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2012年05月22日

新大久保デビュー、新・異文化体験!

5月20日(日)、高麗神社訪問後の、続きです。

「いつか一緒に韓国料理を食べに行こうね!」と、
「娘」のお母さんと話していたので、この機会に行かない理由はないと思って、
新大久保に行くことにしました。

高麗川からJR八高線に乗って川越で乗り換え、それから
東武東上線という人生で1度しか乗ったことがない私鉄に乗って池袋へ。
それから山手線。

東京に住んでもう何十年になるのかしら。
それなのに、新大久保駅で降りたのは、たぶん初めてかな?
それとも、意識せずに降りたことが1回くらいはあったかもしれません。
記憶がありません。

なので、まるで、おのぼりさんになった心境です。
駅舎から出たとたんに、目の前に広がる光景にビックリ。

まあ、賑やかなこと、そして、若い人がたくさんいること!
何よりびっくりしたのが、ハングルやカタカナ語の看板で溢れていることです!

これはすごい。
横浜や長崎の中華街は仕事でよく行きますが、
東京のこの町は、それに匹敵する、正に、コリアン・タウンです!

こんなこと書いている私って、時代遅れなんでしょうね。
世間の動きや流行に、まるでついていっていないのです。

まずは、お母さんが韓国コスメのお店に連れていってくれました!
SKIN GARDENです。

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そう言えば、今年? 子供が見ていたテレビ番組を後ろからちらっと見たら、
韓国コスメのお店のオープンが話題になっていました。
きっと、このお店のことだったに違いありません。

すっぴんでは困るけれど、限りなくノー・メイクに近い自分は、
化粧品に無関心。だから化粧品と名のつくものをあまり持っていません。

コスメと言えば、口紅やアイシャドウのことかと思ったら、
このお店は、お肌のための基礎化粧品を専門的に扱っているのですね。

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お肌のための基礎化粧品かー。
うんうん、それならば、まるで興味がないわけではないぞ。

お母さんが、
「使用して一週間で顔が小さくなったと、会う人皆から言われた。」
と言うので、ますます、興味津津。 しかも、高くないと言うのです。

本場韓国人の男性の店員さんが、日本語で商品の説明をしてくれました。
お肌のハリを保つ(or 取り戻す)、化粧水と美容液。

じゃ〜ん!!!!!
ド、ド、ドクヘビ ・・・ の登場です。
毒ヘビのエキス?に肌の自然な再生力を補う効果があるとか。

他に、か、か、かたつむり ・・・ ってのも、ありました〜

で、とにかく、この、毒ヘビとかいうやつを買いました。

合計で、3,660円!! ふつうの感覚では安いのでしょうが、
自分にしては、過去最高の出費なので、期待していますヨ ☆♪

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お次は、韓国食品スーパー。
味付海苔やらインスタントラーメンやら、買い込みましたよ。
とにかく安いのです! 味付海苔なんか、たったの69円でした!

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で、いよいよ韓国料理の出番です。
お母さんのお薦めのお店があったのですが、芸能人や大臣も行く高級店なので、
この日は、節約型で、他のお店に案内してもらいました。

サムギョプサル(豚肉を焼いたもの)、チャブチェ(春雨炒め)、その他色々。

ごめんなさい、カタカナ語がどうしても覚えられないのです。
カタカナの、音と、意味が、結び付かないから、むずかしいのです(・・?

お料理の名前、聞いても、すぐに右から左です。
メモメモ・・!と思いつつ、食べることと、おしゃべりすることに夢中で。

でも、見た目と、味だけは、しっかりと記憶しています!
名前は言えなくても、韓国料理が大好きです!

