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2010年02月01日

親子の1月と2月

首都圏では今日の夕方から雪が降り始めました。
薄暗くなると同時にカーテンを閉めたので知らなかったのですが、
友だちからメールで教えてもらい窓を開けると、辺り一面が真っ白!

冬はやっぱりこうでなくっちゃね!
今まで暖冬過ぎて、冬の情趣が味わえませんでした。

もっとも、明日もまだ試験が続く受験生の皆さんには気の毒です。
明日の朝はダイヤ乱れを計算に入れて出発しなければいけないので
親御さんも大変です。

それに、たまの雪なら、素敵!なんて言っていられますが、
ずっと雪だったらウォーキングも出来なくなって、私も困ります。
今日はお昼のうちに、雨の中を少しでも歩いておいて良かった!

    

さて、ついこの間、年が明けたような気がしていましたが、
さすが、雪ともなれば、名実ともに如月の到来です。

駆け足のように過ぎ去った1月、いったい我が家は何をやっていたのか?!

子供は、お正月早々から小さな学習塾の講師研修を受け、
駆け出しの見習い講師として、小中学生のお勉強を見ています。

バイオリンは、基礎に立ち返って、奏法を研究中。

大学の期末試験期間なので勉強もしています。

昨日は単発でTOEICテスト本番のアルバイトをしました。

今日は、久しぶりにピアノのレッスンに出かけていきました。
大学生になってから帰りが遅くて家であまり練習できないので、
先生のお宅に行くと、毎回2~3時間ほどグランドピアノで思いっきり
弾かせていただくのだそうです。

母は、仕事がシーズンオフで比較的時間があるので、
度々ブログを更新しました。

さらに自分で作った小さな会社のスタッフの税金を納めたり、
支払調書や源泉徴収票を発行して市役所や税務署に郵送しました。

また、自分の生涯学習(高校の科目)も進めました。
荒巻先生の世界史Bの冬期講習「現代史」と、山岡先生の地理Bです。


【2月の目標】

子供は、大学の期末試験が終わったら、スノボーに行くようです。
でも、学習塾の仕事だけはしっかりとやって欲しいと思います。

こう書くと自慢話になりますが、中学受験でも大学受験でも
うちの子供は失敗と成功の両方を味わっています。

中高の間は、活発にあちこちに顔を出して大忙しの毎日だったので
勉強にまで手が回らず、したがってずっと落ちこぼれていました。
補習や追試のお世話になることも一度や二度ではありませんでした。

でも、だからこそ、勉強で困っている子や、部活で時間のない子など、
子供の気持ち、子供の立場になって考えられると思います。

何の失敗もなく優等生で過ごしてきた人には、出来ない子供の、
なぜ出来ないのか、勉強しない子供の、なぜ勉強しないのかが
きっとよく解からない。

その意味で、自分の子供は、子供たちの目線に立って一緒になって
考えられるのでは、良い先生になれるのでは、と期待しています。

母は、引き続き、世界史の現代史と地理を進めます!!

もちろん、今まで以上にウォーキングに励んで健康作りをし、
またお料理も少しずつ覚えていきたいと思っています。  

Posted by MIKO at Comments(10)

2010年01月01日

年頭の目標作り


明けましておめでとうございます。

旧年中は大変お世話になりました。

本年もよろしくお願いいたします。
 
tora



  MIKO 扮する「寅次郎」




毎年やることですが、
今年も年頭にあたっての心構えとして、
Things to Do リストを作ってみました!

漠然と頭の中で描いているだけでは忘れてしまうので、
こうして表にして、いつでも眺められるようにしておくのです。

2010年1月~3月
   

項目

 細目

やること

家事

掃除・整頓

掃除機(毎日)
曜日により各部屋・箇所を重点的にチェック

洗濯・衣類

天気の良い日は必ず布団を干す
取り入れた洗濯物はすぐに収納する

買物・料理

献立を考えてから買物に行く
雑誌からレシピを切り取って整理する

家計・管理

ゆうこ家計簿を再開する(リセット) 

育児

育児・教育

朝起きること、時間の使い方、整頓

会社

会計・総務

精算、請求関係は速やかに処理する

実務

短時間で集中的に (だらだらとやらない)

