2012年08月15日

お盆に大掃除! そして終戦後67年に寄せて

8月13日(月)〜14日(火)、
朝から晩まで、洗濯オバサン、掃除オバサン!
その合間を縫って、かなりタフなパソコンの仕事を、次々に処理!

ふぅ、くたびれた〜

仏壇がある畳の部屋と、リビングルームだけは、
何とか、ぎりぎりセーフで、ホント(汗)、何とかなりました〜

夜は、両親が家を見つけられるようにと、提灯を灯しています☆

もっともこの家に住んだことがあるのは母だけで、
父は、娘が後に東京に住むことになったなんて、夢にも思っていません。
たまに仏壇に報告はしているのですけれどね。

両親が好きだったみたらし団子と、母が好きだったカステラ、
父の好物ビールにぶどうをお供えしました。

本当はお饅頭も父の好物だったのですが、私と子供が苦手で、
あとで食べるのに苦労するので(捨てるわけにはいかないので)、
自分たちが食べられるものにしました。

obon2012



















下は7月に両親の故郷の桑名に墓参りに行ったときの写真です。
思えばあのときが一番暑かったのですね〜
汗だらだら流しながら、お墓を掃除して、お参りしていました。

その直後に、桑名市内を19,000歩ほどウォーキングしたのだから
我ながら、感心、感心。

⇒ 城下町桑名を歩く(1)石取、七里の渡し、桑名空襲に寄せる思い

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そうそう、桑名ウォーキングで訪れた、
六華苑(ジョサイア・コンドルの和洋折衷建築のある日本庭園)について
記事にすると、あのとき宣言していました。
でも、時間がなくて、延び延びに。

近いうちに絶対に記録に残しておきます!
あれは、絶対に世に知らせなくてはいけないと、使命感に燃えているので。


さて、そうこうするうち、今日は終戦から67年目。

父が生きていた今から30年〜40年以上前、・・・・・ そのときですら、
テレビで、「今日は何の日ですか?」といった街頭インタビューが報じられると、
当時の若い人(つまりその頃の私の年代の人たちですが)が首をかしげるので、
「今の若者は終戦の日も知らん・・」と父はブツクサ言っていました。

ある年の8月15日、「今日が何の日か知っとるか?」と聞かれて、私が
「終戦記念日!!」と答えると、「えらい!よう、知っとる!」と、
合格点をくれたものです。


ちなみに、戦没者310万人と一口に言いますが、
横浜市と大阪市の人口の平均に相当するのですね。

そういう感覚を失ってしまって、数字(統計)だけ知っていても
何の意味もありませんね。

どれだけ多くの悔し涙が流されたことでしょう。

戦争の記憶が風化されつつある今、改めて戦没者を悼み、
平和を祈願する者です。


終戦間近に生まれた人たちが団塊世代で、それに続く私の世代は、
年長者から聞かされた体験談などを通じて戦争を知るのみです。

それでも占領下という境遇から逃れた直後の、あの貧しい暮らしぶりは
幼児ながらも記憶に残っています。

「もはや戦後ではない」(1956年『経済白書』)と言わせた
神武景気をみるまでは、本当に、本当に、質素な国民でした。

その間にも、朝鮮戦争を背景とした「特需景気」によって
国は着々と経済力をつけていたのでしょうが、庶民の暮らしはまだまだ。

「隔世の感あり」という言葉は、こうゆうときに使うのでしょう。

何せ、1ドルが360円でしたから!!

アメリカから観光客がわんさと押し寄せて、
当時(1950年代)にガイド免許を取った大先輩ガイドたちは、
さばき切れないほどのツアーに恵まれて、「ガイド=花形職業」として
人々から羨ましがられたというのですから。

それに引き換え、今は・・・・・(涙)


では、畳の部屋もリビングルームもおおかた片付いて、
気持ちがすっきりしたので、今からまたパソコンの仕事に取り組みます!

埃まみれの李朝クラフトの書棚と文机が、よみがえりました♪

bookshelf

























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