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2016年05月26日

如水会ウォーク&スタディ2-東京都埋蔵文化財センター

5月22日(日)、如水会の支部イベント2は、東京都埋蔵文化財センターへ。
何年か前に自分でも行ったことがあるのですが、
今回は学芸員の方から解説を受けることができたので大変勉強になりました。

我が家から見えるのと同じ富士山と丹沢山地を望む多摩ニュータウンの上に
展示されている棒グラフが、時代ごとの遺跡の分布を示しています。
真ん中より左の、赤やピンクが緑が、縄文時代
真ん中より右の、紫系が、奈良・平安時代

これからわかるように、弥生時代と古墳時代には人口が激減し、
奈良時代から平安時代にかけて、人口が急増しています。

画像の下の平らな丘は、竪穴住居のある縄文集落のイメージ図です。

tamanewtown



























『南多摩 発見伝 丘陵人の宝もの(遺跡から見た多摩丘陵の歴史)』
という特別展に焦点を当てて解説を受けました。

flyer






















出土品の中で特に印象に残ったのが、つい先ほど歩いてきたばかりの
稲城市大丸の大丸城跡遺跡から発掘された、経筒とその中身です。

末法思想が流行した平安時代の11世紀ごろ、上流階級の人々は、
こぞってさかんに写経をして、筒や甕などに収めて、祈ったと言われます。
そのルーツは藤原道長に遡るようです。

写真下、手前に見える、ギザギザしたものが、大丸城跡遺跡で見つかった
経筒の中身、つまり写経されたものです。
写真では分かりづらいのですが、実物でははっきりと文字が見えました。

kyozutsu























それでは、外に出てみましょう。
縄文時代の竪穴住居が並んでいます。

tateana
















竪穴住居の中で焚き火を囲んで座ります。
縄文人の一家団欒を思い描いてみましょう。

tateanafeuer

















屋根の内側はきっとこんな感じだったのだろうなあと想像してみます。
屋根は萱で葺いていたとしても上に土をかぶせていた可能性もあるそうです。

縄文時代の平均寿命は男性30歳前後、女性25歳前後と推定されているとのこと。
女性の寿命が男性より短いのは、お産のせいではないかと想像します。

竪穴住居内部2s


















多摩は、防人、東国武士団、鎌倉滅亡、新撰組など、さまざまな歴史が残る
興味の尽きない土地です。これを機に、さらにこの地区を隅々まで歩いてみたいと
心から思った次第です。

イベントの締めくくりは、多摩センター駅のお寿司屋さんでの懇親会。
昼からビールやお酒を飲んで、お寿司屋さんのフルコースを楽しみました〜

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2016年05月24日

如水会ウォーク&スタディ1-稲城市大丸

5月22日(日)、如水会(一橋大学の後援会)の支部イベントで、
稲城市大丸の大丸用水、大丸城址遺跡、大麻止乃豆乃天神社などをめぐり、
多摩市落合の東京都埋蔵文化財センターを訪問しました。

大丸用水とは、多摩川から取水して川崎市登戸まで流れる用水で、
江戸幕府の年貢の増収を目的とした大規模な治水・利水政策の一環として
17世紀頃に開削されたようです。

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南武線南多摩駅のあたりで分水。方角を変えて川崎方面へと流れていきます。

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国土交通省選定「都市景観100選」に選ばれた素敵な住宅街である
向陽台へのかなり勾配のある道は自分の日常的なウォーキングコースですが、
そこから一歩中に入りこんだ道を歩くのは初めてのことでした。

大麻止乃豆乃(おおまとのつの)天神社という延喜式内社と伝承される
神社が鎮座していました。参道は長い急な階段になっています。
拝殿のまわりの鬱蒼とした雑木林は、目と鼻の先に多摩ニュータウンの
街並みが広がっているとは俄かには信じがたい、別世界。
拝殿からは木立の間から新宿副都心と東京スカイツリーが見えました。