通訳ガイド

資料

使った資料は直ぐに元の場所へ戻す
必要最小限の資料に減らすこと

知識・技術

テーマ別プレゼンテーションの見直し
流れ、語彙、肉付け

勉強

地理B

山岡「地理B」1学期

世界史B

荒巻「近現代史」 ⇒ 新規
荒巻「スタンダード世界史B」 復習

日本史B

野島「スタンダード日本史B」 復習
駿台文庫「日本史講義・時代の特徴と展開」
⇒ 読み直す
学研「石川の日本近現代史入門」
⇒ 読み直す

地学

啓林館「高等学校 地学Ⅱ」 ⇒ 新規

数 1A

新 高等学校対応(標準) 復習

漢文

三羽「漢文基礎トレーニング」
(句法&基礎知識の完成)

漢字

出口「パーフェクト漢字」 ⇒ 毎日1ページ
教養

読書

明治・大正・昭和初期

趣味

バイオリン

スズキ4巻
A-Moll 1&3楽章
ドッペル 2nd
テンポで(メトロノーム使用)

健康

ウォーキング

毎日、最低 20分、出来れば60分


実施チェックリストも、いつも作っています。

今使っているのは、エクセルA4 1ページで1カ月分。
細目ごと、実施日ごとに、判子を押す場所を設けています。

判子も小さくて可愛いものを沢山持っています。
例えば、うさぎ、クローバー、さくら、ダルマ、ト音記号、お家、など

これは、またいつかご紹介したいと思います。


いつも、やる気満々で始めるのですが、
春の旅行シーズンが始まると、忙しくてうやむやになってしまうのが
常でした。

今年は、何とか継続のための工夫をしたいと思います。 


  
Posted by MIKO at Comments(19)

2009年06月21日

生涯学習に疑問符?

最近、親しくお世話になっている方から私の生涯学習の在り方について
ご意見をいただきました。

この年齢で、「広く浅く確実に」に勉強して、苦手な数学と格闘してまで、
今さら広く国公立大学に入学することにはあまり意味がないのではないか、
それよりは、好きな科目のひとつを掘り下げて、1科目の聴講生を目指さないかと。

この点について、実はずっと悩んでいます。

☆ 数学を始めた理由

数年前に息子から、
「お母さん、数学をやらないで一生を終わるつもり?死ぬまでに絶対にやって!」
と言われて、のぞいてみようと思ったのがそもそものきっかけです。

そこへ、高校時代に数学を捨てたことに対する悔しさと、国公立大学を
受験するためには数学が必要という事実が重なり、数1Aを始めました。

面白くて、いったんやり始めると、半徹夜で5~6時間没頭することも。
この様子には息子も呆れて、「俺より勉強してる」とつぶやきました。

ただ、平均すると、3ヶ月に一週間くらいの周期で訪れるこの「数学熱」は
じきに仕事や雑事に邪魔されて、また数ヶ月の間、中断します。

再開すると、計算用紙何十枚も使って勉強した内容をきれいに忘れています。

と、まあ、こんな調子なので、いつまで経っても白チャートすら終わりません。
ただ、嫌いではないのです。やっているときは楽しくて、楽しくて・・・。
何で、これを昔は捨てたのかしらと不思議に思うくらいです。

☆ 国公立大学

ひろじぃさん同様、私の志望校は東大文三でした(です?)。
日本と朝鮮半島・中国との交流史、またはチベットかトルコに重点を置いた
アジア史を勉強したいのです。

早稲田大学の文化構想学部にも同様の勉強ができる科があるのですが、
息子にお金がかかるときに、母親までが私学に行く余裕はありません。

公立では首都大学東京にも同様の科があるので、視野に入れています。

息子は、私が文化史をわざわざ大学に入ってまで勉強することに反対し、
「政治経済学部に行って、広く世のために捧げられる新しい仕事を見つけて。」
と言います。

自分個人や特定の会社の利益のためではなく、広く世のために生きること。

すでに3つの仕事を持ち十分に忙しい母に向かって子が与えた課題です。
そしてこれが実現できたら、母のことを心から尊敬してくれるそうです。

☆ 大学院 or 学士入学 or 社会人入学

私が休みながら(さぼりながらも)某大な数の科目をやっているのを見て、
「いっそのこと大学院から入ったら?」とか、
「学士入学や社会人入学があるじゃない?」という人がいます。