それに、この日は、マッコリという、日本のどぶろくに相当するらしい
濁り酒を初めていただきました! 中でも、黒豆味のものです。

これも、なかなかいけます! って、どぶろくも未経験の私ですが。
アルコール類のこと、あまり知りません。飲めない方ではないのですが。

「娘」のママは、お酒に限らず、あらゆることに物知りなのです。

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食後、狭い路地を行くと、そこにもお店がいっぱい。
もう、どこもかしこも、っていう感じです。

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そうそう、この日、お母さんからプレゼントをいただきました。
「コーヒーカップの下に使ってね。」と言われましたが、シミをつけたら残念。
もったいなくて使えないような、ステキなものです。

私の好みの色を知っていて、ぴったりのものを選んでくれます

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好きな色と言えば、去年もプレゼントをいただきました。
私のために、包装紙やふくろの色や柄まで気遣ってくれるのですよ!

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最後になりました。
5月21日(月)の早朝、好きな色のサングラスを、20年ぶりに使いました。
オーストラリアのデザイナー、ケン・ドーン(Ken Done)のサングラスです。
昔、海外旅行のツアコンをやっていたときに、シドニーで買いました。

そして、ディオールのサングラス。
ブランド物に興味のない自分ですが、これは、パリの免税店でいただきました。

金環日食用のものが買えなかったので、
このふたつのサングラスを二重にして使いました。

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4時半ごろ、5時半ごろ、6時半ごろに目を覚まして、二度寝、三度寝し、
7時に起きて、7時35分ごろに、二重のサングラスでのぞいた瞬間、

これが見えました〜〜〜!!!!!
(もちろん、私が撮ったものではありませんが。)

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そして、その1分後ぐらいに、自分がカメラを向けたら、
もう、こんな感じで、撮れませんでした。

7時35分ごろ、ちょうどの瞬間に、完璧なまでの金環日食が見れて、
良かったですーヽ(゜◇゜ )ノ

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5月20日(日)にさかのぼりますが、
この日の歩数は、高麗川と新大久保合わせて、14,964歩でした。

普段は車が多くて、意識しては歩かないお母さんも、
13,000歩達成したようです!

既に食事中に、万歩計の歩数を、写真におさめていましたね〜
歩き始めると、万歩計を持つと、もっともっと歩きたくなるものなのです。


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2011年11月09日

一橋祭で「関東大震災『払い下げられた朝鮮人』」を聞いて

11月5日(土)、一橋大学の「一橋(いっきょう)祭」に行ってきました。

昨年までは子供の大学だからと多少ミーハー気分での見物でしたが
今年はどうしても聞きたい講演があったので、目的を持って出かけました。

「関東大震災からの問いかけ − 『払い下げられた朝鮮人』」です。

どうせ行くならばウォーキングも兼ねて一石二鳥にしようと、
歩いて50分かかるJR南武線の南多摩までウォーキングしました。

途中、こんな写真を撮ったりして道草したので、時間オーバーしましたが。

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南多摩から電車で谷保に行き、谷保から大学まで15分歩きました。

大学の東キャンパスと西キャンパスが向かい合う大学通りの横断歩道は
人、人、人で大混雑。

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西キャンパス門
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西本館の教室でその講演は行われました。
来場者は概ね中高年でした。さしずめ生涯学習といった感じでした。

講師は、元一橋大学教授で、在日韓人歴史資料館館長の姜徳相氏でした。
講師のお話の後、ドキュメンタリー映画『払い下げられた朝鮮人』(1986年)を
約1時間にわたり見て、再びお話を聞きました。

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日清、日露、韓国併合、大正デモクラシー、第一次世界大戦を経て、
ファシズム国家へと日本が移行していく過程で起こった関東大震災下での
朝鮮人虐殺は、偶然ではなく必然であった、

つまり、それに先立つ30余年におよぶ日朝間の矛盾が渦巻いていた中に、
こうした必然が起こる土壌があったというものです。

1919年の三・一独立運動に、高まる国民意識を見て危機感を抱いた日本。

「植民地とは常に戦争状態を内包した支配、被支配関係である。」
この言葉が印象的でした。

それにしても、虐殺された人の数、2人という説、いや1万人だという説、
2人 or 1万人、これほどいい加減な噂が飛び交うなんてことがあろうか?