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さらに10分も歩くと、大丸城址遺跡の案内板にぶつかります。
ここは多摩川を望む丘陵の突端に位置し大変眺望がきくことから、
軍事上の要衝として城が築かれました。

多摩ニュータウンの造成工事に伴う第三次発掘調査(1980-1986)により、
縄文時代から近世に及ぶ大規模な複合遺跡がここで発見されました。
とりわけ15基も発見された奈良時代の窯跡の場所では須恵器と瓦が焼かれ、
中でも11号窯では、武蔵国分寺創建期の瓦が焼かれていたそうです。

武蔵国分寺は金堂・講堂・七重塔をはじめとする七堂伽藍を備えたお寺で、
金堂だけでも約10万枚の瓦が使われたといい、そのためその創建期には、
武蔵国分寺から近いこの大丸で焼かれた瓦が供給されていったそうです。

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2015年05月24日

渋沢史料館 - 近代紡績と産業革命

5月20日(水)、北区西ケ原、飛鳥山公園にある3つのミュージアムのひとつ、
渋沢史料館に行ってきました。
渋沢とは - 言わずと知れた、渋沢栄一です。

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JR高崎線の深谷駅から「渋沢栄一生誕の地」という大きい文字が見えます。

有名な深谷ネギはさておき、深谷名物の煮ぼうとうも、袋の表に、
「渋沢栄一も愛した煮ぼうとう」などと書かれた製品があります。

深谷の血洗島という恐ろしげな名の村の、養蚕と藍玉製造の豪農に生まれ、
幕臣となり、維新後は大蔵官僚を経て、日本の産業革命と会社設立ブームを興した
渋沢栄一、その生涯に興味を持ったので、行ってきました。

ちなみに、血洗島付近は、渋沢翁にちなんで、「論語ハイキングコース」と
なっているそうです。是非歩いてみたいものです。それは、ともかくとして、

こちらは、西ケ原の飛鳥山の史料館の向かいにある青淵文庫。
栄一の傘寿(80歳)のお祝いに竜門社(現・渋沢記念財団)から贈られた
書庫としての建築物です。

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青淵文庫に入ると、ステンドグラスが印象的です。
ステンドグラスには、渋沢家の家紋をモチーフとしたデザインが
施されているとのことです。

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こちらは、晩香蘆。
栄一の喜寿(77歳)を祝い、清水組(現・清水建設)から贈られた洋風茶室。
訪れた賓客をもてなすために利用されたそうです。

この2つの現存する建物を除き、すべて、1945年4月の空襲で焼失しました。

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晩香蘆の外の庭に立つ、「近代日本経済の父」渋沢栄一像。

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5月31日(日)までの企画展は、「企業の原点を探る」シリーズより、
「近代紡績のススメ - 渋沢栄一と東洋紡」

日本の産業革命は、製糸業による生糸の、主としてアメリカ向け輸出で稼いだ
外貨を元手にして、綿紡績業によって実現しました。

その中心となったのが、東洋紡の前身である大阪紡績と三重紡績です。
動力に蒸気機関を用い、1万500錘で昼夜運転、二交代制で操業し、
1880年代後半の産業革命をもたらしました。

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常設展は、栄一の事績や思想、生きた時代についての詳細な展示です。
若い頃、攘夷の志士の影響を受けて、横浜焼き打ちなど過激な計画を立てた栄一。
(これは兄弟や親戚の反対により未遂に終わっています)

その後、将軍慶喜に仕える幕臣となり、1867年、パリ万国博覧会へ。
従兄などは彰義隊に入って戊辰戦争を戦ったそうですが、戦後、栄一は、
維新政府の一員として、大蔵省に勤務。

その後、大阪紡績、第一国立銀行を始めとする500社にのぼる株式会社の設立、
経営指導に尽力し、1880年代後半の「会社設立ブーム」と産業革命をリードし、
近代日本の経済社会の基礎を築いたというわけです。

