2015年07月18日

京都守護職会津藩本陣(黒谷の金戒光明寺)

金戒光明寺の旧会津藩墓地にようやくお参りできたのは、
中学生と旅行中、京都でフリーになった6月27日のことでした。

もっともこう書いている今、自分は桑名にいます。
昨夜、快速みえ「伊勢市」号に乗って、やってきました。
リアルタイムで書けず、3週間遅れの回想になってしまっている点が残念です。

それはともかくとして、おそらく一生忘れることができないであろう
強烈な印象を残した金戒光明寺。

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実際に来てみて、金戒光明寺が京都守護職会津藩の本陣に選ばれたわけが
わかりました。

とにかく広い (千名の軍隊が駐屯できる)
見晴らしがきく (小高い丘で自然の要塞、遠くは淀川の帆船さえも見えた)
交通の要衝に近い (御所から2km、東海道の発着点粟田口から1.5km)

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柏村毅という、会津出身、東京急行電鉄の取締役などを務めた方の志によって
昭和33年7月に建立された
「会津藩墓地参道 → 」と彫った沢山の石道標に導かれて、
会津藩墓地の入口に着いたときには、もう胸がいっぱいでした。

入口の石碑にはこう彫ってあります。
「会津藩殉難者墓地」

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「会津墓地の由来」と書いた石碑の説明文を読みながら、
ついに涙をこらえきれなくなりました。

会津藩が経験した、あのように不可解、理不尽な事の顛末が
他にあるでしょうか?

孝明天皇の謎の死によって、事は真逆の方向に急転回し、
戊辰戦争中最大の悲劇、会津戦争を生んだのでした。

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さらに涙を誘ったのは、下の写真に見られる供え物の数々です。
それらは主に、鶴ヶ城(会津若松城)の絵や写真でした。

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そのうち1枚を別途撮影してここに掲げます。
鶴ヶ城(会津若松城)
あまりにも、悲しく、悔しく、痛々しく ・・・。
当事者でない自分がどんな言葉を並べても、その無念は表しきれません。

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墓地を後にして、再び境内に戻り、山門を撮影します。
山門の左手後方に、蹴上のウェスティン都ホテルが見えます。

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高台で、遮るものがないので、開放感に満ちています。

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御影堂(大殿)。
黒谷の金戒光明寺は、浄土宗の開祖、法念上人ゆかりの地です。
知恩院が総本山なのに対して、こちらは大本山のひとつです。

浄土宗の菩提寺にある父母の墓参りのためにやってきた桑名で、
会津の墓参りの回想記を書くことになったのは、単なる偶然に過ぎません。

しかし菩提寺の墓地に新撰組隊士だった人の墓があるのは、
何かしら運命的な奇偶を感じざるを得ません。

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