それほどまでに、解明がまだ十分になされていないということです。

亀戸事件を調査するために外国から視察が来るというので、
慌てて亀戸の証拠を隠し、急遽、収容者を千葉県の習志野収容所に連行。

習志野では虐殺が陸軍の仕業であることを隠すために、
今日は2人、明日は3人と、朝鮮人を自警団や近隣の村に払い下げて虐殺させた。
穴を掘って、そこで首を切って、穴に転落させるというふうに。

言葉を発音させて一定の訛りがあると朝鮮人と判断して連行。
虐殺は他にも船橋や、荒川放水路の四ツ木橋などでも行われました。
機関銃によって、あるいは民間人の手によって、虐殺は9月6日まで続きました。

北総鉄道の建設現場で強制労働をさせられていた朝鮮人労働者のうち、
婦女子は、とても口では表現できないような方法で虐殺が行われたと、
当時を回想する巡査の証言もありました。

八千代、船橋の住民の証言、高津観音寺(曹洞宗)僧侶の話もありました。
この観音寺には、韓国から贈られた普化鐘楼、ならびに慰霊碑があります。

無政府主義者の大杉栄らが震災後のどさくさに紛れて連行、虐殺された
甘粕事件にも見られるように、震災前の日本に既に、危険思想の持ち主や、
不安要素としての朝鮮人は消しても良いという風潮が出来上がっていたのです。

何も知らない母親までが、赤ん坊が泣けば、
「泣きやまないと、朝鮮人が来るよ!」と脅した時代だそうです。

話を戻すと、
甘粕事件では憲兵大尉の甘粕自身が首謀とされていますが、
甘粕の独断であのような事件を起こすとは考えにくいという話もありました。

これを聞いて私も、陸軍がカモフラージュのために憲兵に払い下げた事件、
つまり、甘粕が陸軍の罪を被った事件なのではないかと思いました。
少し調べたところ、上原勇作の命令だったという説があるようです。



1900年、山県有朋によって軍部大臣現役武官制が敷かれから、
陸軍(参謀本部)が日を追って権力を増してきます。

1912年、二個師団増設問題で上原勇作陸軍大臣が辞表を出したとき、
軍部大臣現役武官制を盾に第二次西園寺内閣を総辞職に追い込むという横暴を
陸軍はやってのけました。

こうして大正年間から関東大震災後へと社会不安が増大する中で、
ついには1925年に治安維持法の制定を許してしまうという流れになって、
ますます陸軍の暴走を許し、昭和の不幸を招く結果となってしまいました。

司馬遼太郎が、震災後の昭和初期について次のようなことを書いています。
『この国のかたち1』より一部引用)

"統帥権"の無限性より 
昭和ヒトケタから敗戦までの十数年は、ながい日本史のなかでもとくに
非連続の時代だった・・・・・、あんな時代は日本ではない・・・・・
日本史のいかなる時代ともちがう・・・・・、

"雑貨屋"の帝国主義より
日本は、日露戦争終了後、五年して韓国を合併・・・・・、
数千年の文化と強烈な民族的自負心をもつその国の独立をうばう・・・・・

年表
1905 日露戦争終了
1910 韓国併合
1923 関東大震災
1925 治安維持法
1926 昭和始まる
1931 満州事変
1937 盧溝橋事件:日中戦争
1941 太平洋戦争
1945 終戦

前代未聞の不幸な戦争を体験するにいたった昭和幕開けの前夜に
隣国と日本との長い間の交流を打ち砕く歴史があったという事実を、
真摯に受けとめなければなりません。

関東大震災から88年経った今、その時代を知る人が少なくなっても、
決して風化させてはならないと思うのです。

姜徳相先生、ご苦労さまでした。
また講演会を主催した一橋大学の、青年・学生実行委員会<なあがら>の皆さん、
歴史を考えるきっかけを与えてくださり有難うございます。


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2011年08月31日

済州島、異文化共生、古代日本

芸術&アート三昧だった先週末の、第3弾!

