宮まで徒歩わずかであることを知ったので、
下宮 → バスで内宮 → バスで近鉄宇治山田 という行程にしたのです。

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ほんの7、8分で、下宮に着きます。
下宮には、豊受大御神、すなわち、食物・穀物・衣食住の神様が祭られています。

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外宮の本殿。

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次は、バスで内宮へ。所要時間15分ほど、410円。

五十鈴川にかかる宇治橋は、参拝客で混雑。

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参道から眺める景色は、いつ見ても神々しいです。

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五十鈴川の清流。

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参道が終わりに近づき、今年式年遷宮される敷地では、工事が真っ盛り。

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ですので、今はまだ古い敷地での参拝となります。
去年、仕事で2回参拝しましたが、まったく同じです。

新しい敷地での参拝は、子供が生まれる前、
つまり第61回目の式年遷宮よりも前のことでした。

それにしても、すごい人。
地元の産業や観光の活性化に寄与するので良いことです。

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内宮参拝後、バスに乗る前に、おはらい町とおかげ横丁へ。

伊勢に来たら、赤福でしょう。
って、ここで食べるのは、一皿が3個で280円、お茶付。
ひとりで一度に3個も食べられないので、持ち帰り用の容器を付けてもらいました。

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おはらい町の、伊勢くみひも「平井」。

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そして、ああ、なつかしや、生姜糖!!
子供のころ、よく父親や、父の友人が、お土産に買ってきました。
あの、生姜の味、砂糖の味、忘れられません。

もちろん、買いました。
小豆の入ったのを。
箱の形も、昔のままです。

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おはらい町の、古き良き街並みは続きます。
伊勢うどんのお店があります。
干物屋さんもあります。

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うなぎ屋さんや、みたらし団子屋さんもあります。

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こちらは、おかげ横丁。
中はちょっとした迷路です。

写真正面は、松阪牛の串焼きのお店。

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そんなこんなで、レトロな街の散歩を楽しんだ後、
バスで近鉄宇治山田駅に行きます。約15分、410円。

後で、「しまった!」と思ったのは、途中の五十鈴川で降りなかったこと。
五十鈴川ならバス代が210円で済むので、差額200円を他に回せたからです。

それでも、昔から利用している宇治山田駅は、お伊勢参りの中心駅で、
その駅舎には、なかなかの風格があります。

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2012年09月19日

城下町桑名を歩く(2)六華苑(コンドルの和洋折衷建築)

「城下町桑名を歩く(1)石取、七里の渡し、桑名空襲に寄せる思い」の後、
その(2)として、六華苑について、直ぐにも書くつもりでした。

何ごとも機会を逃してしまうと億劫になってしまいますね。
桑名を歩いた日から、まる2ヶ月も過ぎてしまいました。

そうは言いながら、このほど立ち上げたばかりの別のブログで
先にこの六華苑を取り上げてしまいました(英文)。

そこで遅まきながら本日、日本語でも投稿します。
英語をそのまま日本語にしたわけでは全くありません。

むしろこちらの方が写真は多くなっています。
しかし両親の故郷に寄せる思いの断片が、英語版の方にあります。

そこで、拙い文ですが、英語版も合わせてお読みいただければ幸いです。
"Rokkaen(六華苑), the Memory of Josiah Conder"


2012年7月18日(水)
今思い返してもすごい、炎天下でのウォーキングでした。

城下町であると共に、東海道53次の42番目の宿場町であった桑名。
尾張の熱田から伊勢の桑名に来るために必ず越えなくてはならない場所で、
東海道の中で唯一の海路(七里=約27.5km)でした。

その七里の渡し場を見た後、徒歩15分ほどの六華苑に立ち寄ったのでした。

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揖斐川と長良川をのぞむ18,000平米の広大な敷地に、
洋館と和館、蔵、池泉回遊式日本庭園があります。

このうち、洋館部分が、ジョサイア・コンドルの設計になります。
かの鹿鳴館などを設計し、「日本近代建築の父」と呼ばれたイギリスの建築家、
日本政府の招聘で来日したお雇い外国人教師のひとりです。

ジョサイア・コンドルが手掛けた、地方に残る唯一の作品として、また
創建時の姿をほぼそのままにとどめる貴重な遺構として、
1993年(平成9年)、洋館と和館が国の重要文化財に指定されました。

桑名の実業家二代目諸戸清六の邸宅として1912年(大正2年)に竣工した
六華苑は現在桑名市・桑名市教育委員会によって管理されています。

正面玄関

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芝生広場と日本庭園を眺められる2階のサンルーム

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サンルーム内側の書斎にある、諸戸氏のデスク

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正面玄関脇の塔内の2階部分

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1912年(大正2年)に竣工した邸宅のトイレです。
何と、水洗式!!

