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2013年02月01日

『修善寺物語』 (あらすじ)

伊豆の修善寺温泉。
そこに伝わる源氏興亡の歴史を題材に岡本綺堂が『修善寺物語』を書きました。

この戯曲のあらすじを書きたいと思った昨年夏から半年たちました。

1月31日、縁あって修善寺温泉を7年ぶりに再訪することができ、
修禅寺宝物館の売店で『修善寺物語』の絵葉書を手に入れることが出来たので、
この機会に、絵葉書セットから絵を5点お借りして、あらすじを書くことにしました。

発売元: 修禅寺
制作: 東海大学開発工学部感性デザイン学科高月研究室
発行: 伊豆物語半島協会

文中の科白は、『現代日本文学大系 91』(筑摩書房)によります。

お借りします。有難うございます。

ここから更に転載される方は、必ず上記のクレジットを明記してください。

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鎌倉時代、伊豆の修禅寺村に夜叉王という名の翁が住んでいました。
夜叉王は面作師で、その腕たるや、京や鎌倉にも聞えるほどでした。

夜叉王には腹違いの娘が二人いて、父と同じ面作師を夫に持つ妹のかえでに対して、
姉のかつらは、京の公家にも仕えた女を母とし気位が高く、妹のように伊豆の片田舎で
職人風情と一緒になって果てることを望まず、いつの日か貴い人に見そめられることを
夢見ていました。


ある日、二代将軍源頼家が修禅寺の僧を伴って夜叉王の家を訪れました。
頼家は夜叉王に自分の面の制作を依頼していたのですが、待てど暮らせど一向に
面が届かないことに我慢できなくなり、とうとう自ら催促にやって来たのです。

夜叉王は何度打っても未だ満足のゆく面が出来ない経緯を説明し、こう言います。

「わしも伊豆の夜叉王と云えば、人にも少しは知られたもの。
たといお咎め受けうとも、己が心に染まぬ細工を、世に残すのは、いかにも無念じゃ。」

「む、おのれ覚悟せい。」と、癇癪募った頼家はあわや太刀を抜かんとします。

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そこへ、姉のかつら、
「お鎮まりくださりませ。面は唯今献上いたしまする。」

かつらが差し出した面を見るなり、頼家は感嘆の声をあげます。
「おお、見事じゃ、よう打ったぞ。」
「さすがは夜叉王、あっぱれの者じゃ。頼家も満足したぞ。」

対する夜叉王、
「あっぱれとの御賞美は憚りながらおめがね違い。
それは夜叉王が一生の不出来。よう御覧じませ。面は死んでおりまする。」

何度打っても、死人の面しか出来ないのだと説明します。

けれども、大満足した頼家は面を持ち帰ると言い、ついでに夜叉王の娘かつらを
奉公人として連れていきたいと言います。

ようやく出世の夢がかなったと喜ぶかつらは、頼家について行きます。


北条により修禅寺に幽閉され、不遇な日々をおくっていた頼家は
かつらを側女に得たことで心の傷を癒やし、この地で幸せな生涯を送りたいと願います。

しかし、叔父の義経と範頼が父頼朝の咎めを受けて命を落とした例を知る頼家は、
「わが運命も遅かれ速かれ、おなじ路を辿ろうも知れぬぞ。」と言います。


ある日のこと、頼家とかつらが、桂川のほとり、虎渓橋の袂を散歩しているとき、
宵闇の中、草むらにつわものが二人潜んでいました。

北条時政の命で暗殺のためにやって来たことを頼家に見抜かれたつわものは、
「御機嫌伺いとして参上、ほかに仔細もござりませぬ。」と、すごすごと退散します。

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しかし、北条による夜討ちは、再びやって来ます。

頼家の命を救おうと、かつらは父が打った頼家の面をつけて頼家になりすまし、
群がる敵を相手に戦います。

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けれども、その甲斐なく、頼家は入浴中の不意を襲われ、
抵抗むなしく、23歳でその命を落とします。

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頼家の身代わりとなるために奮戦したかつらは、
深い傷を負いながらも、父夜叉王の家に辿り着きます。

