2011年11月06日

震災後のサバイバルは「待つ」から「動く」への意識転換から

少々日にちが経ってしまいましたが、
10月終わりのある日、某社団法人主催の講演会を聞いてきました。

東日本大震災と原発事故に伴う風評によりかつてない苦境に立たされている
我々通訳ガイドのサバイバルに関するものです。

しかし実際には、職業に関わらず、普遍的な価値を持つ、
サバイバルのための自己意識改革への提案でした。

参加者の多くは60代、70代で、中には1950年からこの道一筋に生きてきた
80才を越える高齢者もいました。

大半が男性で、企業戦士を定年退職してセカンドライフに通訳ガイドを考える
団塊世代と思われる姿も見受けられました。

ええっ〜、もはやセカンドライフの職業になり果てたの?
これを専業にずっと生きてきた我々はどうなるの?

1ドル360円時代には、運輸省の難関「通訳案内業」試験に合格しガイドになると
「民間の外交官」として持てはやされた、あの憧れの職業は一体どこへ?

「観光立国」を目指す日本の動きに完全に逆らっているじゃない?

2008年リーマンショック以来、否それ以前から斜陽の一途をたどってきた職業を
震災と原発事故が襲い、今や完全に経済的弱者と位置付けられてしまいました。


ともあれ、
3名の講演者によるお話から貴重なヒントを得たので記録しておきます。

1. これまで我々の大半は、旅行会社に頭を下げて登録してもらい、
  仕事の依頼が来るのを、ただ受身的に待っていたのではないか?

2. 経済危機や自然災害、原発事故といった、自分には成す術のない出来事を
  ただ不運だと悲観し、誰かが何かしてくれるのを待っているだけではないか?

3. ここで、そろそろ受身的な姿勢をやめて、

  ひとりひとりが「日本のセールスマン」として「日本」を売り込む、
  あらゆる手段を通じて「安全な日本」「美しい日本」をアピールするといった
  発想の転換をはかれないか?

4. 我々の中に一体どれほど「個人事業者」の自覚を持つ人がいるのか?
  弁護士や税理士同様に「士業」とされ、名称が「通訳案内士」に変更されて
  久しいが、おそらく大半の人は旅行会社に雇われている気分でいる。

5. 雇われ気分、つまり「他力本願」でいたのでは、
  その旅行会社が倒れるときには、自分も運命を共にする。

6. そうではなくて、自分が主体となって行動を起こす。

  例えば、お薦めの旅プランを立案し、海外の旅行会社に直接提案する。
  反響が得られれば、実現出来るように後は旅行会社にお願いする。

  旅が成立した暁には、プラン料をちゃんと請求し、
  責任を持って自分がその旅に添乗し、ガイドを務める。

7. 何ごとも一点集中はリスクが大きい。少なくとも三点にリスクを分散する。

  契約会社を複数にする、
  異業種の資格を取り、異業種との接点で新たな可能性を模索、編み出す、
  コンサルタント業(資格不要)と抱き合わせて何か出来ないか考える、など。

  人との差別化を試みることで、新たな可能性が生まれるかもしれない。

8. 自宅を事業所として登録し、青色申告をする。 または会社を作る。
  これに関しては自分は白色申告をしており、また別業種で会社も作ったので、
  今のところはこのままで良い。

9. 合衆国では「フリーエージェント(誰にも雇われない人)」が労働人口の
  4分の1を占めるという事実がある。
  我々も、「誰かから仕事をもらう人」から「自分で仕事を生みだす人」へと、
  意識改革をはかる時期に来ている。

以上、とりとめもないメモ書きですが、今後の指針としました。


まあ、何にせよ、思い立ったら行動開始ですね。

その第一歩として、
Facebookに載せておいた白川郷の合掌造の写真にコメントをくれたドイツ人に、
白川郷と合掌造の説明を書いて返信しました。

また海外の某社に売り込みメールを送り、さっそく昨日、前向きの返事が来ました。

「待つ」から「動く」へ、意識の転換が始まりました。

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この機会に、講演会で紹介された本を載せておきます。
自分はまだ読んでいませんが、寄せられた沢山の講評を読むと、
困難な時代を乗り切るための生き方の選択肢としてヒントになりそうです。

freeagent





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