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2015年05月24日

渋沢史料館 - 近代紡績と産業革命

5月20日(水)、北区西ケ原、飛鳥山公園にある3つのミュージアムのひとつ、
渋沢史料館に行ってきました。
渋沢とは - 言わずと知れた、渋沢栄一です。

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JR高崎線の深谷駅から「渋沢栄一生誕の地」という大きい文字が見えます。

有名な深谷ネギはさておき、深谷名物の煮ぼうとうも、袋の表に、
「渋沢栄一も愛した煮ぼうとう」などと書かれた製品があります。

深谷の血洗島という恐ろしげな名の村の、養蚕と藍玉製造の豪農に生まれ、
幕臣となり、維新後は大蔵官僚を経て、日本の産業革命と会社設立ブームを興した
渋沢栄一、その生涯に興味を持ったので、行ってきました。

ちなみに、血洗島付近は、渋沢翁にちなんで、「論語ハイキングコース」と
なっているそうです。是非歩いてみたいものです。それは、ともかくとして、

こちらは、西ケ原の飛鳥山の史料館の向かいにある青淵文庫。
栄一の傘寿(80歳)のお祝いに竜門社(現・渋沢記念財団)から贈られた
書庫としての建築物です。

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青淵文庫に入ると、ステンドグラスが印象的です。
ステンドグラスには、渋沢家の家紋をモチーフとしたデザインが
施されているとのことです。

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こちらは、晩香蘆。
栄一の喜寿(77歳)を祝い、清水組(現・清水建設)から贈られた洋風茶室。
訪れた賓客をもてなすために利用されたそうです。

この2つの現存する建物を除き、すべて、1945年4月の空襲で焼失しました。

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晩香蘆の外の庭に立つ、「近代日本経済の父」渋沢栄一像。

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5月31日(日)までの企画展は、「企業の原点を探る」シリーズより、
「近代紡績のススメ - 渋沢栄一と東洋紡」

日本の産業革命は、製糸業による生糸の、主としてアメリカ向け輸出で稼いだ
外貨を元手にして、綿紡績業によって実現しました。

その中心となったのが、東洋紡の前身である大阪紡績と三重紡績です。
動力に蒸気機関を用い、1万500錘で昼夜運転、二交代制で操業し、
1880年代後半の産業革命をもたらしました。

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常設展は、栄一の事績や思想、生きた時代についての詳細な展示です。
若い頃、攘夷の志士の影響を受けて、横浜焼き打ちなど過激な計画を立てた栄一。
(これは兄弟や親戚の反対により未遂に終わっています)

その後、将軍慶喜に仕える幕臣となり、1867年、パリ万国博覧会へ。
従兄などは彰義隊に入って戊辰戦争を戦ったそうですが、戦後、栄一は、
維新政府の一員として、大蔵省に勤務。

その後、大阪紡績、第一国立銀行を始めとする500社にのぼる株式会社の設立、
経営指導に尽力し、1880年代後半の「会社設立ブーム」と産業革命をリードし、
近代日本の経済社会の基礎を築いたというわけです。

余談ですが、新撰組の近藤勇や土方歳三との気さくな会話もあったというから、
30代で命を失った者と、91歳まで生きた者との差が、歴然としてきます。

ちなみに1931年、栄一死去の折、当時の朝日新聞に掲載された、
井上準之助(血盟団事件で没)、高橋是清(二・二六事件で没)からの弔辞が
展示されていました。

また、エジソンから栄一に宛てられた英文手紙の展示などもあり、
最低でも1時間は過ごせる、充実した展示内容です。

ところで、渋沢栄一は、江戸時代に神道無念流の剣術を学んでおり、
同じ流派で学んだ人の中には、芹沢鴨、永倉新八、伊藤甲子太郎ら、
新撰組のメンバーや、桂小五郎、渡辺崋山、藤田東湖らが名を連ねています。


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2014年02月14日

『太平記』の里、上州新田の荘

中世にちょっぴり興味が湧いてきている今、
ウォーキングのテーマに上州「新田の荘」を加えてみました。

2月12日(水)、群馬県太田市の「道の駅 太田」からスタート。
背景には赤城山、足尾山塊、男体山、日光連山の山並みが望めます。

この写真は赤城連峰。もう本当にすぐそこなのです!
去年の7月に縦走したけれど、登山入門者には結構きつかったなあ(汗)

