2021年12月05日

アニメ聖地だけでなく明治天皇が度々行幸した聖蹟桜ヶ丘の謎

聖蹟桜ヶ丘はアニメの聖地だけじゃない。


確かにジブリ『耳をすませば』の舞台として
はるばる聖地巡礼にやって来る人は多いけれど。


聖跡桜ヶ丘の「聖跡」とは
時の天皇(この場合、明治天皇)がよく訪れた
記念の地という意味。


都立桜ヶ丘公園にある旧多摩聖跡記念館

20世紀初頭にオーストリアで起こった建築表現の
セセッションやユーゲントシュティールの影響を受け、
関根要太郎が設計した多摩地域を代表する近代建築。

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明治天皇はここ多摩にたびたび行幸している。
皇太子時代の後の大正天皇の行啓は十数回以上に及ぶ。


なぜこんなに頻繁に皇室の行幸・行啓があったのか。

通常挙げられる理由は、
うさぎ狩りと多摩川での魚類の観察だった。

いずれも、自然界を体験する「御学習」目的だ。

だが、
実はこれには幕末から明治維新にかけての
政治的理由もあったと聞く。

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土方歳三や近藤勇や井上源三郎が生まれ育った多摩は
言うなれば新選組の発祥地と言える。

さらに多摩には戦国の代より「八王子千人同心」があり
徳川家および江戸幕府の組織に組み込まれて
さまざまな役割を担っていた。

一例として、日光勤番。
つまり東照大権現(徳川家康)を祀る日光東照宮を
火災から守るための交代での日光勤務。

また甲州街道や日光街道の整備や安全確保など。

したがって多摩は幕府の息がかかった
バリバリの「佐幕」だった。

ところが戊辰戦争で官軍が勝利した。

だからここには
賊軍とされた新選組や八王子千人同心の残党が
大勢いたのだ。

新政府に反発する勢力があったのだ。

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この難しい地方をいかにして新政府の側に取り込むか、
いかにして反抗分子・不満分子を手なずけるか。

そのためには時の天皇や皇太子を「御学習」と称して
頻繁に送り込んで地元民衆との融和を図る必要があった。

飴と鞭 - 懐柔作戦をとったのだ。

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地元の有力者であった富澤家などが
新政府との仲介役として準備、接待に当たっている。

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桜ヶ丘公園には明治天皇と昭憲皇太后御製の歌碑がある。

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(クリックで拡大)

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こちらに時の政府の権力者
元宮内大臣 田中光顕による解説

(クリックで拡大)

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当然だが、旧多摩聖跡記念館のどこにも
「飴と鞭」のストーリーは書かれていない。

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この記念館を建設した中心人物も田中光顕。

さて、この広大な土地をどうやって手に入れたか。

一説には、近藤勇の実家(宮川家)の子孫らが、
新撰組が官軍に多大な犠牲をもたらした詫びの印として
提供したと言われる。


しかし説明版にはただこう書いてあるだけ。

多摩村の人々による土地の提供や工事の協力により...

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記念館の前から森の中に急な階段が続く。
今の時期、落ち葉で覆われて分かりにくいが、
この写真に見られるような階段でぐんぐん標高を下げる。

記念館の標高は調べなかったが、
天王の森(八坂神社)の一等三角点が
多摩市最高で約161.7メートルなので
ここはおそらく140から130メートル前後だと想像する。

途中に倒れた木が横たわっていたり、
「頭上注意」の警告が貼ってあったりする。

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だいぶ下りた頃、道標があった。
兎(うさぎ)平とか兎道などを下りてきたのだと思う。

自分は「はぎの道」大谷戸公園の方角に進んだ。

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大谷戸公園には寄らず手前で桜ヶ丘公園を出て、
森林総合研究所多摩試験場の脇を通り、
連光寺小学校の横に出た。

(クリックで拡大)

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春日通りに出ると春日神社の山車堂。

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このあたり(にも)相変わらず「土方」姓が多い。

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さて、春日神社。
奈良の春日大社の神々を勧請したのだろう。

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鳥居の横に「春日神社」と彫られた石。

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裏を見ると、
多摩ではひときわ名の知れた富澤家の末裔、
そして土方家の末裔の名が彫られている。

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行幸橋で乞田川を渡り、鎌倉街道。

そのまま関戸方面に北進すると、
大栗川と乞田川の合流点が見えてくる。

そしてそのすぐ先で多摩川に合流する。

明治天皇や皇太子が魚類の自然を観察された多摩川。

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多摩川水系1級河川の乞田川の河川管理境界。
東京都から国(国土交通省)の管理に変わる。

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手前の大栗川も同様。

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脱線になるが、
せっかくだから、大栗川から見た
ジブリアニメ『耳をすませば』の耳丘の写真も。

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そして、大栗川。
大きく蛇行し氾濫を繰り返す暴れ川だったため、
三辺護岸されている。

ちなみに乞田川も同様の暴れ川で
多摩ニュータウンが出来た50年前前後に
直線に改修されたと聞く。

大栗川の方は現在も数回大きな蛇行を繰り返しながら、
絹の道のある鑓水方面からここまで流れてくる。

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少し脱線になるが、
野猿街道が大栗川を渡る明神橋付近。

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明神橋の下でも蛇行を見せている。

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この付近の岩堰で大栗川から取水して農業用水としていた
くるまぼり用水路が暗渠となっている。

江戸時代に水利をめぐり村と村の間でいざこざがあった。
これに関する古文書解読のレクチャーを受けたことがある。

くるまぼり緑道。

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くるまぼり公園竣工の碑。

(クリックで拡大)

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