8月29日(日)、東京国際展示場から電車を乗り継ぎ1時間、荒川区へ。
サンバール荒川で、音楽舞踊劇 「チェジュ・パラ」 を見てきました。

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済州島から東京にやってきた後、戦争のために故郷の親と生き別れになり
在日として荒川区に暮らすことになったおばあさんの、故郷への想いが通じて、
亡くなった後に荒川区三河島に住む孫娘と不思議な再会をするというお話です。



孫娘は幼稚園児のときにお花屋さん役をやりたくて、でも家業がキムチ屋なので、
「キムチのにおいのする子はお花屋さんをやっちゃダメ!」とみんなに言われて、
以後、自分のルーツに自信が持てず、出来るだけ隠そうとしていました。

それでもある日、故郷が恋しいと泣くおばあちゃんと指きりげんまん。
「いつの日かおばあちゃんをチェジュド(済州島)に連れていってあげるね!」と。

時が過ぎ受験生になった孫娘は、昔の約束をすっかり忘れていたのですが
巫女のインチキ祈祷のせいで、亡くなったおばあちゃんと済州島で再会することに。

最初、「私は受験があるから早く帰って勉強しなくちゃ!」と言っていた孫娘も
海女の泳ぐ、ミカンがたわわに実る、自然に恵まれた済州島で何日か過ごすうちに、
自分のルーツに自信を持ち、東京に帰ったら胸を張って生きようと心に決めます。

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全編を通じて、ピアノ、チェロ、ベース、民族楽器のライブ演奏があり、
お芝居あり、美しいソプラノあり、幻想的な舞踊ありの、飽きさせない構成で、
時間の経つのも忘れて舞台に見入ってしまいました。

開演に先立ち荒川区長さんの挨拶がありました。
それによると、荒川区と済州島は姉妹縁組を結んでいるそうです。

荒川区の人口約20万人のうち外国籍の人が約15,000人。
そのうち圧倒的多数を占めるのが、韓国、朝鮮の人々で、
その中でも圧倒的に多いのが、ここ済州島出身者なのだそうです。

区長さんは昨年イタリアの国際会議に招かれて発表されたそうです。
それは「多文化共生モデル地区」として、新宿区と共に選ばれたからです。
区長さんの内容の濃いお話を聞けて勉強になりました。

多文化共生(異文化共生)

もとより、「多文化(異文化)共生」ということに大変関心がありました。
とりわけ、古代日本の国家形成期に重大な役割を果たした朝鮮半島と中国、
中でも特に、地理的に最も近く、歴史的に最もつながりの深い朝鮮半島に、
若い頃からなぜかロマンを感じていました。

古都奈良を想う時には、渡来人のことを思い浮かべずにはいられず、
その延長線上には、海を隔てて朝鮮半島が横たわっていました。
日本文化のルーツへの好奇心が、私をして朝鮮半島へと駆り立てるのでしょう。

25年前に買った愛読書、『帰化人―古代国家の成立をめぐって』中公新書
(京都大学名誉教授 上田正昭著)

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笑いと涙の感動にまみれた舞台を後にして、私と子供は常磐線三河島に向かって
歩いていました。東京に来て早や27年。こんな駅があることすら知りませんでした。
駅近くの路地を一歩入ると、韓国食料品店や朝鮮料理店が軒を連ねていました。

子供も私もお腹が空いていたので、そのうちの1軒に入りました。
お金が足りなくて焼き肉は無理なので、私はビビンバ、子供は豆腐チゲを注文し、
二人兼用でネギサラダを一皿頼みました。この日だけ特別にビールを解禁しました。

数年前に行った本場ソウルやインチョンと同じく、注文しなくても
キムチや惣菜が5皿、それもたっぷり過ぎるくらい盛られてテーブルに並びました。
ご飯もビビンバも金属製のお椀に入っていて、何もかもが本格的でした。

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お店の奥から韓国語の会話が聞こえてきました。
一瞬、自分がいるのは日本ではないような気がしました。

異文化共生を考えることは、とりもなおさず、まず自分を見つめ直すことです。
自分探しの旅から、その第一歩が始まります。

日本社会の成立事情を探る旅は、私のライフワークテーマとなりそうです。


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2011年04月01日

政治は別、朝鮮舞踊は芸術

3月31日(木)、朝鮮舞踊を見に王子の北トピアに行ってきました。

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震災後なので開催を断念すべきかどうか主催者は幾度も悩んだそうですが、
出演者の笑顔と頑張りが少しでも勇気と力になればと踏み切ったそうです。