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まずは、新田氏ゆかりの明王院へ。

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次は、日光例幣使街道の木崎宿の跡へ。

日光例幣使街道とは
徳川家康の没後、日光東照宮の大祭に御幣を捧げるために、
京の朝廷の勅使(例幣使)が通った道のこと。
毎年4月1日に京を発ち、4月10日に上州に入り、4月11日にこの街道に入り、
4月15日に東照宮に到着。
現在の群馬県の高崎市に始まり、伊勢崎市、太田市、
栃木県の足利市、佐野市を経て、鹿沼市、日光市へと続く。
特に、鹿沼市から日光市にかけては所謂「日光杉並木」。


木崎宿跡(群馬県太田市新田町)

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次は、反町館跡(国指定の新田荘遺跡)。
新田義貞が居住し、ここで挙兵したと伝えられています。

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反町館は、後の戦国時代に3重の堀をめぐらした城郭となり、現在は照明寺。

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反町館跡を出ると、あとは最終目的地の大光院まで、
特に見るべき遺跡もない、畑ばかりの単調な道が、6km続きます。

ただ、ずっと、赤城山、足尾山塊、日光連山、男体山がお伴してくれます。
振り向けば後方には、榛名山も薄っすらと見えるのです。

新田の荘は、そんな山々に囲まれた、利根川左岸の氾濫原にあります。

写真左より、赤城連峰、足尾山塊(皇海山など)、右端が冠雪した男体山。

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最終目的地の太田金山にある大光院。
江戸時代に徳川家康が、新田氏の祖、新田義重を供養するために建立。
門に徳川家の紋が輝いています。

鎌倉幕府を滅ぼし、後醍醐天皇の建武新政の立役者となった新田義貞は、
新田氏の祖、新田義重から数えて8代目とのこと。

徳川家康が自らを新田氏の末裔として名乗った話もあるようです。
私はずっと徳川家康は三河の松平氏の出だと思っていましたが。

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ウォーキングを終えて家に帰る道すがら、
新田義貞の鎌倉攻めのことを思いました。

新田の荘で挙兵し、小手指で幕府軍に勝ち、分倍河原を経て、関戸で多摩川を渡り、
鎌倉街道の、現在の多摩市、町田市のあたりを大軍勢となって幕府軍と戦い抜け、
鎌倉に向かった、その長い、長い道のりと、壮絶な戦いのことを。

下の写真は、分倍河原の駅前に建つ、新田義貞の像(2013年1月に撮影)。

って、大河ドラマ『太平記』の最終巻の返却日が今日だった〜〜、
わあぁ、今日こそは絶対に見ないと!!

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2014年02月07日

街道を行く 三浦半島ハイキング

最近とみに興味がわいてきたのが、中世。
律令制が崩れ、武家政権が誕生していく過程に興味をそそられます。

そこで、この冬のテーマは、鎌倉と三浦半島。
三浦一族の地であった三浦半島の衣笠山から大楠山を縦走。

司馬遼太郎の『街道を行く 三浦半島記』(朝日文庫)を読んで備えました。

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鎌倉幕府設立の陰の功労者として頼朝に大切にされたにも関わらず、
頼朝の死後、北条氏によって滅ぼされた三浦一族(1247 宝治合戦)。

山城であった三浦氏の衣笠城。
そのてっぺんの物見岩の大岩上に建つ祠。

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源頼義に従い前九年の役で収めた功績により三浦荘を与えられ、
三浦半島を治めるようになったのが三浦一族の始まり。

その4代目、三浦大介義明の八百年記念碑。
頼朝挙兵後に平氏から攻められた「衣笠合戦」での模様・・・・・
(『街道を行く 三浦半島記』から抜粋し部分的に編集)

義明は子供らを招き、
「わしは、十分に生きた。このわしひとりをこの城に残せ。
一同は海へ落去せよ。しかるに佐殿(頼朝)をさがし、御行末を共にすべし」
と命じて、
自分は最後までよく戦い、自刃。城は、陥ちた。
ときに義明、89歳。

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大善寺(曹洞宗)の庭に咲いていた、ミツマタの花。

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衣笠山から大楠山への途中、見事な梅や椿に見とれる。

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大楠山(三浦半島最高峰 242m)山頂から眺める房総半島の山々。
双耳峰は富山。

この下の方にペリー来航の浦賀があるのですが、浦賀水道は本当に狭い。
房総半島は本当に目の前です。

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ここ一週間連日近くの山を登っているという地元の方に会いました。