私には大学院から入れる学部がないのです。
独文を卒業しているので、同じ独文なら大学院だって、ちょっと頑張れば
入れるかもしれません。
でも、私がやりたいのはアジアです。西欧とは25年ほど前に決別しました。

☆ センター試験

センター試験は、高校レベルの内容を「広く浅く」勉強するのに最適です。

大学院入試や学士入学や社会人入学にしたくないのは、ひとつには
センター試験を通過しなくても入れるからという点があります。

つまり、専門科目と語学さえ出来れば入れてしまうのでは、
40年前の私から何ら進歩していないことになるからです。
私の失われた過去を取り戻すには、全科目勉強するしかないのです。

☆ 二次試験対策

これには大きな価値を見出しています。現在までに社会科だけでも、
日本史B、世界史Bをやり、さらに今年は地理Bを加えました。

地理Bを加えたのは、息子が、
「地理は絶対に勉強して!地理をやることで世の中のことが見えてくるから。」
と、強く勧めるからです。

大学受験計画が、仕事や雑事にまぎれて、ともすると影を潜めてしまいがちなとき、
「数学がそんなに進まないなら、いっそ、社会科系を全科目、完璧にすることを
目標にしたら?」と息子から言われたことも理由のひとつです。

それにしても、東大二次の論述対策、社会科だけでも大変そうです。
私の場合、たとえ大学を受験しなくても、社会科は勉強したことがただちに
仕事の現場で役立つので、二次対策には特に興味があります。

☆ 将来性への疑問符

私にとっての大学受験、それは

国立コンプレックスからの脱出。より具体的には、
受験数学を克服し、一問一答式勉強から理解し記述する勉強に変える、
この2点により、自分の力を試したいこと、

一般教養および好きな分野の講義を大学レベルで受講したいこと、
もう一度キャンパスライフを楽しみたいこと、以上です。

これでは、子が母に与えた課題「広く世のために」にはつながりにくく、
単なる自己満足としか映りません。

ましてや、国民や住民の税金で勉強させてもらう国公立大学に入ったなら、
何らかの形で世に恩返しをしなくてはなりません。
いえ、私学だって国から多額の助成を受けているのだから同じことです。

アジア史を勉強したら、アジアのどこかで何かに貢献できるのかしら?
自分でNPO法人を立ち上げて、(一例を挙げると)アジアの少数民族の権利のために
奔走するしかないのかなあ?

こんなに悩んでみても、果たして、受験までたどり着けるのかなあ?

仮に受験して合格したとしても、本当に通えるのかな?
学生生活と仕事を両立できるのかしら?

????? 悩みは尽きません。
  
Posted by MIKO at Comments(10)

2009年04月22日

受験に年齢は関係ない

10日間のツアーから戻ると、再び書類の山に囲まれることになりました。
とにかく家にはものが溢れ過ぎなのです。
本当はものをあまり持たず、すっきりとシンプルに過ごしたい性質なのに、
現実はまったく逆です。

子供の本、プリント、お知らせ、小学校以来未整理の写真、
私の参考書、問題集、プリント、未開封の郵便、年賀状、請求書、
日本全国のガイド資料、
会社の注文書、請求書、支払書類、税務書類、
新書、文庫本、楽譜、雑誌、語学CD、新聞など・・・

多種多様で行き場所がすぐに見つからないものがそこら中にあります。

ガイド資料用には透明のFitsケースを何段も購入してあり、
その中に、地域別にA4の封筒に入れて並べるようにしたのですが
ツアーが続くとそのうちに資料がごちゃごちゃに混ざり合ってしまいます。
今回も長崎の資料が見つからず大パニックの果てにようやく見つけました。