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洋館と内部でつながっている和館の長い廊下。
北側の内庭に面しています。

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和館の一室より日本庭園を眺める

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この和館と洋館の間のつながり方が、また何とも不思議!
洋館の中のある部屋から数段の狭い階段で、和館のある部屋に下りられたり??
その建築構造が、想像力を掻き立ててくれます!

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2階のサンルームから見える日本庭園の一部

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外に出て屋敷の南側に回ると、洋館の前には芝生広場

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芝生広場の奥の小路から庭のある方角を眺める

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池の西端より遠方に洋館を望む。

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池の端に古代蓮

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古代蓮がひときわ美しい時期でした。

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六華苑を後にして、敷地の裏道へ回ると、
レストラン「Rokka」がありました〜

時間がなくて中には入れませんでしたが、すてきな感じ

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この日(7月18日!)の歩数:19,963歩

お時間があれば、下記も合わせてお読みいただければ嬉しいです☆

「城下町桑名を歩く(1)石取、七里の渡し、桑名空襲に寄せる思い」

"Rokkaen(六華苑), the Memory of Josiah Conder"(英文)



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2012年07月19日

城下町桑名を歩く(1)石取、七里の渡し、桑名空襲に寄せる思い

コンサートツアー随行に続く、観光客のツアーのガイド、
その合間を縫って、高速夜行バスとんぼ帰りの下見2回・・・

6月28日から7月17日までの20日間、1日の休みもなく、旅でした!!

ようやく中休みが出来たので、名古屋にもう1泊滞在して、
7月18日(水)は、両親の墓参りのついでに、城下町&東海道宿場町である
桑名ウォーキングを実現しました!!

よくもこの蒸し暑い、炎天下にね〜(笑)


まずは名古屋駅「駅裏」のチサンイン名古屋の朝食から始まります。

今でこそ、地下街や有名予備校や量販店で賑わう「駅裏」ですが、
新幹線の開通した1964年前後までは、「駅裏」と言えば怖い場所の代名詞でした。

いわゆる「職安」があって、戦後から高度成長期にかけて、
失業者や浮浪者がたむろす場所だったのです。

今でも「駅表」に比べたら淋しい感じは否めませんが、
それでも、安心して泊まれるホテルがいくつかあります。



その中で今回私が「じゃらん」で選んだのは、チサンイン名古屋の
「名古屋名物が食べれる朝食付プラン 禁煙」5,300円です☆

「じゃらん」ポイントを使ったので、たったの4,600円で泊まれましたヽ(^o^)丿

ここの朝食がすごい!
多くの一流ホテルの朝食バイキングと比べて何ら遜色はありません!

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「名古屋名物が食べれる」を謳っているだけあって、
きしめん、あんかけスパゲッティなどもありました。

きしめんは確かに嬉しいですが、根菜類や豆や海藻の煮物やフルーツも多種類あって、
パンもなかなかに良いのです。
朝食コーナーもユニークな配置になっていて、楽しいです。

今度また名古屋に来るときは、絶対にまたここにします☆

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さあ、名古屋から電車で25〜30分足らずの桑名に向かいます!
近鉄は430円ですが、JR関西線だと「快速みえ」に乗ったとしても330円です。

JR桑名駅前にある「鋳物の街くわな」の看板。

鋳物って、ここでは何を作っているのかというと、
江戸初期には、梵鐘や鉄砲の鋳造、現在はマンホールのフタや街路灯など。
埼玉県川口市と並んで、鋳物を伝統的な地場産業とする人口14万弱の町です。

それにしても駅前の寂れきった様子は、・・・・・、地方の町の宿命でしょうか。

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ウォーキングに備えて、駅前のサンファーレ2Fの観光案内所で地図を入手。
そして、隣りの花屋さんで、お墓に供える花束を6つ作ってもらいました。

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両親と父方の先祖のお墓のある伝馬町の十念寺(浄土宗)まで20分歩きます。

旧東海道に面したこのお寺は、桑名でも最も由緒あるお寺のひとつです。
もっともこの界隈は、正直、お寺ばっかり! さしずめ桑名の寺町といった感じです。

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十念寺の隣りには、母の実家の先祖代々のお寺(寿量寺・日蓮宗)があり、
そこにもお花をお供えしました。母がしていたとおりを私も真似るのです。

母が子供の頃に遊んだ法盛寺(浄土真宗)が道路ひとつ隔ててあり、
ここ萱町へ来ると、自分の心の故郷はここにありといった感慨をおぼえます。


感慨をおぼえると言えば、父母が育った桑名の夏の風物詩「石取祭」。
国指定重要無形民俗文化財である「日本一やかましい祭り」です!