また、3泊分ほどの大きなザックを背負った方にも!
三浦山中で3泊する荷物ではなく、本格登山のためのトレーニングだそうです。

確かに冬場のトレーニングに最適のミニ縦走です。
アップダウンが多く、5時間はかかります。

崖も多いのです。
義経の一の谷の鵯越で、三浦勢は、「こんな崖は自分の里ではいつものこと」、
と言って真っ先に下りたという話が伝わっています。

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菜の花畑。
残念ながらまだ開花していませんが、「三浦ちりめん菜の花」です。
葉っぱが縮緬のように縮れているのです。

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ハイキングの最後は前田川沿いの遊歩道。
たくさんの飛び石こそ渡りましたが、丸木橋がなかったのは幸いでした。

帰りは路線バスで葉山の御用邸を左手に見ながら逗子へ出ました。

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2012年09月22日

分野別日本史問題集で、ひと安心♪

今さら〜、今ごろになって気づいたなんて??
これが偽りない感想です。

何のことかと言うと、
山川 『分野別日本史問題集 \治・外交史』の別冊「解答・解説」の
要点整理解説 − スバラシイのひと言です。

この 『分野別日本史問題集』 は次の5冊から成り立っています。
 \治・外交史
◆ー匆顱Ψ从兒
 文化史
ぁゞ畍渋綮
ァ〇卜

このうち、かなりやり込んだのが、,鉢△任垢、
別冊の解答・解説が、,世餌召箸楼磴構成であることに気が付きました。
,硫鯏・解説だけ、違う人が違う趣旨で執筆したのでしょうか。

これまで自分は、答え合わせだけして良しとしていましたが、
このほど,留藹問題を進めるにあたり、別冊を読み込むことにしたのです。

すると、\治・外交史の別冊「解答・解説」の【要点整理解説】が
実によくまとまっていて、事件の歴史的意義がすっと頭に入ってくるのです。

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参考までに、この問題集(本体)の構成、
◆見開き(左): 導入部分(年表と要点整理)
◆見開き(右): 基本・重要用語(一問一答)
◆見開き(左): 基本問題(記述)
◆見開き(右): 演習問題(記述、過去問より)

厚さたった5mmなのに、本体と言い、別冊と言い、すごいです。

もっとも、勉強せずにいきなりこの【要点整理解説】を読んだなら、
簡潔にまとまり過ぎていて、かえって理解できなかったかもしれませんが。

手を替え品を替え勉強してきたからこそ、ここへ来て突然、
バラバラの知識がつながり、すっと頭に入った、と言うのが正しいかもしれません。

日本史まで手が回らないときでも、せめてこれを繰り返し通読していれば、
肝心な幹だけは見失わずにすむであろうという見通しができました。
これは安心感につながり、むやみに焦る気持ちを遠ざけてくれます。


明日と明後日はガイドの仕事です♪
ところでこちらは先週ガイドで行った帝国ホテルのフラワーアレンジメント☆

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2012年04月21日

新選組のふるさと歴史館と日野宿本陣〜日野の歴史ウォーキング

4月21日(土)、2012年度京王ウォーキング第一回に参加しました

題して「日野の湧水と歴史を訪ねて」
高幡不動駅〜高幡不動駅まで、約8.5km、2時間10分のコースです。

高幡不動尊〜浅川の土手〜黒川清流公園〜新選組のふるさと歴史館〜
日野宿本陣〜浅川土手〜高幡不動を歩きました。

浅川の土手は日野税務署に行くたびに歩くのでよく知っていますが、
今日は土手の近くの土方歳三資料館とは別に、はるか離れたところにある
新選組のふるさと歴史館と日野宿本陣を知ったことが大きな収穫でした。

まずはスタート地点の高幡不動尊でお不動様にお参りしました。
五重塔です。桜は散ってしまいましたが、なかなか趣深いアングルです。

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境内には、日野は石田村出身の、土方歳三の像があります。

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こちらは、ウォーキングの途中の住宅街にあった、黒川清流公園。
ここから高台へと続く、木の根っこだらけの土の階段を上ったあたりに、
実践女子大学のキャンパスがあり、その右手眼下をJR中央線が走っていました。

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いよいよ、新選組のふるさと歴史館です。
土方歳三が日野で近藤勇や沖田総司らと出会い、共に剣術の稽古に励みました。

大政奉還によってその使命を終えた新選組の、その存在の意義を今に問い、
新選組を単に時代小説で終わらせず、近代の自由民権運動期までを見通した
新しい地域史の試みという視点でこの歴史館は開館されたそうです。

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新選組のふるさと歴史館と、だいぶ離れたところにある日野宿本陣の
共通券は300円。いずれも見学する価値が十分にあります!