本や書類の整理術に長けている人がいれば、
項目別に収納のコツを教えていただきたいものです。



やっと家に帰ったのだから、片付けばかりに時間を取られていないで、
すぐにでも好きなことを始めたいという気持ちでいっぱいです。

今年は東進衛星予備校で、地理Bと世界史B「冬期講習:現代史」を
申し込みました。
ところが、今日、長崎から飛んで帰るとき、とても晴れていたので
九州と四国の地形がくっきりはっきりとよく見えたのです。
そこで、いよいよもって地形への憧れが増してきて、
今年こそは地学も受講したいという気持ちを隠せません。

首都大学の都市教養学部に地理と地学がかぶったような学科があり、
そこで学ぶと3年次から自然・文化ツーリズムコースに進級できます。
私ってもしかしたらそこを受験したいかも?と思って調べてみると、理系でした。
物理と化学と数ⅢCが受験科目にあるようです。

私は、日本の地理/地学、もしくは、日本と大陸(朝鮮、中国)の交流史、
あるいは日本の近現代史などを大学で勉強したいのですが、
息子はそれよりも即、世の中のために役立つことを勉強したら?と言います。

つまり、国際政治経済などを勉強して、語学力を活かして、
国際平和に役立つ仕事を見つけるのがいいと言うのです。

私がやっているガイドも国際平和にほんの少しは貢献していると思うのですが、
そんな一部の裕福な旅行客相手ではなく、本当に困っている人たちのためになる
仕事を探せということなのです。

こんな年とったオバサン相手に、そんな果てしない夢のようなことを
本気で(!)言ってくれる息子には、驚くと同時に感心します。

また、あるとき、こんなことも言いました。
(私が一年以上前に志した数1Aをいまだに終了できない姿を見て)

理数系がそんなに苦手なら、いっそ、社会科系の科目を全部、
完璧(!)にしたら?

要するに、日本史、世界史、地理、政治経済などを、
東大の二次の論述レベル(!)まで持っていけということです。

こんなオバサンにも某かの希望を持たせてくれる息子には感謝します。



40前で大学受験めざして予備校に入学した人のブログ「オバサン受験生☆★
来年、桜が咲くといいな」
を見つけました。

44才で東大を目指す人のブログ「44才・喫茶店主の東大挑戦記(目下停戦中)」
もあります。

また、東大生と受験生の母である受験の女王様クイーンさんが、
30代で旧大検から今年東大に入学した人のブログ「三十オヤジの東大キャンパス日記」
を教えてくださいました。

こうして私は53歳で、また東大生になったまた、勤務医の身で、
少し前に53歳で再び3度目の東大入学を果たした人もいます。

これがその人の書いた本です。
こうして私は53歳で、また東大生になった

実は、この本は店頭で偶然見つけて面白そうなので買って読んだところ、
後になって、息子の後輩のお母さんの知り合いだということがわかりました。

そう言う後輩のお母さん自身も、50代で女子大に入学し
(在学中は娘くらいの年齢の学生と体育の授業も楽しんだそうです)、
卒業後はその専門分野を活かして就職活動の末、昨年無事就職しました。

二昔前の音楽界を知る人ならきっと覚えている小椋佳さんも、
第一勧業銀行のサラリーマンをやりながらの歌手活動の傍ら、再び東大に戻って
法律を勉強し直したり東大の文学部哲学科に進まれたりしています。

芸人学生、僕が学びつづける理由宮崎県知事のそのまんま東さんも、
仕事の傍ら、早稲田大学の第二文学部と政治経済学部で
勉強を続けられました。
その体験をこんな本にまとめています。
芸人学生 僕が学びつづける理由


最近のYahoo News(配信;産経新聞)には、阪神・淡路大震災で娘さんを
亡くされたお母さんが二胡を通じて中国と交流の末、正式に勉強をしようと思い立ち、
受験勉強を経て、56才でこの春、神戸外国語大学の中国学科に入学されたという
記事がありました。

私はニュージーランドに住んでいたとき、オークランド大学
正式な手続きを踏んだ聴講生としてドイツ語学科の授業を取っていました。
そのときクラスメートのうち5~6人は中高年だったように思います。

中国には老人大学さえあると噂に聞いたことがあります。

その気になりさえすれば、そのときがスタートだと思います。

大学とは18、19の若者が行く場所だと一般的に思われているのは
日本独特の傾向なのでしょうか。
  
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2009年03月18日

東進のVOD受講

ここ4日連続で、やや深刻なテーマを扱ったので、
書いた本人がちょっと疲れました^^;

一区切りつけるぞ!と思って勢いで突っ走ったのですが、
読んでくださった方には重苦しいなあと感じられたかもしれません。

そこで、今日はがらりと気分を変えて、私が2007年の秋からやっている
東進ハイスクール(東進衛星予備校)のVOD受講
ご紹介したいと思います!