余談ですが、新撰組の近藤勇や土方歳三との気さくな会話もあったというから、
30代で命を失った者と、91歳まで生きた者との差が、歴然としてきます。

ちなみに1931年、栄一死去の折、当時の朝日新聞に掲載された、
井上準之助(血盟団事件で没)、高橋是清(二・二六事件で没)からの弔辞が
展示されていました。

また、エジソンから栄一に宛てられた英文手紙の展示などもあり、
最低でも1時間は過ごせる、充実した展示内容です。

ところで、渋沢栄一は、江戸時代に神道無念流の剣術を学んでおり、
同じ流派で学んだ人の中には、芹沢鴨、永倉新八、伊藤甲子太郎ら、
新撰組のメンバーや、桂小五郎、渡辺崋山、藤田東湖らが名を連ねています。


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2012年07月30日

文系、理系って? 駿台全国マーク模試を終えて・・

7月29日、駿台全国マーク模試を受けてきました

ここ2ヶ月ほど旅行の連続で、勉強時間がゼロだったとはいえ、
それにしても、点数を公表できないほどの酷い結果です。 ごめんなさい!

唯一ウレシイのは、はじめて漢文で50点満点を取ったことです。


それにしても思いましたねえ〜
「文系」「理系」と、誰もが簡単に口にするけれど、

「文系」って、何?
「理系」って、何?


自分は「文系」だと言っている人の多くは、
ただ、数学が出来ないから、そう言っているだけ。
決して、文系科目に特に秀でているというわけではないのです。

その良い例が、自分です。

数学以上に、国語が出来ません!!
数学はやる気がするのに、国語はお手上げです

世界史よりも、地学の方が良い点が取れました。
(物理は勉強が間に合わず、取りあえず地学で受験した結果)


私は思いました。
要するに、世の中には、私のように、「文系」科目も、「理系」科目も、
どっちも出来ない、いわゆる「勉強」の苦手な人間がいるということ。

無理に自分を「文系」「理系」の枠組みに押し込まなくてもよいということ。

その枠組みに入れられたら最後、一生、自分がその「系」だと思い込む。
思い込むから、それ以外の「系」は、自分には不向き、出来ないと信じて疑わず、
そうやって一生を終える、なんて、悲しいと思いませんか?!


昔は、そんな明確な区分はなかったはず・・・
哲学者=数学者だったり、物理学者がバイオリン奏でたり、小説家が医者だったり。

世の中には、学科の区分(discipline)を超えて存在する学問があるはず。
言うなれば、「学際(interdisciplinary)」ですね。


長年、さまざまな仕事を経験してきて気がついたのは、
片寄らない「総合力」を有することの大切さ。

な〜んて、偉そうに、理想ばかりを言って、実績が伴わない自分なので、
穴があったら潜りたいですが。


模試の自己採点を終えた今、
しみじみ、仕事との関連、趣味との一致、などを考えた結果、
自分が目指したい学部は、「理系」に区分される某学部だと再認識しました。

その学部では、最終的には、理系も文系もごちゃまぜになった、
多くの分野の境界線上にまたがる、ユニークな学問にたどりつくのです。


そうは言っても、まずはその前に、センター試験ですね。
その意味では、これまでと同じですが、

目指す学部が変わりそうなので、いよいよもって、
数学と物理の比重が大きくなります。

理数がまったく出来ない自分に課す、これ以上はない超・試練です。

って、国語を頑張りなさい!と言われたら、理数以上に無理難題です!!
(国語から逃げたがっている姿が、見え隠れするようですが・・・、汗)


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2012年01月08日

中高年再受験生(医学部以外)

百匹目の猿現象(Hundredth Monkey)」
という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
英国のL. ワトソンが創作した疑似科学に分類される生物学の現象だそうです。