「姉様死んで下さりまするな。」と泣く、妹かえでに対して、

かつらは、
「いや、いや、死んでも恨みはない。賤が伏屋でいたづらに百年千年生きたとて
何となろう。・・・・・ 出世の望みもかのうた。死んでもわたしは本望じゃ。」

かえで、
「これ、姉さま。心を確かに・・・・・。のう、父様。姉さまが死にまするぞ。」

夜叉王、
「おお、姉は死ぬるか。姉もさだめて本望であろう。父もまた本望じゃ。」

「幾たび打ち直してもこの面に、死相のありありと見えたるは、
われ拙きにあらず、鈍きにあらず、源氏の将軍頼家卿がかく相成るべき御運とは、
今という今、はじめて覚った。 ・・・・・
伊豆の夜叉王、われながらあっぱれ、天下一じゃのう。」

と、快げに笑います。
そして、続いて、

「やれ、娘。わかき女子が断末魔の面、後の手本に写しておきたい。
苦痛を堪えてしばらく待て。」

こう言って、筆と紙をとり、娘の顔を模写しようとします。

傍らで、修禅寺の僧が口のうちに念仏を唱えています。


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Posted by MIKO at

2009年11月15日

矢切の渡し - 野菊の墓

10日ほど前に「寅さん」ゆかりの葛飾区柴又に行ったとき、江戸川で「矢切の渡し」を
見てきました。

初めて行く場所なので、事前に都庁でもらってきた柴又の観光案内チラシを読むと、
矢切の渡しは、伊藤左千夫の小説 『野菊の墓』 の舞台となったと書いてありました。

柴又から帰るとすぐに 『野菊の墓』 を買ってきました。
高校時代、夏休みなどの推薦図書に名が挙がっていたような気がします。
ネットで調べてみると、度々映画化もされています。
かなり有名なお話のようですが、この年になるまで読んだことがありませんでした。

そもそも自分は小説というものをあまり読んだことがないのです。
ところが、ここ1、2年前から、小説を読んでみたいという気持ちがわいてきました。
何という心境の変化でしょうか。

年をとったせいかもしれません。
あるいはまた、近現代史に興味がわいてきたからかもしれません。
東進で、野島先生の日本史や、出口先生の驚異の現代文を受講してから、
明治、大正、昭和(戦前)の日本に興味を持ったのです。

近代化、合理化の波の中で、歴史舞台の陰にいた圧倒的多数の一般民衆が、
どのようなことを考えて暮らし、どのように日本を愛し、その文化を守ってきたのかを
小説を通じて知りたいと思うようになったのです。

とは言っても、こと近代だけに限っても数え切れないほどの小説があります。
それらを前にして、ああ、いったい自分はどこから始めたらいいのか!?と、
ろくに文学史を知らない私は悩みます。

そこで、こう割り切って考えることにしました。
「よーし、何でも良いから、きっかけを掴んでいこう!」と。
こうして、「寅さん」→「柴又」→「矢切の渡し」→「野菊の墓」となったわけです。
そして、その結果は、
・・・・・・・・・・・・・ 一晩で読みきったのですが、泣いたの何のって!!

布団の枕元の明かりを頼りに読んだのですが、ティッシュの箱を枕元に引き寄せ、
左手で引っ張り出しては目に当て、右手でページをめくりながら、読んだ、そして、
泣いた、泣いた。
そのままその晩は泣き寝入りしました。

なぜに、これほどまでに純粋で無垢な思慕があるの?
なぜに、それが報われなくて、あのような結末となるの?

町の中学に入るために渡し舟で遠ざかっていく政さんの姿を、矢切の渡しで
いつまでも見送る民さんのあわれな姿。それを見て涙を抑え切れない政さん。

明治の農村の人々の暮らしぶりと、山や畑の風景描写。
細部に渡る心理描写。素朴ながらも、効果的な小説の展開。

これは、単なる明治の悲恋小説では終わらないと思いました。
少なくとも、人生の大半をアナログ時代で過ごした自分には、
現代人の心をも捉えて離さない普遍性が感じられました。

ある散文の勉強会の席上で、この小説を自ら朗読した左千夫が、
いく度も泣いたことを、その会に出席していた高浜虚子が記していると、
巻末の解説に書いてありました。

左千夫自身が何度も涙にくれるというのは、似た経験があるのでしょうか。

いずれにしても、この短くも哀しい美しい小説にめぐり合わせてくれた
「寅さん」と「柴又」と「矢切の渡し」に感謝です。  
Posted by MIKO at Comments(4)