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日野宿本陣。東京都に残る唯一の本陣建築です。
参勤交代でここを通る大名が宿として利用しました。

これを管理したのが、この地の名主であった佐藤家。
江戸防衛の理由で、河川に橋を掛けることが許されなかった時代に、
佐藤家が多摩川の日野の渡しを管理し、通行や物流に主導的役割を果たしました。

中でも彦五郎は土方歳三の従兄にあたり、歳三の姉も佐藤家に嫁しました。
この彦五郎が開いた道場が縁で、歳三、井上源三郎、近藤勇、沖田総司といった
後の新選組メンバーが、当地で運命的な出会いをしました。

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瓦を使った入母屋建築が武家にしか許されなかった時代にあって、
佐藤家が幕府から瓦屋根を許されたことからも、この家の力が知れます。
こうして、彦五郎は新選組を、資金面でも支援することになります。

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日野宿本陣には簡単な英文パンフレットがあり、
本陣に隣接した日野観光協会には、都が作成した都内の地図やパンフレットの
各国語版も置いてあることから、外国人の訪問者もいるようです。
もっともここまで来るのはおそらく都在住の外国人くらいでしょうが。

しかし、私の中では、高幡不動尊、日野宿本陣、百草園、多摩動物公園などを
リンクさせた都内日帰りプランのイメージがふくらみつつあります。

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歴史見学に時間をかけたために、ウォーキングが長引きました。
高幡不動駅に戻ったときには、すっかりお腹がすいていました。

この駅に来ると、必ずと言ってよいほどいつも、豚カツの和幸に寄ります。

819円の和幸定食。ご飯、しじみの味噌汁、キャベツがおかわり自由。
お茶も急須付きで、たっぷりあります。

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その上、京王ウォーキング参加者にはソフトドリンクが無料で付いたので、
食後にアイスコーヒーをいただきました。

このお店は落ち着いた雰囲気で、いつ来ても、BGMがクラシックです。
今日はヴァイオリンとピアノのためのソナタが流れていました。

このあたり、京王と多摩モノレール沿線には、大学キャンパスが多いことから、
和幸には、「学生支援メニュー」として、600〜700円の予算で満腹になる
カツ丼をはじめとする豚カツのメニューがいくつか用意されています(^.^)

では、今日の報告はここまでにして、
ここ数日間の勉強については、次回まとめて書きます。

(今日の歩数:今現在19,828歩。今晩家の中で歩きまわれば2万歩行くか?)


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2012年01月25日

勉強記録第12日目+問題答えと日本史語呂

今日は用事があるので、早目に更新しておきます。
昨日のセンター日本史正誤問題の答えです。
問題文再掲します。 (以下の四択から正しいものをひとつ選ぶ問題)

1. 興福寺の僧兵は、春日社の神木をかついで強訴した。
2. 延暦寺の僧兵は、春日社の神輿をかついで強訴した。
3. 白河上皇は、自分の心に従わないものとして、賀茂川の水、双六の賽の目、
  興福寺の僧兵をあげた。
4. 鳥羽上皇は、自分の心に従わないものとして、賀茂川の水、双六の賽の目、
  延暦寺の僧兵をあげた。

正解は、1 です。
興福寺(南都)と春日大社は奈良にあり、互いに徒歩圏内ですね。
いずれも摂関家藤原家(特に北家)が篤く敬った寺社です。
藤原氏の氏神の神木をかついで来られたら天皇だって困っちゃいますよね。

同じテーマのバリエーションとして、延暦寺(北嶺、比叡山)と
興福寺の神輿、日吉社の神木を組み合わせた、引っくり返し問題もあります。

これらの寺社でガイドをする私にとっては迷いようがない選択肢ですが、
一度も行ったことがない人は迷うかもしれませんね。

3と4も紛らわしいです。
白河上皇か鳥羽上皇か? たまたま私は白河上皇だと知っていたのですが、
そうでなければ迷うでしょう。 (人名を覚えるのが苦手です)

