2011年08月15日
終戦記念日・ブログ開設5周年・戦後の思い出
66回目の終戦記念日ですね。
このブログに来てくださる皆さまの大半にとっては、
終戦と言っても遠い昔のことであまり身近には感じられないでしょうか。
かく言う私自身も戦後生まれなので、戦時中や終戦、戦後まもない頃のことは
さほど多くを知っているわけではありません。
でも、私が生まれた頃には、日本は正式にはまだ連合国の占領下にあり、
吉田茂のサンフランシスコ講和条約調印をもって、ようやく連合国との戦争状態が
終結を見たわけなので、戦争の残した傷跡がまだ様々な形で残っていました。
当時はまた、朝鮮戦争の真っ最中でもあったので、私が小さい頃には、
名古屋の街中でも、GIカットの米兵がごく日常的に闊歩していたものです。
また、傷痍軍人と呼ばれる負傷兵が白い服に身を包んで道路脇で乞食をする姿も
ごくごく日常的な光景でした。
幼い子供の私が、手をつないだ母に、「あの人は誰?」と聞くと、
「戦争に行って怪我を負って帰って来た兵隊さんだよ。」と教えてくれました。
子供ながらに、戦争に行った兵隊さん、かわいそう ・・・と思ったものです。
そんな中、決して忘れられないのがNHKラジオの『尋ね人』という番組です。
「尋ね人の時間です」
というアナウンサーの声で始まる、独特の雰囲気を醸し出した番組でした。
私の家には私が小学校5年生の頃までテレビがなく、したがってNHKラジオが
日常的に流れていたため、かなりな年月をこの『尋ね人』を聞いて過ごしました。
尋ね人の例を挙げます。(ウィキペディア参照)
● シベリア抑留中に○○収容所で一緒だった○山○夫と名乗る方をご存じの方は
日本放送協会の「尋ね人」の係へご連絡下さい・・・
● 旧満州国竜江省チチハル市の○○通りで鍛冶屋をされ、「Aおじさん」と
呼ばれていた方。上の名前(苗字)は判りません・・・
● ラバウル航空隊に昭和19年3月まで居たと伝え聞くBさん、○○県のCさんが
お捜しです・・・
● 昭和○○年○月に舞鶴港に入港した引揚船「雲仙丸」で「○○県の出身と仰り
お世話になった丸顔のDさん・・・
と、概ねこんな感じでした。
この機会に興味を持ち調べてみると、1945年(終戦の年)から1962年まで
放送されていたということなので、私の実家がよそ様より遅れてテレビを購入し、
ラジオ離れをし始めた正にその頃に、番組も終了していたことになります。
当時は、池田隼人が「所得倍増」などのスローガンを掲げ、数年後に控えた
東京オリンピックを目指して急ピッチで新幹線開通準備を進めていた時期なので、
もはや『尋ね人』の時代は、終わるべくして終わっていたのですね。
戦後生まれの自分が僅かながらでも終戦後の10数年を自らの言葉で語れるのは
このくらいです。あとは、青春のほとんどを戦争の中で過ごした亡き両親から聞いた
赤裸々な体験談などから想像するのみです。
長くなりましたが、戦争のために青春のほとんどを失った両親への想いを込めて、
5年前の今日(2006年8月15日)、このブログを開設しました。
ですから今日が5周年記念日というわけですが、・・・ 実際には途中で丸2年間
更新をさぼっていたので、本当の意味ではまだ5年は経っていませんけれどね。
まあ、その辺は大目に見てお許しを。
もしよろしければ、古い記事へのリンクを載せておきますので、
読んでいただけたらうれしいです☆
鹿児島の知覧での仕事記録(2010年3月15日)
鹿児島だよりと特攻隊 沖縄戦で散った1036名の若きエリートたち!