その始まりは江戸初期、市の南部を流れる町屋川の清らかな石を取って、
春日神社に奉納することに遡り、毎年8月の第一週に賑やかに行われます。

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小さい頃、母から幾度となく「石どり、石どり」と聞かされ、
石どりのときには、母も名古屋から桑名に里帰りを許されたのです。

石取会館(資料館)があると知ったので寄ってみました。

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各地区ごとにきらびやかさな山車があり、どれも太鼓と鉦がついていて、
それらを賑やかに叩き鳴らすのです。

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石取会館の中でひときわ私の胸を打ったものに、
昭和初期の祭り見物客を写した、歴史的写真があります。

あいにくその写真は紹介できないのですが、
川の向こう岸で山車の来るのを待っているらしい群衆。

大人の男のほとんどが和服に、山高帽(夏なのでパナマ帽)をかぶっているのです。
そして浴衣や祭りの装いをした子供たち。

それらの大人や子供の写真を見るにつけ、父母が子供だった昭和初期、
こんな風にしてパナマ帽をかぶった親に連れられて、祭りを見物したのだろうなあと
胸が熱くなり、思わず涙があふれてしまって、みっともない姿をさらけ出しました。

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石取会館の近くに、その石を奉納する春日神社(桑名宗社)があります。
この石の鳥居とは別に、参道入口に、鋳物の街らしく青銅の鳥居があります。

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次は桑名城址です。
戊辰戦争で会津藩と共に幕府側で戦った桑名藩は、その城と町を
徹底的に破壊されました。 だから、何も残っていないのです!!!

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このような堀に、当時の様子を偲ぶしかありません。

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本多忠勝の像。
1548年、徳川家の重臣本多忠高の子として三河(愛知県岡崎市)に生まれ、
その後、関ヶ原の合戦での戦功により、伊勢桑名十万石に転封されました。

木曽三川や伊勢湾の水運を利用して発展してきた港町桑名を、
城を中心にした城下町に造り変えるという大胆な都市再開発を断行。

桑名の町が計画的に作られていて決して道に迷わない理由はここにあるのでしょう。

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揖斐川に着きました。
写真手前が揖斐川。その向こうが長良川、そのまた向こうが木曽川です。

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木曽三川(揖斐川・長良川・木曽川)が伊勢湾に流れ込むこのあたりは、
かの輪中地帯のすぐそばでもあります。

子供が中学受験で通ったサピックスでは、
子供たちは、「輪中」の木曽三川を次のように語呂で覚えました。

基礎トレながらいびきの輪中

基礎トレ:木曽川(サピが自宅学習として課す算数の基礎トレーニングの略)
ながら: 長良川
いびき: 揖斐川

付属のカルタには、基礎トレするうちにイビキかいて鼻ちょうちん(輪)を出して
寝てしまう無邪気な子供の絵が書いてありました(笑)


水運に恵まれたこの地区の歴史は、また水害と闘った歴史でもあります。

死者5,098名を出した、あの伊勢湾台風(昭和34年・1959年9月26日)で、
多大な被害を被りました。

私自身、小学校2年生のときに名古屋で伊勢湾台風を経験し、
桑名の親戚は着の身着のまま、避難生活を味わったので、決して忘れません。

写真は伊勢湾台風30周年碑です。
後方の大きな建物は、松坂肉の「柿安」本店ビルです。

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いかにして水を治めるか、治水事業は常にこの地方の重大な関心事でした。

治水史1. 宝暦の治水(江戸中期)

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治水史2. 明治改修

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治水史3. 伊勢湾台風以降の治水整備

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蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)

かつて東海道を行き交う人々が必ず目にした桑名の象徴の忠実な復元です。

「蟠龍」とは、天に昇る前のうずくまった状態の龍のことで、
龍は水を司る聖獣であることから、船の安全な航行を見守っています。

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広重も浮世絵「東海道五十三次」で、海上の名城と謳われた桑名を表すために
この櫓を象徴的に描いています。

