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2015年05月28日

地球上の沢山の命の名前

昨夜のライブで聞いた歌の中に、「命の名前」とかいう作品がありました。
普段は当たり前すぎて考えもしないけれど、地球上には数えきれない命があり、
そのひとつひとつに名前が付いているということ。

つい先日も(ここ↓に)書いたばかりですが、
道端の自然に心癒される
最近、道端で雑草や草花を見つけることがささやかな喜びとなってきて、
ついには、それらの名前を知りたいと思うようになり、インターネット検索に
時間を費やすようになっていました。

そこで、思いきって先日、ポケットサイズの以下の図鑑を購入。
『里山の野鳥ハンドブック』
『散歩で見かける 野の花・野草』
『山の花』
『高山の花』
『野の花』

flowersbirds






















これらの本のページをめくっていくと、実際、これほどまでに沢山の草花に
いちいち名前が付いていることに驚きました。
草むらの小さな命もちゃんと気に留めてもらって、名前をもらっていること。

昨夜の歌を聞いて、改めてそのことに感動した次第です。


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2015年05月23日

RIKUGIEN 六義園

日にちが前後してしまいますが、五月晴れの爽やかな5月13日(水)、
駒込の六義園に行っていました。

石灯籠の脇にアヤメ。そこだけ咲いていて、なかなか絵になります。

rikugien2


















滝見の茶屋
滝側から、千鳥橋の方を見て撮ったのです。

rikugien3


















ところでこの小さな滝。
滝の流れを石組で左右に分ける、水分石(すいぶんせき・みずわけいし)。
ここでは、流れが3つに分けられています。

足利義政が造営した東山銀閣にも「水分石といふ石あり」と
『六義園記』に書かれているそうです。

suibunseki



















サツキはまだほとんど咲いていなくて、花に乏しい時期でした。
それだけに、ウツギが印象に残りました。

ウツギ1s


















六義園
17世紀末、文学的造詣の深い柳沢吉保が自ら設計した、和歌の庭園です。
明治になり岩崎弥太郎の所有となり、昭和13年に東京市に寄贈されました。

rikugien1
















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2015年04月24日

さわやか春の散歩

A spring walk in my town ...

うららかな春の陽気に誘われて、久しぶりに近所を散歩していたら、
山羊に会ったわ。

sheep


















住めば都。
緑に包まれた私の町。
いつまでもこのままでいてね。

parkw2


















これを機に、またウォーキングを始めたい。

parkw1



















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2012年08月15日

お盆に大掃除! そして終戦後67年に寄せて

8月13日(月)〜14日(火)、
朝から晩まで、洗濯オバサン、掃除オバサン!
その合間を縫って、かなりタフなパソコンの仕事を、次々に処理!

ふぅ、くたびれた〜

仏壇がある畳の部屋と、リビングルームだけは、
何とか、ぎりぎりセーフで、ホント(汗)、何とかなりました〜

夜は、両親が家を見つけられるようにと、提灯を灯しています☆

もっともこの家に住んだことがあるのは母だけで、
父は、娘が後に東京に住むことになったなんて、夢にも思っていません。
たまに仏壇に報告はしているのですけれどね。

両親が好きだったみたらし団子と、母が好きだったカステラ、
父の好物ビールにぶどうをお供えしました。

本当はお饅頭も父の好物だったのですが、私と子供が苦手で、
あとで食べるのに苦労するので(捨てるわけにはいかないので)、
自分たちが食べられるものにしました。

obon2012



















下は7月に両親の故郷の桑名に墓参りに行ったときの写真です。
思えばあのときが一番暑かったのですね〜
汗だらだら流しながら、お墓を掃除して、お参りしていました。

その直後に、桑名市内を19,000歩ほどウォーキングしたのだから
我ながら、感心、感心。

⇒ 城下町桑名を歩く(1)石取、七里の渡し、桑名空襲に寄せる思い

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そうそう、桑名ウォーキングで訪れた、
六華苑(ジョサイア・コンドルの和洋折衷建築のある日本庭園)について
記事にすると、あのとき宣言していました。
でも、時間がなくて、延び延びに。

近いうちに絶対に記録に残しておきます!
あれは、絶対に世に知らせなくてはいけないと、使命感に燃えているので。


さて、そうこうするうち、今日は終戦から67年目。

父が生きていた今から30年〜40年以上前、・・・・・ そのときですら、
テレビで、「今日は何の日ですか?」といった街頭インタビューが報じられると、
当時の若い人(つまりその頃の私の年代の人たちですが)が首をかしげるので、
「今の若者は終戦の日も知らん・・」と父はブツクサ言っていました。