東進の回し者ではありませんので、くれぐれも誤解のありませんように。

そもそも、VODという言葉を聞いたとき、
「えっ、それ何だ?」って言うくらい、受験業界の新しい試みについて
無知な私でした。

これ、VIDEO ON DEMAND、つまり、パソコンでいつでも受けたいときに
何度でも好きなだけ一流講師の授業を受けられるシステムなんです。

朝6時から夜中の1時半まで受講のログインができます。
高校生は最寄の校舎で受講するのですが、近くに教室がない人や、
部活やお稽古事などでなかなか教室に通えない人のために開発されました。

私みたいに、仕事を2つか2つ半位もっている社会人には
「待ってましたー!」の学習法です。

このシステムのメリットをいくつか挙げてみます。
1. 自分の都合の良いときに受講できる
2. 同じ講座を何度でも受講できる
3. 高速学習ができる(1年かかるものを3,4ヶ月でやることも可能)
4. 一流講師の熱のこもった授業を自宅で受けられる
5. 各回ごとに確認テストを受けて進み、中間、期末、終了試験もオンラインで
6. いつでも画面を一時停止できるので、ノートを取る時間がたっぷりとれる
7. 授業の途中で来客があっても、後で、続きを受講できる

とまあ、いいことづくめなのです(^^♪

ところが、簡単には受講できない。
つまり、入学したくても、コンピューターのシステム上の理由で、
生年月日が入力できない、つまり、そんなに昔の西暦が選べないのです(泣)

どうしても受講したかった私は、校長にかけ合った末、本部に照会してもらい、
以下の条件の下で正式に許可され、晴れて、学生証を手に入れました\(^o^)/

1. 教室にやってきてウロウロしない(高校生の邪魔するな)
2. 講師は高校生相手に見下し目線で話すので、バカにされた!と怒らない
3. 質問状を出しても、回答は高校生相手の書き方で返ってくる

さて、肝心の費用ですが、これが、まあ安くはないです。
私みたいに張りきってたくさんの科目を申し込んでしまうと、
ん十万とかかってしまいます。

ですが、ものは考えようです。
1回あたりの受講料は高く見えても、何度でも受けられるわけですから、
回数で割れば安いものです。
実際には、私の場合は、時間がなくて、大抵1回限りですが(泣)

でも、本物の対面授業だと、それこそ本当に1回きりですよ。
しかも、都合が悪くてお休みしたら、二度と受けられません。
それに、ノートを取っている間にも先生はどんどん進みますから、
大事なことを全部メモしている余裕はないですよね。

あと、大事なことを書き忘れていました。
毎年、3月31日が受講期限です。期末、終了試験は多分4月10日頃まで。

で、私の現実はどうなっているかと言うと、まだ沢山の授業を
残しています。期限までに受けないと受講料が無駄になります。
4月からまた同じ授業を受けたければ、再度申し込まないといけません。

ですから、検討中の方は、くれぐれも計画的に。
私のように、毎年年度末になると大パニックなんてことにならないように。

ちなみに、私は昨晩から会社の仕事で徹夜し、今日は朝からガイドに出かけ、
帰ったら、東進の授業を90分x2コマ受講する予定です♪
(いつ寝るのか?はい、昼寝もしますので・・・)  
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2009年03月17日

国立コンプレックス-4 躍動

子育てにおいて、おそらく母親があれほどまでに関われる大学受験という関門を
経験した今、自分の中に巣くっている国立コンプレックスの謎解きを総整理して
みたいと思います。