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蟠龍櫓の2階から揖斐川とその向こうの長良川を眺めました。
遠方左手に、長良川の河口堰が見えます。

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さあ、いよいよハイライト、七里の渡しです。

桑名は東海道53次の42番目の宿場町でした。
尾張の熱田から伊勢の桑名に来るために越えなくてはならない場所で、
東海道の中で唯一の海路(七里=約27.5km)でした。

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東国からやって来た人が、最初にくぐった鳥居です。
これは伊勢神宮へとつながる最初の鳥居、つまり伊勢神宮の表玄関です。

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七里の渡し場

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さて、七里の渡しのすぐそばに、料理旅館「船津屋」があります。

父の一周忌の法事の会食をここで行いました。
揖斐川を見下ろす、広々とした2階の座敷で食事したことを覚えています。

地味で質素な母は、そんな身分不相応なことはしたくなかった・・・・・
けれども、何でも、とっとと勝手に決めてしまう父の姉が、ここを指定しました。

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船津屋は、しかし、明治の文豪、泉鏡花が宿泊し、
その作品『歌行燈』の中で、旅籠屋「湊屋」のモデルとしたところです。

他にも川端康成、志賀直哉などの文人が訪れています。

船津屋の塀に、歌行燈の碑があります。
        ↓  ↓
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数年前の誕生日に子供がプレゼントしてくれた「泉鏡花集」より
『歌行燈』の始まりの部分

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また、『歌行燈』の中の、うどん屋のモデルとなったうどん屋、
「歌行燈」の本店が、船津屋の近く、旧東海道沿いにあります。

先に触れた父の姉の一周忌法要の会食は、ここ歌行燈で行いました。

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この界隈は、桑名の花町でした。
今でも、料亭や茶屋が多いのです。

こちらは七里の渡しの道標の向かい側に立つお宅です。
一見したところ普通の民家のようですが、壁には黒地に扇の粋な装飾があります。

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同様に、木塀も、扇の形の透かし細工で飾られています。

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この後、明治の豪商、諸戸氏の邸宅であった六華苑を訪ねました。

鹿鳴館、ニコライ堂、旧古河庭園の洋館などを建てた
イギリスの建築家ジョサイア・コンドルによる、和洋折衷の住宅と庭園です。

これについては、
「城下町桑名を歩く(2)コンドルの和洋折衷建築」として記事にする予定です。

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地図に、この日歩いたコースを黒で記しました。
緑色で記したのが、旧東海道です。

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戊辰戦争のみならず、太平洋戦争中の激しい空襲でも破壊された桑名。
昭和20年1月31日に始まり、3月11日、5月17日と続き、7月17日 午前1時30分、
B29 94機が焼夷弾十数万発を投下。さらに7月24日、1トン爆弾を818発投下。
軍需工場を有していた桑名はその約80%が焼失。

とっさでろくなものしか持ち出せなかった、昔の写真が1枚もない!

親が買ってくれた、チャキチャキ音のする革靴はいて東京見物に行って、
写真館で撮ってもらった、小学校のときの写真が焼けてしまった。

阿鼻叫喚の地獄をひたすら逃げまどった、怖かった。

焼け出されて、何もかも失い、田舎に疎開した。
田舎の人は自分たちだけ、自分で作った白米をこっそり食べているのに、
疎開の者には、「無い!」と言い張って、分けてくれなかった!

やみ市でやっとの思いで買い込んだイモを背負って、
一人で真っ暗な夜道を、コワい思いをしながら何里も歩いた揚句、
巡査に見つかって、全部取られてしまった!

といった戦時中の思い出話を繰り返し母から聞かされて育った私にとって、
この町を自らの足で歩いて、親がたどった人生のほんの一部でも追体験したり、
理解しようと努めることは、どうしてもやらねばならないことです。

多くの歴史文化遺産を失ったけれど、お伊勢参りへの玄関口として栄えた町の、
戦前の面影を探るこのウォーキングは、感動以外の何ものでもありません。

この日の歩数: 19,963歩


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2012年07月11日

高速バスで名古屋のノリタケの森と徳川美術館へ

最近高速バスツアーで大事故があったために誤解されがちですが、
高速バスツアーと高速バスはまったくの別物です。

高速バスは、バス会社が運営するもので、国土交通省の厳しい監督の下、
定期路線の時刻表を持ち、独自の発着所やターミナルを有するものです。

一方、高速バスツアーとは、旅行会社がどこかのバス会社のバスを使って
旅行として企画し販売しているもの。したがって、その催行は集客次第、
もちろん独自の発着ターミナルはありません。