美しい舞台と見事な踊りに見とれて、しばし時間の経つのも忘れました。
自分の未熟な鑑賞力と表現力でその素晴しさを言い表せないのが残念です。

でもプログラムの最後を飾った「4・3の風」はあまりにも悲痛なものでした。
1948年4月3日に始まった、済州島四・三事件の島民大虐殺を描いたものです。

乳飲み子を失って悲しみに打ちひしがれる若い母親の舞に象徴されるように、
一般婦女子の犠牲者が多く出た事件であったことを示唆する作品でした。

私には政治のことはわかりません。

関東大震災のときの朝鮮人虐殺はなかったとか、
南京大虐殺も、果てはナチスのユダヤ人虐殺もなかったとか、
そんなことが取り沙汰され、真相はどうなのか、・・・・・等々。

私には知る由もありません。ただひとつだけ思うことがあります。
それは、恐るべきは時の権力の衝突。犠牲を払うのは一般人だということ。

こぼれる笑みとみなぎる喜び、また憂愁をたたえた、一糸乱れぬ舞いには、
団結した祖国愛を感じますが、それをもって直ちに国家主義的教育の表れなどと、
矮小な考えでもって、ひとくくりにしたくはありません。

美しい民族の魂の叫びが創り上げる舞踊は、芸術の域にまで昇華したとき、
政治を超え、国家の境も、民族間の境も超えて、人の胸に強く響きわたります。


  
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2011年03月25日

欧州人-親切心と過剰反応と無神経さ

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旅から帰って一週間たちますが、家の中はまだ片付いていません。

写真↑ 私の勉強部屋の床
写真↓ トランクルームの中
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旅の間も、帰った後も、海外からお見舞いメールが続々と届いています。
オーストリア、ドイツ、シンガポール、アメリカ、バングラデシュ、インド、ベルギーetc

「ドイツに来るなら (注:避難してくるなら、の意味です)、
うちに滞在してもいいですよ!」と言ってくださる方もいました。

旅先で同僚も同様のメールを受け取ったそうです。
「すぐにミュンヘンにいらっしゃい! かくまってあげますから!」

また、別の同僚のところにも、メールが来たそうです。
「日本を逃れるなら、ドイツへ来て我が家に滞在してください!」

親切な人たちに連日せっせと返事を書いています。
「ありがとう。確かに私の家も激しく揺れたけれど被害はさほどではないので
安心してください。それよりも東北地方の悲惨な状態に心を痛めています・・・・・」

メールをくれた人たちの最初の心配事は、地震と津波でした。
それが、そのうち放射線の方に関心が移ってきました。

特に欧米人は、こと放射線に関しては特別に敏感に反応するようです。

広島や長崎の原爆資料館に案内するとき必ずと言ってよいほど聞かれること。
「ここはまだどのくらい汚染が残っているのか?水を飲んでも大丈夫か?」

「戦後65年も経っているのだから何も残っていません。水も問題ありません。」
と言っても、なかなか信じてもらえません。

何故それほど敏感に反応するのかと言うと、
チェルノブイリの記憶が鮮明だからでしょうか?

チェルノブイリ事故の日、添乗で東欧を旅行中だった私は、
チェルノブイリ直後のヨーロッパ中のパニックをリアルタイムで経験しています。
あれは今もって忘れることが出来ません。


それはそうと、昨夜は腹の立つメールを受け取りました!
日本在住のあるドイツ人からなのですが、

「今ドイツへ避難してきたところです!
パニックが起こらないように日本の報道は「大丈夫だ」と言い張っていますが、
海外の報道やオーストリアなどの研究所によると、チェルノブイリを越えてしまう
可能性が少なくありませんよ!」

この人は家族ぐるみで帰ってしまい、年内は日本を避けている感じですが、
ここにとどまるしかない人に向かって、よくこんな言い方が出来るものだと、
その無神経さに呆れてしまいました!

