2021年10月12日

多摩散歩 (近藤・土方らが歩いた布田道と「三多摩」のこと)

映画『燃えよ剣』の公開まであと数日。

私が住む多摩丘陵は
土方歳三や近藤勇の故郷、日野や調布から近いので、
後に新選組を結成する彼らは
頻繁に我が家の近くを歩いていた。

中でも近いのは、
小野路の小島鹿之助宅に天然理心流の剣術を教えにいくとき、
あるいは歳三が小野路に住む姪の顔を見るときに歩いた布田道。

そこへ行くには、
我が家のそばの鎌倉早ノ道や鶴川街道を通ることになる。


布田道と
近藤・土方・沖田・山南などの関連が書かれた説明版
(クリックで拡大)

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このところ都心の街歩きの写真整理に追われて、
近所の散歩の写真がたまってしまっていたので、

今日は
京王相模原線の若葉台駅から布田道を目指す人のために
道案内の意味も兼ねて写真を整理する。


具体的には10月1日に投稿した
稲の橋架(はさ)掛け - 多摩丘陵(東京都・神奈川県の境界)

の記事中の後半、
9月29日、川崎市麻生区黒川の散歩の続編とする。


私が住む若葉台は東京都稲城市だが、
徒歩5分の若葉台駅は神奈川県川崎市麻生区黒川にある。

若葉台駅(下のイラスト地図の右上)から鶴川街道を
南西に歩くこと約15分で

「川崎のチベット」などと呼ばれる、
川崎市の飛地的な黒川地区の中心に(青線で囲んだ場所)。


NPO法人みどりのゆび発行『多摩丘陵FootPath1』より転載
(クリックで拡大)

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九十九折の山道(下の地形図のB日影〜C入谷戸)
に差し掛かる手前で、

右手に汁盛神社(2)や
セレッサモス(B日影の角の農協直売所)が見えたら、
そこから「川崎のチベット」黒川の田園地帯が始まる。


幾筋もの尾根と谷戸の間を縫って農業が行われ、
明治や大正とさほど変わらないであろう風景が展開する。


NPO法人みどりのゆび発行『多摩丘陵FootPath1』より転載
(クリックで拡大)

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ここには黒川往還と呼ばれる古道が通り、
昭和の戦前戦後まで燃料としての炭を運ぶ道だった。

馬頭観音や牛馬の供養碑があるのもそのためだ。


余談だが、地形図の上部(3と4の上)、
造成地と書いてある場所は、

私が若葉台に引っ越してきた21年前には
まだ鬱蒼とした森や湿地帯やジャングルの中で
造成工事が展開中だった。

はるひ野と呼ばれるこの地区の開発が進み、
小田急多摩線「はるひ野」駅が開通したのは
平成16年(2004)のこと。

それからというもの、あれよあれよという間に、
瀟洒な戸建て住宅街が誕生した。


NPO法人みどりのゆび発行『多摩丘陵FootPath1』より転載
(クリックで拡大)

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下の写真は、
セレッサモス(上の地形図のB日影)右から田園地帯に入り、
5分ほど歩くと左に見えてくる田んぼ。

田んぼの背後に三沢川の柵が見える。

ここは三沢川上流域の左岸。
源流はすぐそこだ。

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さて、下の写真の右端に見える温室の手前の
こんもりとした森の間に三沢川を渡る橋がある。

白い車が止まっている橋のところには、
政党のポスターが貼ってあるので見失うことはないだろう。

(クリックで拡大)

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その少し手前、つまり温室の手前には、
明治大学黒川農場の道標と市街化調整区域の案内板がある。

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明治大学農場の方へは行かずに政党ポスターのある橋で
三沢川を渡る。

先ほどの田んぼを振り返る。

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数軒の農家の間を縫って、ゆるやかな坂道を上る。

9月29日、突き当たった農地の一角で
背の高いコスモスが風に揺られていた。

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突き当りを道なりに左へ進む。
その瞬間に今来た方を振り返ると、こんな風景。

散歩の度に立ち止まって振り返る心癒される眺めだ。

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そして
また古めかしい農家や作業所の間を縫って少し歩く。

右手に竹林。
竹林の下は、鬱蒼としたジャングルのよう。
ヘビやマムシが出そう(汗)

現に黒川・はるひ野地区には
マムシがたくさん生息。

湿地帯を歩くときには要注意!!

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薄暗い道沿いには季節の花も咲いている。
写真はシュウカイドウ(秋海棠)。

写真は撮らなかったが、
道の左側にある会社の作業所ガレージには、
キウィフルーツがたわわに実っていた(笑)

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明るい場所に出ました!