ある年の8月15日、「今日が何の日か知っとるか?」と聞かれて、私が
「終戦記念日!!」と答えると、「えらい!よう、知っとる!」と、
合格点をくれたものです。


ちなみに、戦没者310万人と一口に言いますが、
横浜市と大阪市の人口の平均に相当するのですね。

そういう感覚を失ってしまって、数字(統計)だけ知っていても
何の意味もありませんね。

どれだけ多くの悔し涙が流されたことでしょう。

戦争の記憶が風化されつつある今、改めて戦没者を悼み、
平和を祈願する者です。


終戦間近に生まれた人たちが団塊世代で、それに続く私の世代は、
年長者から聞かされた体験談などを通じて戦争を知るのみです。

それでも占領下という境遇から逃れた直後の、あの貧しい暮らしぶりは
幼児ながらも記憶に残っています。

「もはや戦後ではない」(1956年『経済白書』)と言わせた
神武景気をみるまでは、本当に、本当に、質素な国民でした。

その間にも、朝鮮戦争を背景とした「特需景気」によって
国は着々と経済力をつけていたのでしょうが、庶民の暮らしはまだまだ。

「隔世の感あり」という言葉は、こうゆうときに使うのでしょう。

何せ、1ドルが360円でしたから!!

アメリカから観光客がわんさと押し寄せて、
当時(1950年代)にガイド免許を取った大先輩ガイドたちは、
さばき切れないほどのツアーに恵まれて、「ガイド=花形職業」として
人々から羨ましがられたというのですから。

それに引き換え、今は・・・・・(涙)


では、畳の部屋もリビングルームもおおかた片付いて、
気持ちがすっきりしたので、今からまたパソコンの仕事に取り組みます!

埃まみれの李朝クラフトの書棚と文机が、よみがえりました♪

bookshelf

























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Posted by MIKO at

2011年06月02日

東海道五十三次をウォーキング?

ガイドの仕事があれば、嫌でも歩く機会が増えるのですが、
ガイド開店休業中の今は、最寄り駅を離れる機会すらありません。

それどころか、家に引きこもってしまって、近所を歩くことさえ稀です。
その影響がてきめんに現れてきました。

ジーンズがきつい。 スカートのウエストが閉まらない。 体が重たい。

体重こそ測っていませんが、きっと2年前のそれに戻っているでしょう。

2年前の夏に万歩計を手にしてから、それを励みにして、
仕事のシーズンオフにも、出来る限り歩くように習慣づけていたのに、
最近の歩数と言ったら、書くことも出来ないほど情けないものです。

そこで、5月31日(火)、これではいけないと大いに反省して、
久しぶりにウォーキングに出かけました。

ツツジや名も知らぬ草花が咲き乱れる中を歩く快感を、思い出しました。

flowers310511
















帰り道、すき屋に寄って、ミニ牛丼と豚汁サラダセットを注文。
合計390円。 超お薦めです!

紅生姜とドレッシングが隣りの席の側にあったので、
隣りにいる年配の女性に声をかけて、手を伸ばしました。 その際に、

「久しぶりにウォーキングしたらお腹が減ったものですから。」と言い訳すると、

「私は東海道五十三次を、歩いて12日間で制覇しましたよ!」と、
その上品なシルバーの女性。

「えっー!? あのお、500キロ以上もあると思うのですが、どうやって?!」

聞けば、月1回の日帰りで、その都度、平均して45キロ、
全部で12回の日曜日を使って歩いたのだそうです。

例えば、ここからあそこまで歩き、その日はそれで終わって電車で帰り、
翌月はその続きを歩くために、その出発点の駅まで電車で行くのだそうです。

「歩くのは楽しいのですが、新幹線代が馬鹿になりませんでしたよ。
それに、1度だけ、駅から街道までが遠かったので、日帰りが出来なくて、
ホテル代がかかってしまいました。」と、老女。

「私、先週、箱根に行ったのですが、箱根の峠越えは大変でしたでしょう?」
「そうですね。東海道はふつうは起伏がないのですが、箱根の峠だけはねえ。」
と、そんな会話が続きました。

家に帰ってから、箱根の峠越えのことを子供に話すと、
「俺なんか、チャリで越えたよ!」

そういえば、子供は高2のとき、東京 → 名古屋を自転車で制覇したのでした。
歩きでは、高1のとき、東京駅丸の内口 → 茅ケ崎間が自己ベストのようですが。

それにしても、たまたま会った年配の女性からこんな話を聞けるとは!
「興味深いお話を伺えて良かったです!」と、お別れの挨拶をしましたが、
すき屋での食事が、思いがけない刺激を与えてくれたのでした。

はけるスカートがない! ジーンズはもう無理なのかしら?!

といった事態に陥らないために、また、自然の恵みをこの目と肌で感じ、
さらには、PCの仕事と勉強からの気分転換をはかり、そして何より健康維持と、
美容?!?!?のために、

また、歩かなくては!!

と、しみじみ思った次第です。

ところが、そう決心した矢先に梅雨に入ってしまったとは・・・(涙)
  
Posted by MIKO at