親切心旺盛で、ホスピタリティー精神に満ちた、スマートな欧米人も、
ひとつ裏返すと、簡単にパニックし、集団ヒステリーに走る傾向があるようです。

冷静に考えても、日本の危険度はチェルノブイリに匹敵するのでしょうか?
素人の私には判断できませんが、うわさに振り回されず、冷静に行動したいものです。

一方、日本に関して嬉しい評価もあります。

日本人はこんな災害に直面しても落ち着いて行動出来る。
避難所で不自由な生活を余儀なくされ、おにぎり1個しか支給されなくても、
感謝の気持ちを失わずに助け合う日本人は素晴しい国民性を持っている。


と、台湾が報道していたと聞きました。
憂鬱なニュースが続く中で、久しぶりに心を和ませてくれた話題でした。

欧米人のように親切心を振りまいたり、器用に人をもてなすことは不得意ですが、
日本人も別の面で誇れるものをたくさん持っているなあとつくづく思います。

写真↓↓ 我が家の食器戸棚

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2010年11月19日

東京外国語大学「外語祭」

今日の東京地方は快晴。
朝起きると、窓の外には雪をかぶった富士山がくっきりと綺麗でした☆

こんな日は最高の文化祭日和です。
そこで、午後から東京外国語大学に行ってきました。

とてものどかな郊外の住宅地にそれはあります。

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キャンパスに入ると、真っ先に目に付くのが、中央広場の模擬店です。
でも、ここの模擬店は他の大学とは違うのですよ。

さすが、外語大だけあって、めちゃくちゃ国際色豊かなのです。
そして、いたるところ、各国の民族衣装をまとった学生が!

こちらは、チェコ共和国のお料理です。
個人的には、チェコとのお付合いが長いので、ちょっと興味があるのですが、
今回はパスしました。

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代わりに、ちょっとめずらしい?カンボジアの「お粥」をいただきました。

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食べ終わると、真っ先にお目当ての朝鮮舞踊に go !

こちらは、「トラジ」という踊りです。
トラジとは日本語で「ききょうの花」という意味。

日本の植民地時代に、苦しみ悲しみの中でも、強い芯をもって生きた
朝鮮女性の姿を、ききょうの花にたとえて表現します。

こぼれるほどの笑みを浮かべて舞った後には、苦しみが訪れ、
悲しみに打ちひしがれ、・・・ そしてまた希望の光を見つけて明るく生きる。

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朝鮮舞踊の後は、クラシック・バレエ部の発表を見に行きました。
創部8年目にして、初めて、ひとつの完結した演目に挑戦したそうです。

それは、「くるみ割り人形」。
クリスマスが近い今には、ぴったりの選曲ですね♪

踊りの上手さもさることながら、こちらも朝鮮舞踊同様に美女ぞろい。
そして、王子様は、すっごくイケメンで、踊りが上手~。

「くるみ」のために衣裳を揃えたので、部費では賄えず追加出費だったと、
部長さんが泣く泣く裏話を語ってくれました。

そこで、わずかですがカンパを入れてきました。

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バレエの後は、再び広場に出て、お腹がすいてきたので、
中国料理の模擬店に行きました。

大きなゴマ団子2個を合わせて、これで500円。
味も良いし、ボリュームもあって、超お薦めです。

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そんなこんなで5時前には真っ暗になり、それでも賑わう広場では、
野外ステージで朝鮮舞踊が始まりました。

こちらは、「ノドゥルカンビョン」という踊りです。
朝鮮に古くから伝わる民謡で、少女たちが川辺で楽しく遊んでいる様子を
描いているそうです。

「外語祭」は、今日から23日(祝)まで毎日やっています。
詳しくは、外語祭 GAIGOSAI

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2010年05月16日

朝鮮高校にも無償化を!