3と4には、あとひとつ紛らわしいものが混入しています。
興福寺の僧兵か延暦寺の僧兵かという点です。

3は、白河上皇は正しいのですが、興福寺の僧兵が間違いです。
4は、延暦寺の僧兵は正しいのですが、鳥羽上皇が間違いです。

こんなのはほんの一例で、センター正誤問題のほとんどがこんな調子です。
過去問による対策が、絶対に必要ですね。

今日は下にまた『でるとこ攻略法』から日本史の語呂があります。

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では、昨日の勉強記録です。
【第12日目】2012年1月24日(火)

『センター数学』
数学1A
二次関数 2005
二次関数 2008
平面図形 2009
確率 2009
確率 2001 (1年ぶり)
確率 1993 (1年ぶり)

数学2B
数列 2007 (改めて解いてみたら、2012を繰り返したお陰で楽に感じた!)
ベクトル 2007

『頻出重要問題集 地学』(旺文社)
No.74 地球の誕生 〜 No.79 新生代

『世界史 一問一答』(山川)
P.50〜P.53 東アジア諸地域の自立化 〜 遊牧民とオアシス民の移動

『センター試験への道 世界史』
P.1〜6 先史の世界・オリエント

『日本史 一問一答』(山川)
P.23 〜 P.30 (3)平城京の時代 (4)天平文化

『センター試験への道 日本史』
P.44 〜 P.47 (b)鎌倉幕府の成立 (c)武士の社会

『日本史でるとこ攻略法』(文英堂)
No.33 勅撰漢詩文集 〜 No.39 三蹟

三蹟は、三筆と並んでお気に入りの語呂です♪( ´▽`)
豆腐屋に  サリーちゃんが   行くなり
小野道風    藤原佐理     藤原行成 (正しくは、こうぜい)

遣唐使を白紙(894)に戻した後の平安の書道で、国風文化和様ですよ!

『マーク式基礎問題集 古文』(河合塾)
昨日はお休み。

『マーク式基礎問題集 漢文』(河合塾)
第四問 『捜神記』より (1年ぶり)
音読 (第一問〜第四問)

『超基礎国語塾 マドンナの古文常識217』(学研)
昨日はお休み。

『超基礎国語塾 マドンナの古文単語230』(学研)
昨日はお休み。

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2012年01月16日

勉強記録第3日目+日本史攻略お薦め裏ワザ本

センター試験を受験された皆さん、お疲れさまでした!
来年はいよいよ自分の番だと思うと他人事とは思えず、胸が震えます。
皆さんはこれからセンターリサーチの結果が気になる日々となるでしょう。
でもペースを崩さず、いよいよ今日から二次対策に専念してくださいね。

私は今日は会社の経理事務をやっています。
源泉徴収票、支払調書の発行、印刷、郵送と、請求メール送信、出納帳など。
地味な仕事ですがしょうがないですね。

では昨日の勉強記録です。
一番下に、日本史攻略のTIPがあります。お見逃しなく!☆

【第3日目】2012年1月15日(日)

センター『赤本』
数学1A
二次関数 2006
平面図形 2009
確率 2009
数学2B
数列 2007 (少し間が空いたらまた手間取りました。怖い、怖い。)
ベクトル 2010

『和田式センター数学』(学研)
昨日はお休み。

『頻出重要問題集 地学』(旺文社)
化石と地質年代 P.40〜41

『世界史 一問一答』(山川)
P.14〜P.19 ヘレニズム〜ローマの崩壊

『超基礎国語塾 マドンナの古文常識217』(学研)
34〜45

『マーク式基礎問題集 漢文』(河合塾)
第一問〜第五問 書き下し文の音読

『マーク式基礎問題集 古文』(河合塾)
昨日はお休み。

代わりに、次が加わりました。以前にやりかけたものの復活です。

『超基礎国語塾 マドンナの古文単語230』(学研)
No.121 いそぎ・まうけ 〜 No.130 さらぬ

『日本史でるとこ攻略法』(文英堂)
No.1〜7
この本は去年つまみ食いしたのですが、効果絶大です!
お陰でマーク模試でどれだけ点が取れたかわかりません ♪( ´▽`) 

たとえば、No.20 古代の東北経営の基地


脱 い で 耕せ、秋の田を。いざ 幸せ!

淳足柵、磐舟柵、出羽柵、多賀城、秋田城、胆沢城、志波城、の順。

など、一度で覚えられ、模試で「出た、出た!」とニヤッとしてしまいました。

もちろん、始まりと終わりの年代(何世紀のいつ頃)をセットで頭に入れ、
場所も知っておかなければ点になりませんが、それらがすべて載っています☆



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