あのいじめっ子たちを見返すためにどうしても必要だと思った学歴。
それは、名古屋に住む私にとって、名古屋大学でした。

本山から八事へと続く広々とした四谷通りと山手通り。
東山の自然に抱かれたあの静かな一帯には、あの頃から瀟洒なマンションや
高級住宅と並んで数々の大学が点在し、アカデミックな街を形成していました。

中でも、広大なキャンパスに立ち並ぶ名古屋大学の建物群は、
学問の殿堂として、見る者を厳粛な気持ちにさせる崇高な輝きを放っていました。

高校1年生の頃、名古屋大学で学ぶことを想像しただけで身震いしたものです。
生徒手帳の奥に、「名古屋大学 合格」の文字を書きとめ、秘かに夢見ていました。

それほどまでに憧れた大学をなぜ簡単に諦めてしまったのか。
なぜ、いとも簡単に私大文系に転向してしまったのか。
そして、「記念で良いから早慶の文学部を受けたい」などと我侭を言ったのか。

学生紛争がもっとも激化した年、東大が入試を中止したあの年に
高校2年生だった私は、何をやるでもなく、ただ単に感傷に浸って、惰性で
毎日を過ごし、目の前にある現実を直視することができませんでした。

命を賭けて日本の未来のために闘ったあの勇敢な学生達と比べて
何と乏しいエネルギーとヴィジョンしか持ちあわせていなかったのでしょう。

これからの女性は手に職を持てるよう、勉強して学歴をつけなくてはいけないと
あれほど願っていた父に反して、せっかく与えられた勉強の機会を無駄にした私。

夢を実現するための努力が出来なかったこと。
それに対する後悔の念が積み重なって、避けようのないコンプレックスが
出来上がっていきました。

だだし、誤解がないように付け加えると、私のコンプレックスは、
単なる「国立ブランド」に対するものとはわけが違います。
また、単に少女時代の感傷をいつまでもだらだらと引きずっているものでも
ありません。

というのも、ここからが大事ですが、国立大学の受験を諦めたことが、
その後の人生で、意外な結果と発見をもたらすことになったのです。

結論を先に言うと、多数の科目をやらずに、私大文系型の勉強に傾いたことにより、
かなりな度合いで基礎的な知識が欠如したまま人生を送ることになったのです。

これは、特に、ガイドの仕事をする中で痛感しました。例えば、
- 高野山で空海や遣唐使の話をするとき、
- 飛騨の合掌造りで養蚕の話をするとき、あるいはまた
- 日本の気候、降水量、地理、日本列島や火山の成立ちを話すとき、

掘り下げて話そうとすればするほど、高校の日本史や地理、地学の基礎知識が
不可欠になってくるのです。また、日本事情をよりわかりやすく説明するために、
外国の事情と比較しようとすれば、世界史の知識も必要になります。

それも、一問一答レベルではなく、深い理解を伴う知識です。
そういったレベルの入試問題を課すのが国立大学です。

息子の東大入試を見守る中で、しみじみ思ったのですが、
科目を問わず、ひとつひとつの事象を深く読み取り、自分のものとして咀嚼し、
それを的確に論述できる力、これこそが本物の勉強であり、大人になってからも
何かを本気で始めようとすれば、そのとき真に役立つ勉強です。

このことに、自分が高校生のときには気付いていませんでした。
私大文系のために科目数を絞っただけでなく、その僅かな科目においてすら、
そこまでの深い理解はできていなかったのです。


私が息子の東大不合格により落胆したことのひとつには、これだけ多くの科目を
勉強したのにも関わらず、もし私大に行くことになれば、私と同様に少ない科目しか
勉強しなかった学生と同様に扱われてしまうことへの悔しさがありました。
しかし、勉強したことは、人がどう思おうと、息子の財産となっていることは
確かなので、このような卑屈な考え方は捨て去るべきだという結論に達しました。

さて、話を戻しますが、ガイドの仕事をきわめようとすればするほど、
問題は語学ではないということがわかってきます。内容を気にするのではなく、
発音や流暢さの方を気にしているうちは、単なる語学バカに過ぎないのです。