この点、どうぞ正しく区別されますように。
高速バスの回し者ではありませんが、ものは考えよう、使い方次第だと、
この度つくづく感じる経験をしました。


 前置きが長くなりました。
某アーティストのコンサートツアー随行中に、1日だけオフ日がありました。
そこでその1日を利用して、高速バスで名古屋まで次の仕事の下見に行ってきました。

1. 行き: 早朝に新宿西口ターミナルを出て、お昼に名古屋に到着。
2. 帰り: 同日の夜、名鉄バスターミナルを出て、翌朝に都内に到着。

1 は、1日前のオンライン決済で、5,100円が3,500円(1,600円もお得!)

2 は、金土日発の夜行だったので、5日前にオンライン決済すれば3,500円。
でもそれには間に合わなかったので、通常の5,100円を払いました。

合計: 8,600円

最近ジパング倶楽部に入ったので、新幹線も200km以上なら2〜3割引ですが、
高速バスの安さにはかないませんね☆

特に今回のように、1日で用を済ませて帰ってこなければならない場合、
時間の有効活用の意味でも重宝します。
また、下見はすべて自費なので、多額の投資をしては割が合わなくなります。


私が利用した高速バス(ハイウェイバス・ドットコム)の新宿⇔名古屋便は、
出発時刻によって、京王バスと名鉄バスの二社で運行。

私のはたままた行きも帰りも京王バスで、しかも同じ乗務員さんでした!!
乗務員さん、昼間に名古屋の宿舎でたっぷりと寝て、夜また出勤されたのですね。
丁寧で詳細で明瞭な発音で、車内の注意事項や経路の案内をして下さいました。

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新幹線よりも良い点が、他にもありますよ!!
京王と名鉄の場合、中央道を利用するので、大月や甲府、南・北アルプス、そして、
妻籠や中津川、恵那、多治見といったルートの、車窓の景色を存分に楽しめるのです!

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中央道や中央線沿線が大好きな私には、まさにおあつらえ向きです☆
お天気がイマイチだったので、写真はあまり撮れませんでしたが。

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中津川か恵那か忘れたのですが、サービスエリアで止まったとき、
五平餅を食べましたよ! 昔から中津川の五平餅が大好物なもので・・・ (^-^*)   

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さて、名古屋に着くとあいにくの雨でした。
まずは、下見の目的地である、ノリタケの森です。

名古屋生まれ、名古屋育ちなので、子供の頃から則武町とNoritakeのことは
よく知っていました。

高校生の頃、栄で知り合ったアメリカ人の子供たちの両親が、
栄のノリタケショップで、高級製品を山と買っていたことをよく覚えています。
裕福なアメリカ人は、誰もかれもノリタケ・ブランドに夢中だったのです。

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製造工程見学と観光と買物用の施設「ノリタケの森」は出来てまだ日が浅いので
私が名古屋に住んでいた頃にはもちろんありませんでした。
また、ツアーで名古屋に行くことがあっても、ここだけは未経験でした。

トヨタと並んで名古屋が世界に誇るノリタケの、赤レンガの歴史的建造物群。

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日米修好通商条約調印を経て、海外との貿易が本格化したとき、
日本が海外に輸出できるものは、生糸、茶、骨董品だけでした。

大幅な輸入超過により日本から金が大量に海外に流出するのに危機感を持った
創業者森村市左衛門。

福沢諭吉の「流出した金を取り戻すためには海外貿易以外に方法はない。」との
言葉を聞き、やがてディナーウェア(高級洋食器)を製造して輸出することを決意し、
1904年に現在のノリタケの前身となる会社を創立。

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幾多の困難と闘いながら、世界に誇れるディナーウェア製作に成功し、こうして
第二次世界大戦終結までの間に製造された陶磁器は「オールド・ノリタケ」として
米国を中心とした骨董収集家たちから高い評価を受けています。

日本の近代産業の発展と貿易に貢献しただけでなく、
うっとりと夢の世界に誘ってくれるようなオールド・ノリタケの誕生の歴史と
作品の数々を、ミュージアムで心ゆくまで鑑賞することができます。

赤坂迎賓館などで海外の賓客の接待に使用されているものも含め、
テーブルを彩る美しいフルコースディナーの陶磁器には思わずためいきが出ます。
写真撮影ができないので、その素晴らしさを伝えられないのが残念です (:_;)  

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オールドの夢の世界の一方で、現在デパートで買える、私も所有しているような
碗皿のデザインの変遷も楽しめます。

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敷地内にはレストランもあり、これがそのひとつ。
その名も 「Kiln」(窯)です!