宮崎県串間市の幸島に棲息する猿の一頭がイモを洗って食べるようになり、
同行動を取る猿の数が閾値(ワトソンは仮に100匹としている)を超えたとき
その行動が群れ全体に広がり、さらに場所を隔てた大分県高崎山の猿の群れでも
突然この行動が見られるようになったという。 このように
「ある行動、考えなどが、ある一定数を超えると、これが接触のない同類の仲間
にも伝播する」
という存在しない現象を指す。(ウィキペディアより)


何が言いたいのか、結論を言うと、

私が(医学部目的ではない)中高年再受験を思いたったとき、
いい年してこんなことを考える人は自分だけだと思いました。
欧米ではとうの昔に当たり前だけれど、日本では皆無だと!

ところが、2008年のある日、
東大を目指す44歳喫茶店主のブログを知りました。 続いて、
53歳で3度目の東大合格を果たした外科医平岩正樹氏の著書に出会いました。
また、37歳で旧大検から東大合格を果たしたひろじぃさんと知り合いました。

そうこうするうち、ブログ繋がりで、ひとり、そしてまたひとりと、
中高年の再受験生が目の前に現れ ・・・
医師のアイルランドさん、高校教諭のやちだいふくさん
武道家コーギーさん、子育て真っ最中のパート主婦ツマベニさん、 ・・・・・ など

こんなふうに、あっちに、こっちにと、次々に見つかるということは、
今、日本でも、確実に新しい現象が起こっている証拠です。
同じことをする人が百匹(人)を超えたから目につくようになったのでしょう。

しかも、この方たちは、自分も含めてですが、
社会人枠や、学士入学、大学院入学といったことを考えていません。
全員が、高校の学習内容をやり直して、
センター試験から挑戦することを目指しています。

私が2011年にセンター試験を受験したとき、
願書の生年月日欄に「大正生まれ」が用意されていたことに驚きました。
言いかえれば、やる気さえあれば、道は誰にも平等に開かれているのです。

高校の勉強が大学受験のためだけであってはならないし、
大学合格が就職のためのパスポートで終わってはならない
というのが私の持論です。

高校の学習内容は、人生を送る上での価値ある「総合力」を養うための
第一段階としての役割を担っていると考えます。

数学理科を捨てたため学力の偏った大人になってしまった人(← これ、私)
自分の持てる力の限りを今一度尽くすことにより自己実現を願う人、
若いときとは違う学問分野を大学でやりたい人、など

背景はいろいろですが、こうした人たちが再受験を目指したとき、
向学心に燃えるこの人たちのために、大学の門は開かれています!

さて、互いに「戦友」と呼び合っている親しい仲間たちが
あと6日後にセンター試験本番を迎えます。


みんな、頑張ってくださいね!!!
今年は受験パスの私も、来年また追いかけますよ!


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2011年03月07日

定年後に学生に戻られ夢半ばで逝った平内好子さんへ

NZ地震の日本人被災者の中で初の死亡確認がされた平内好子さんは、
昨年富山県立高校の校長職および生物の教師を退職後、第二の人生を歩むべく、
教え子と変わらない若い人たちに混じって外国語専門学校に入学された方でした。

享年61歳、これからというときに夢を中断されてしまって、
どんなにか無念だったことでしょう。

同年輩の者として、また、第二の人生を見つけるために頑張っている仲間として、
平内さんのことを思うと、胸が張り裂けそうになります。

もっと生きたいのに生きられなかった平内さんの無念さを思いやったら、
自分なんか、少しぐらい辛いことがあっても、今日1日を生かせていただけることを
文字通り「有り難い」ことと感謝せねばなりません。

常に前向きで勇敢であられたという平内さん!
同年輩の向学心を持つ人たちに、平内さんに代わって勇気の灯火を渡せるよう、
そんな人になれるよう、私も頑張ります!

平内好子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。  
Posted by MIKO at