先日ツアーの途中立ち寄った駅前に、大勢の朝鮮学校の生徒たちの姿がありました。
黒い制服を着ているので一目瞭然です。

街頭署名運動の光景でした。
署名運動の趣旨を聞くと、鳩山内閣の「高校無償化制度」に伴う、

「朝鮮高校にも差別なく、すみやかに無償化適用を! 私たちも同じ高校生です!」
というものでした。

ご存じない方が多いかもしれませんが、日本にある外国人学校は、
アメリカンスクールであれ、ドイチェ・シューレ(ドイツ人学校)であれ、
日本の学校制度に基づく教育機関とはみなされず、今なお「各種学校」扱いです。

都道府県よりこの同じ「各種学校」としての認可を受けた外国人学校の中で、

朝鮮学校だけが、今回の「無償化制度」に伴い、文部科学省にて専門家らによる
「審査」が必須となり、無償化の対象にするかどうかの決定が8月ごろまで
先送りとなったそうなのです。


なぜ朝鮮学校だけが「検討」の対象となり、結論の先送りとなったのか。
これは不当な差別であり、「法の下の平等」や「教育の機会均等」をうたった
日本国憲法に違反するものであるという訴えです。

この場面に遭遇して、もちろん、私は即座に署名をした者のひとりです。

在日の保護者達は日本人の保護者同様に、納税義務を果たしています。
それにもかかわらず、今後、高校無償化の実施に伴い扶養控除額が引き下げられる
ことになると、

朝鮮学校については、無償化の対象となるまでは、
「給付なし、控除なし」の二重の苦労を強いられることになる恐れがあるそうです。


これに関して、5月14日午後のニュースです。
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朝鮮学校除外なら「差別」=高校授業料無償化で国連人権弁務官

5月14日 時事通信

来日中のピレイ国連人権高等弁務官は14日午後、都内で時事通信など一部メディアと
会見し、日本での高校授業料実質無償化の対象に朝鮮学校を含めるかどうかの問題に
ついて、朝鮮学校が除外された場合、「差別」に当たるとの見解を示した。

ピレイ氏は、高校授業料の実質無償化を「大変良い進歩的な措置」と評価した上で、
「教育を受ける権利は日本に住むすべての人に広げられなければならない。でなけれ
ば差別だ」と強調。「授業料の免除はすべての生徒に広げられるべきだ」と訴えた。
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差別の理由が知りたいものです。
拉致云々が問題となっているならば論外。 許せないことです。

第二次世界大戦後の、朝鮮戦争後の、米ソ対立のもとに塗り替えられた歴史によって、
それよりも前から日本に在住する朝鮮人子弟の待遇に差別があるべきではありません。

かりそめにも、少しでも日本史を勉強したことのある常識人なら、
6世紀~8世紀の日本がどれだけ朝鮮半島から文化的貢献を受けたかを知るべきです。

仏教伝来、東大寺の大仏建立は言わずもがな。

8世紀の奈良の人口の大半は渡来人。
中でも役人や文化人、芸術家の大半を占めたのは朝鮮半島からの渡来人であった
という説が有力です。

今年、遷都1300年を祝う「奈良」は、渡来人の力によって成り立ったと言っても
過言ではないくらいです。

京都もしかり。平安京以前に遡ると、同地を支配していた氏族の秦(はた)氏は
渡来系で、百済出身とも新羅出身とも言われています。

また桓武天皇の母親は、れっきとした百済からの渡来系氏族の出身です。

そもそも朝鮮への偏見、差別は、豊臣秀吉の朝鮮出兵に遡ると言われています。
しかし、その後1910年に日本の植民地とされたことが、今日にいたるまで続く差別を
決定的なものにしました。

秀吉が朝鮮半島から連れてきた優れた陶工たちが、世界的に高い評価を受けている
日本の陶磁器制作の基礎を築いたことをご存知でしょうか。
茶道に用いられる茶器も、その元をたどれば、朝鮮の陶工が基礎を築いたものです。

長い歴史の中で日本が受けた多大なる恩恵を忘れて、近年の植民地化や、拉致問題
によって、差別を続けるのは、日本人、日本国家として、恥ずべきことです。

子供の彼女が在日だからという理由で、特別に贔屓しているわけではありません!

これは、私が過去20年以上にわたって、テーマのひとつとしていることです。

  
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