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名古屋市営地下鉄バス1日パス(850円)を購入しました。

雨さえ降っていなければ、時間さえあれば、歩きたいところでしたが、
やむを得ず、地下鉄で市役所まで行きました。

写真は、名古屋市役所(左)と愛知県庁(右)

このすぐ前にある、基幹バスの停留所から、バスで次の目的地である
徳川美術館と徳川園に向かいました。

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徳川美術館には仕事でも数回来ましたが、だいぶ前のことで心配なので、
せっかくのチャンスに、あらためてよく見ておくことにしました。

名古屋城本丸の東約3kmの地にあり、徳川御三家筆頭である尾張徳川家が
江戸初期に造営した大曽根屋敷を元とし、後に19代徳川義親侯爵の邸宅となった敷地に
徳川美術館と徳川園はあります。

1945年の大空襲による焼失の被害を免れた数少ない遺産であり、
武家屋敷の面影を伝える貴重な建造物である黒門。

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徳川美術館と徳川園のリーフレット。

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尾張徳川家の旧蔵書が保存されている蓬左文庫。 

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徳川美術館正面

美術館内部は、
1. 武家のシンボル − 武具・刀剣
2. 大名の数寄  − 茶の湯
3. 室礼  − 書院飾り
4. 武家の式楽  − 能
5. 大名の雅び  − 奥道具
6. 王朝の華  − 源氏物語絵巻 (原本の展示は期間限定)

テーマ別に、すばらしい構成となっています。
中でも、茶室の復元、能舞台の復元は、圧巻ですし、
漆器、蒔絵、刀剣類、その他の美しい工芸品の陳列は、目を見張るばかりです。

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さあ、雨の徳川園です。
その昔、他界した叔父さんも従姉も、みんなここで結婚式をあげたものです。
ごく小さな子供だった自分が一緒に記念写真に収まった結婚式場が園内にあります。

でも、この日は雨にけむる庭園を散策することを楽しみにしていました。

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折からの七夕飾りに、心が和みます☆

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徳川園を後にして、徒歩圏内なのですが、雨なので基幹バスに乗って、
昔(結婚するまで)自分が住んでいた町を訪ねてみました。

萱場町というバス停で降りて、清明山まで歩き、子供のころに通った
ピアノの先生の家や友だちの家のあった道を歩き回りました。

自分の住んでいた家はもうありません。

畑は宅地と化し、小川は埋め立てられて道となり、建物も建て替ってしまって、
当時の面影を留めるものは、ほとんど何もありません。

空襲でやられて戦後復興した三菱重工業航空機製作所も、
私が住んでいたときには広大な敷地だったのに、その半分以上が、
名古屋ドームに取って替わられました。

眼前に迫る名古屋ドームの屋根を見て、自分の故郷はもう無いと思いました。
(写真、ドームの右側が、三菱重工です)

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それでも名古屋の食べ物には未練があるのです。

夕食は、迷わず、山本屋の味噌煮込みうどんにしました。
真夏でもいつでも、年がら年中、名古屋で食べるのは、これです。

お昼抜きで下見を頑張ったので、ご褒美にビールも忘れずに

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夜行バスの前に、さらに時間を持てあましたので、
名古屋が生んだもうひとつの有名なチェーンである、コメダ珈琲で時間つぶし。

喫茶店に、主要な日刊紙と週刊誌が揃っていて、それを読みながら飲む
モーニングコーヒーには、トーストとゆで卵がオマケで付き、

すべてのコーヒーにはいつでもおつまみの小皿(ナッツや柿ピー)が付き、
コーヒークリームが銀色の容器に入って出てくるのは、

ここ「コメダ珈琲」ならずとも、名古屋の喫茶店に共通する独特の慣習です。

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バスに乗る前の、急ぎのメールチェックも忘れません!

こうして、名古屋を後にして夜行バスに乗りました。
とても充実した、感動に満ちた1日でしたが、なつかしい故郷の一角が消えたことは
何とも淋しい限りです。

すべては時と共に移り変わる、ということを身をもって感じたことです。

この日の歩数: 20,331歩


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Posted by MIKO at