と、そのとき、
左と右にそれぞれ階段が出現。

左の階段(今回は写真を撮らなかったが)は、

セレッサモスの割とすぐ後で三沢川を渡って
水道局の貯水槽のある山道経由でここに出る場合の
ショートカットルートから降りる階段。


そして右に現れる階段(下の写真)こそが、
布田道に通じる階段だ。

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自分はこの捻じれた急な階段を何度も登ったが、
布田道に入るためには必ずしも登る必要はない。

登る代わりに階段のすぐ左の明るい道、
すなわち町田いずみ浄苑正面ゲートへの道を行けば良い。

途中で右手を見ると、
今歩いてきた神奈川県川崎市麻生区黒川の谷戸風景。

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町田いずみ浄苑正面ゲートに通じる舗装された道は

神奈川県川崎市麻生区黒川と
東京都町田市真光寺の境界線上にあり、
春には桜並木が美しい。

今年3月に同じ場所で撮った黒川の谷戸風景。

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この日のウォーキングを開始した若葉台駅も
東京都と神奈川県の境界線上だから、
黒川地区がいかに東京都に細長く食い込んでいるかが
見てとれよう。

逆の見方をすれば、
私の住む若葉台は東京都にあるが、
東京都よりむしろ神奈川県との接点の方が多い。

行政的でなく文化的に見ると、
若葉台は鶴川街道を通じて神奈川との繋がりが濃い。

というより、実は、実は、
その昔は神奈川県に属していたのだ!

いわゆる「三多摩」と呼ばれる地区は
1893(明治26年)に東京府に編入されるまで
神奈川県に属していたのだ!

よって、
後に新選組を結成する土方歳三の故郷日野も、
近藤勇の故郷調布も、私の住む稲城も、みんな神奈川。

三多摩のイラスト図(カラフルな部分が「三多摩」)

小平市立図書館ホームページよりお借りしました。
(クリックで拡大)

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なぜ「三多摩」地区が東京府に編入されたのか?
諸説あるらしいが、

重要な水源である奥多摩と
三多摩の中心を貫流する多摩川という主要河川の
水利を廻ってではないだろうか?

東京府の人口増加に伴う解決策として。


それはともかくとして、
今、布田道の説明版の前に立つ。

説明版のすぐ横が町田いずみ浄苑の正面ゲート。

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冒頭にも掲載した布田道の案内板。

(クリックで拡大)

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布田道

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近藤・土方の歩いた布田道の道標。
NPO法人みどりのゆび が設置した。

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その道標の先に、
天保十亥年に建立された榎本家の地蔵がある。

榎本家はこの地域の有力な家柄でその一族末裔が
稲城市、川崎市、町田市などに集中的に住む。

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地蔵さまの左側面を見ると、
「江戸弐十八人」と彫られている。

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この日(9月29日)の散歩は、
今回は残念ながら布田道の先へは行かない。

電源開発西東京変電所の敷地の脇を布田道は通り、
さらに森の中を歩いて、鎌倉街道の別所に降りてから、
さらに真っ直ぐに小野路方面に行き、

関屋の切通しで再び「近藤・土方」の道標を見ると、
目指す小野路宿の小島鹿之助邸(小島資料館)に着ける。


以前にも何度か布田道や新選組について書いたし、
今後も歩いたら書くので、今回は布田道の入口情報まで。

このブログのカテゴリー
【幕末・維新】:新撰組・会津藩

の中に、
見たもの、歩いたところの全部とはいかないが、
2009年頃から断片的に色々と書いている。


黒川から真光寺を経て小野路宿につながる概略は
先にも掲げたイラスト地図と地形図で分かるはず。

(クリックで拡大)

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今回NPO法人みどりのゆび様の資料を
利用させていただきました。
転載する際には必ずクレジットを入れてください。

『多摩丘陵FootPath1』原本はまだ購入できるばずです。
みどりのゆびに直接お問い合わせください。

私が所属する歴史古街道団の宮田太郎団長(古街道研究家)も
編集に協力しています。

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この記事へのコメント
>>3
勝手に堺市広報大使さん、お手数をおかけしました。色々とありがとうございました。
来年の春ツアーが再開すれば4月11日に関空に行きますが、その帰りに立ち寄れるかどうかは今のところ未定です。今はとにかくコロナが収束してツアーが戻ってくることを祈りつつ、ブログを通じて旅行したいと思いますのでよろしくお願いいたします
Posted by MIKO at 2021年10月14日 01:54
5
MIKOさん、早速リンク先をホームのURLに変更させていただきました。うっかりしていてすみません。是非是非堺にお越しくださいませ!
私もMIKOさんのブログこれから拝見させていただくのを楽しみにしていますブログランキング応援ボタンも押させていただきました。よろしくお願いいたします。
Posted by 勝手に堺市広報大使 at 2021年10月13日 15:40
5
勝手に堺市広報大使さん、さっそく拙ブログにコメントをありがとうございます。堺市はツアーで大阪市内と関西空港を往復するときに頻繁に通りますが、下車して観光したのは2回だけです。スーパーホテル堺マリティマに宿泊しました。堺にものすごく惹かれるので是非また機会を作って訪ねたいと思います。さっそくの相互リンクをありがとうございます。もし可能でしたら、今日の記事へのリンクでなく、ホームのURLにしていただけると助かります。つまり、 biz/ までです。お手数をおかけしたら大変申し訳ありません。
これからも投稿を楽しみにしていますね。よろしくお願いいたします。
Posted by MIKO at 2021年10月12日 20:08
5
MIKOさん、はじめまして。ブログにメッセージをくださりありがとうございます。ブログにリンクまで貼ってくださっているのを知り、とても嬉しかったです。MIKOさんのブログ拝見いたしましたが、探究心をくすぐられるような歴史好きにはたまらないブログですね!私もリンクを貼らせていただいてもよろしいでしょうか?今後とも是非よろしくお願いいたします。
Posted by 勝手に堺市広報大使 at 2021年10月12日 19:18