世界史の荒巻先生が授業の中で次のようなことをおっしゃっていました。
「最近の日本の学生は英語しか勉強しない。英語でいったい何を話すのか。」

その通りです。英語だけやっていてもしょうがないのです。
話すべき内容を持っていなければ、相手は耳を傾けてくれないのです。

養蚕の話をするときに、明治時代に生糸の輸出で外貨を稼ぎ、それが
来るべき日本の産業革命を推進する原動力となったという経緯まで話せたら、
お客様は身を乗り出して聞いてくれるでしょう。

遣唐使の話をするときに、何千人もの貴重な人命の危険を冒してまでも、
荒波を越えて唐まで繰り返し使節を派遣しなければならなかった、
その驚くべき事実の背景にあった、当時の唐の文化水準の高さと、
そこから学んだことが後の日本に与えた影響の大きさ、こういったことまでを
詳しく話せたら、聞く人の心に訴えるでしょうし、自分もやり甲斐を感じるというものです。

ガイドの仕事で企業訪問をするとき、まれに工場見学やその後の質疑応答で
通訳をやらされることがあります。そんなときには、例えば、工作機械を前にして、
多少の物理の知識も必要です。

また、清酒工場に行けば、お酒が出来るまでの工程を説明しなければならず、
多少なりとも生物や化学の知識があれば助かります。

専門的なことまではわかりませんが、その入口程度でも話に加われるためには、
まったくの理科嫌いでは始まらないのです。

不勉強だったことのツケは意外なところに回ってくるものです。

「国立コンプレックス」は、私の場合、決して見苦しいままで終わらず、
夢に向かって努力できなかったことに対する謙虚な反省を促し、今からでも諦めずに
努力していくための強力なバネとなってくれるでしょう。

(終わり)  
Posted by MIKO at

2009年03月16日

国立コンプレックス-3

「お前んち、いつピアノを買うんだ?
5年生になったら買ってもらうって言ってただろ!うそつき!」

ことあるごとにそんなことを言うガキどもがクラスにいたのです。
学校の成績さえ良ければ、こんな仕打ちは受けないに違いない。
そこで、小学校5、6年生のとき、頑張って勉強しました。

その結果、あるとき、社会でクラスの最高点を取りました。
父が仕事から帰ると、毎日のように、地球儀や地図や年表を出してきて、
クイズ形式で社会科ごっこをやってくれていたおかげです。

社会科の先生が、
「今からテストを返す。最高点は98点。さあ、誰かわかるか?」
とクラスに問いかけます。

「Aさんだ!」
「違う、Bさんだ!」「C君に決まってるよー!」

子供達が口々に勉強が特に出来る子の名前を挙げます。

社会科の先生は、ちょっと間をおいてから、おもむろに、
「MIKOだ。MIKOが最高点だ。MIKO、よく頑張ったな。」

生まれて初めてみんなの前で先生に誉められて思わず顔を赤らめる私に、
すかさず、
「カンニングだ!」と野次が飛びます。

傷つきましたが、こうゆうことは何故か親に言えなくて、
子供心にも親が気の毒に思えて、黙っていました。

勉強の方は、どの科目も工夫して楽しく教えてくれる父のおかげで、
どんどん楽しくなってきました。

そんな父が、私の小学校時代に2度も肺結核で倒れたのです。
2度目に再び1年間の予定で入院したときは、私も色々なことがわかるように
なっていたので、入院の荷物を抱えて母に付き添われて家を出ていく父の
後姿を追いかけて、泣いて見送ったものです。

「ちゃんと治って帰ってくるから心配するな。
父ちゃんみたいに体が弱い上に、親が早く死んで、おまけに戦争中で
学校にもろくに行けなくても、市に勤めているおかげで
長い間休んでもクビにならず、何とか暮らしていける。

お前は学歴をつけて、いつか手に職を持てるように、
父ちゃんが入院してる間も頑張れ。」

そう言って、出かけていきました。

こんなに頑張ってる父ちゃんなのに、私のこといじめる子たち、
絶対に許せない! 

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

中学校での勉強の失敗を経て私立高校に入ったとき、再び真剣に思いました。

勉強で見返してやる!
名大に入って、あのときの、あのいじめっ子たちを見返してやる!!!


