2012年06月20日

太宰治の桜桃忌に、懐かしい三鷹を訪ねて

40数年前、高校生のときに初めて読んだ太宰治の『人間失格』を、
20数年ぶりにまた読んでいます。

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クラスで最も貧弱な肉体をして、顔も青ぶくれで、(中略)、
学課は少しも出来ず、教練や体操はいつも見学という白痴に似た生徒でした。
(中略)
いつそこへ来ていたのか、竹一が自分の背中をつつき、低い声でこう囁きました。
「ワザ。ワザ」
自分は震撼しました。ワザと失敗したという事を、
人もあろうに、竹一に見破られるとは全く思いも掛けない事でした。


私立女子高校1年生のとき、自分がクラスの中で浮いた存在であったこと、
勉強など出来やしないのに、中部地方きっての名門中学から来たというだけで、
他の生徒から妬まれ、変に誤解され、ウワサの的にされました。

バスで隣り同士になる子の組合せを決める日、自分ひとりだけ半端になったら
どうしようと思うと、学校に行くのが怖く、夏合宿に参加することも恐怖に思えて、
どうにかして休むか、それとも乗り切るための何か良い知恵はないかと悩みました。

結局、夏合宿では、道化をやることを覚えて、それでもってクラス中を笑わせ、
「この子、名門卒のお高くとまった子かと思ったけど、案外そうじゃないじゃん。
けっこう普通の子じゃん。」と思わせることに成功しました。

そうしたら、もう途中で止められなくなり、2年目にはエスカレートして、
授業中は、ファンレター書き、早弁、居眠り、内職で過ごし、
数学2B の答案は、ワザと(*)白紙で出して、0点答案が返ってくると、これ見よがしに
クラス中に見せびらかして自慢し、自分がいかに勉強が出来ない子、勉強しない子
であるかを証明することに、命を賭けました。
(* ワザとでなくても、どっちみち何も書けないほど無学力でしたが・・・)

そんなティーンエイジャーのときに出会った『人間失格』の、
竹一の「ワザ。ワザ」という部分は、私をもひどく震撼させたものでした。

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6月13日に愛人と玉川上水で入水自殺を遂げた太宰。
その遺体が上がったのは6月19日で、奇しくもそれが太宰の誕生日であったことから、
太宰を偲ぶ日となりました。

2012年6月19日(火)、太宰没後63年目の桜桃忌が、
東京都三鷹市下連雀の禅林寺で営まれました。

昭和22年(1947年)頃の三鷹駅南口

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写真は三鷹市のHPよりお借りしました

武蔵野市に住んでいた頃、お腹の子供をかばい、満員の中央線を避けるために、
毎朝、三鷹駅まで歩いて、三鷹始発の総武線で派遣先の東芝に通勤していました。
子供が生まれた後も、アパートの家賃を払いに、月1回、三鷹に通ったものでした。

駅前から延びる、20年ぶりの懐かしい道を、禅林寺を目指して歩いて行くと、
左手に三鷹公共職業安定所(ハローワーク)がありました。

臨月の直前に東芝本社の派遣を退職した自分は、子供が生まれると、
家庭訪問に来てくださった東京都福祉保険局の保健婦さんの力強い助言により、
三鷹のハローワークを紹介されて、ただちに再就職活動を開始したのでした。
すっかり忘れていた、今では幻のような過去が、蘇ってきました。

禅林寺は、ハローワークのさらに先です。

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門をくぐると、色とりどりの、種類の異なる紫陽花が出迎えてくれました。

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最近ブログ友の方の記事で知ったのですが、
こうゆうのは、額紫陽花と言うのですね。

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赤、黄、橙、桃、白の、百合の花も印象的でした。

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12時半。 裏の墓地に行くと、すでに墓前には10数名が列を作っていました。

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太宰治の墓(手前)と、津島家(太宰の本名)の墓。

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墓にはたくさんの供花と供え物がありました。
次の仕事の打合せの帰り道とは言え、お供物も数珠も持たずにやって来た自分を、
浅はかだったと後悔しました。
着るものだけは黒いものを羽織ってきたのですが。

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お供え物はほとんどが桜桃でした。箱詰め、あるいは、ばらで。

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「桜桃忌」の名は、太宰と同郷の津軽の作家で、三鷹に住んでいた今官一によって
つけられた。
「桜桃」は死の直前の名作の題名であり、6月のこの時季に北国に実る鮮紅色の宝石の
ような果実が、鮮烈な太宰の生涯と珠玉の短編作家というイメージに最もふさわしいとして、
友人たちの圧倒的支持を得た。

(三鷹市HPより)

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子供より親が大事、と思いたい。子供よりも、その親のほうが弱いのだ。
桜桃が出た。
私の家では、子供たちに、ぜいたくなものを食べさせない。子供たちは、桜桃など、
見た事も無いかもしれない。食べさせたら、よろこぶだろう。父が持って帰ったら、
よろこぶだろう。蔓(つる)を糸でつないで、首にかけると、桜桃は、珊瑚(さんご)の
首飾りのように見えるだろう。
しかし、父は、大皿に盛られた桜桃を、極めてまずそうに食べては種を吐(は)き、
食べては種を吐き、食べては種を吐き、そうして心の中で虚勢みたいに呟く言葉は、
子供よりも親が大事。


桜桃忌の読経が始まる14時まで、1時間以上も、雨の三鷹を歩き回りました。
そうして、また禅林寺に戻り、再び墓前に参列しました。

14時、僧侶による読経が始まりました。
このとき、雨足が急に、きわめて激しくなり、衣服も、カバンも、何もかもが
ずぶ濡れになりました。

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太宰の墓の斜め前には、森鴎外(本名:森林太郎)の墓があります。

「この寺の裏には、森鴎外の墓がある。
どういうわけで、鴎外の墓がこんな東京府下の三鷹町にあるのか、私にはわからない。
けれども、ここの墓所は清潔で、鴎外の文章の片影がある。
私の汚い骨も、こんな小綺麗な墓地の片隅に埋められたら、
死後の救いがあるかも知れないと、ひそかに甘い空想をした日も無いではなかったが、
今はもう、気持ちが畏縮してしまって、そんな空想など雲散霧消した」
(『花吹雪』)

(三鷹市HPより)

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森鴎外の墓の側面に、大正11年7月9日と彫られています。    ↓

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読経の時刻を目がけて特別に激しく降った雨が、読経後また穏やかになりました。

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紫陽花の愛らしい清楚な色合いに気を取られながら、
雨に煙る禅林寺の境内を後にしたのでした。

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三鷹駅まで再び20分の道のりを歩いた後、どうやって帰ろうかと思案。
中央線と井の頭線では、イマイチ能がない。

そうだ! バスに乗ろう!! と思いつきました。

東京は、都心に向かう鉄道が放射線状によく発達しているのに比べて、
郊外と郊外を結ぶのは、大抵の場合、路線バスしかありません。
こんなときこそ、路線バスを利用するチャンスです。

3番乗り場から、調布駅北口行きのバスに乗りました。
そのバスは、結局また禅林寺の隣りの八幡神社バス停に止まりました。

その後、奇しくも、3日前のウォーキングで歩いた場所の近くを走ることになり、
国立天文台、そして住宅街の中を流れる、幅広くなった野川を車窓から眺め、
調布飛行場に関する車内アナウンスを聞いたりして、調布に着きました。

この日の歩数: 16,560歩

これで、一連の予定が終わり、一段落しました。
次の仕事のための心の準備をしつつ、今日からまた勉強再開です。


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