でも、意志の弱い私は多過ぎる受験科目を結局やり遂げるところまで
いきませんでした。

私の記憶では、確か、当時は、名大の文学部でも、
数ⅠA、ⅡB、国語、英語、社会2科目、理科2科目を課していたように思います。
共通一次もなかった時代ですから、いきなり3月の頭に国立一期校の試験が
あったように記憶しています。

学生紛争で東大入試が中止されたために、京大や名大に流れた先輩たちの
1年後の進路が、中日新聞の東大合格者名一覧で判明したりして、
ああ、あの先輩もこの先輩も!と驚きを隠せない反面、なるほどなと
複雑な気持ちで感慨にふけったものです。

余談ですが、東大入試中止のために名大に進学したある先輩(小学校のとき
生徒会役員で、かっこいいのでMIKOが密かに憧れていた)は、
翌年東大を受験せず、名大でその後の研究分野を決定づける良い教授と出会って、
現在、名大の教授になっています。

また、最近テレビでよく見かける、政治学者で東大大学院教授の姜尚中氏
(著書『悩む力』が話題沸騰中)も、この東大入試中止により早稲田の政経に
進まれました。

そんな学生紛争真っ只中の時代に、感傷に浸り、勉強が手に付かなかった私は、
私立→私立という、父がもっとも望まない道をたどることになりました。

小・中学校時代の同級生が、東大、京大、名大をはじめとする旧帝大に
進学していくのを見て、私の中に国立コンプレックスが形成されていきました。

何より、家に泊ったりして、少女雑誌やレコードを貸し借りし、
着せ替え人形の洋服をデザインしたり、ビートルズ来日に興奮したりした
仲良しの子が、東大文Ⅲに入学するため上京してしまいました。

手の届かない遠いところに行ってしまったようで、
もう共通の思い出を語り合える相手ではないと思えてきました。

また、大学4年生のとき、初めて出席した中学校の同窓会で
東大法学部4年生、某メガバンクに就職が内定していた子から、

「中学のとき、君っていたっけ?覚えてないなあ、目立たなかったんだね。
でも、いい子だね。」

とデートに誘われました。
舞い上がった私は、名鉄電車で知多半島へ。
海岸を歩いているとき、急にぽつりと雨が降ってきました。

「雨宿りしよう」と言う彼に、「これくらいの雨、平気」と私。
「いや、育ちのいい人は雨に濡れたりしない。僕はそう育てられた。」

夏休みが終わり、9月、
「じゃあ、東京に戻る。冬休みにまた連絡するね。」

と言って去った彼から、二度と連絡はありませんでした。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

その後、幾多の苦難を経て、高齢でひとりの子の母となったとき、
コンプレックスや、母子家庭のハンディを背負わせないためにも
国立大学に入れる子を育てようと誓ったのでした。

そのとき、私の子育ての具体的なイメージとなったのは、
小中学校時代にとても気になっていたある男の子でした。

今は亡き著名な物理学者の息子。
性格がすこぶる良く、運動ができ、バイオリンの名手。
中学校のときは、休憩時間に、クラシック好きの別の男の子と
ブラームスの交響曲のスコアなんかを手にして、楽しそうに音楽談義。
そして、現役で京都大学の医学部へ進学。

その後、京大オケでコンマスをつとめていると人から聞きました。

小学校の教室で、放課後、その子の楽器ケースが置いてあるのを見て、
どうしてもバイオリンを触ってみたくて、恐る恐るケースの蓋を開けたときの
感動と罪悪感を今でも忘れません。

息子のバイオリンのこともあり、いつか連絡をとりたいのですが、
あまりにも育った環境や学歴が違うことから、どうしてもその勇気が出ません。

バイオリンが弾けて、運動もできて、国立大学に入れる子。
性格が良く、友達がいて、人生を楽しむことのできる子。
私がいなくなっても、自分の力で人生を切り開いていける自立した子。

それが、私の子育ての最大の目標となりました。

そして、その一つ目の関門が、バイオリンの上達。
それはうまくいったようです(プロを目指すなら、また話は別ですが)

次の関門が中学受験。
それもうまくいきました(運のおかげもありますが)

そして、(多分母親がこんなに関われる)
最後の関門が大学受験でした。

(国立コンプレックス‐4に続く)
  
Posted by MIKO at