ブログランキング ブログ村
このブログに来てくださる皆さまの大半にとっては、
終戦と言っても遠い昔のことであまり身近には感じられないでしょうか。
かく言う私自身も戦後生まれなので、戦時中や終戦、戦後まもない頃のことは
さほど多くを知っているわけではありません。
でも、私が生まれた頃には、日本は正式にはまだ連合国の占領下にあり、
吉田茂のサンフランシスコ講和条約調印をもって、ようやく連合国との戦争状態が
終結を見たわけなので、戦争の残した傷跡がまだ様々な形で残っていました。
当時はまた、朝鮮戦争の真っ最中でもあったので、私が小さい頃には、
名古屋の街中でも、GIカットの米兵がごく日常的に闊歩していたものです。
また、傷痍軍人と呼ばれる負傷兵が白い服に身を包んで道路脇で乞食をする姿も
ごくごく日常的な光景でした。
幼い子供の私が、手をつないだ母に、「あの人は誰?」と聞くと、
「戦争に行って怪我を負って帰って来た兵隊さんだよ。」と教えてくれました。
子供ながらに、戦争に行った兵隊さん、かわいそう ・・・と思ったものです。
そんな中、決して忘れられないのがNHKラジオの『尋ね人』という番組です。
「尋ね人の時間です」
というアナウンサーの声で始まる、独特の雰囲気を醸し出した番組でした。
私の家には私が小学校5年生の頃までテレビがなく、したがってNHKラジオが
日常的に流れていたため、かなりな年月をこの『尋ね人』を聞いて過ごしました。
尋ね人の例を挙げます。(ウィキペディア参照)
● シベリア抑留中に○○収容所で一緒だった○山○夫と名乗る方をご存じの方は
日本放送協会の「尋ね人」の係へご連絡下さい・・・
● 旧満州国竜江省チチハル市の○○通りで鍛冶屋をされ、「Aおじさん」と
呼ばれていた方。上の名前(苗字)は判りません・・・
● ラバウル航空隊に昭和19年3月まで居たと伝え聞くBさん、○○県のCさんが
お捜しです・・・
● 昭和○○年○月に舞鶴港に入港した引揚船「雲仙丸」で「○○県の出身と仰り
お世話になった丸顔のDさん・・・
と、概ねこんな感じでした。
この機会に興味を持ち調べてみると、1945年(終戦の年)から1962年まで
放送されていたということなので、私の実家がよそ様より遅れてテレビを購入し、
ラジオ離れをし始めた正にその頃に、番組も終了していたことになります。
当時は、池田隼人が「所得倍増」などのスローガンを掲げ、数年後に控えた
東京オリンピックを目指して急ピッチで新幹線開通準備を進めていた時期なので、
もはや『尋ね人』の時代は、終わるべくして終わっていたのですね。
戦後生まれの自分が僅かながらでも終戦後の10数年を自らの言葉で語れるのは
このくらいです。あとは、青春のほとんどを戦争の中で過ごした亡き両親から聞いた
赤裸々な体験談などから想像するのみです。
長くなりましたが、戦争のために青春のほとんどを失った両親への想いを込めて、
5年前の今日(2006年8月15日)、このブログを開設しました。
ですから今日が5周年記念日というわけですが、・・・ 実際には途中で丸2年間
更新をさぼっていたので、本当の意味ではまだ5年は経っていませんけれどね。
まあ、その辺は大目に見てお許しを。
もしよろしければ、古い記事へのリンクを載せておきますので、
読んでいただけたらうれしいです☆
鹿児島の知覧での仕事記録(2010年3月15日)
鹿児島だよりと特攻隊 沖縄戦で散った1036名の若きエリートたち!
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この記事へのコメント
Mariさん、ありがとうございます〜。
早いものです。5年前の記事のときのこと、ついこの間みたいです。
Mariさんがコメントくださるようになってもう1年半ですか?!
最近はウィーン少年合唱団以外の話題でも来ていただけてうれしいですよ〜。
こちらこそこれからもよろしくお願いいたします。
早いものです。5年前の記事のときのこと、ついこの間みたいです。
Mariさんがコメントくださるようになってもう1年半ですか?!
最近はウィーン少年合唱団以外の話題でも来ていただけてうれしいですよ〜。
こちらこそこれからもよろしくお願いいたします。
Posted by MIKO at 2011年08月17日 06:40
MIKO様
15日は、ブログの開設記念日だったのですね。
遅くなりましたが、これまで素敵な話題を届けて下さり
ありがとうございます。
私が、こちらのサイトに立ち寄らせて頂きまして、
かれこれ1年と半年が過ぎようとしています。
私のとりとめの無いコメントにも、心を配れた優しい伝言を届けて下さり、
ありがとうございます。
これからも、よろしくお願いいたします。mari
15日は、ブログの開設記念日だったのですね。
遅くなりましたが、これまで素敵な話題を届けて下さり
ありがとうございます。
私が、こちらのサイトに立ち寄らせて頂きまして、
かれこれ1年と半年が過ぎようとしています。
私のとりとめの無いコメントにも、心を配れた優しい伝言を届けて下さり、
ありがとうございます。
これからも、よろしくお願いいたします。mari
Posted by Mari at 2011年08月16日 20:53
アイルランドさん、有難うございます。
途中2年間も放置していたのだから大したことはないですが、今になってみると削除しないで残しておいて良かったです。
途中2年間も放置していたのだから大したことはないですが、今になってみると削除しないで残しておいて良かったです。
Posted by MIKO at 2011年08月16日 12:19
ヒナママさん、こんにちは。
私が若い頃でさえ、終戦記念日をうっかり忘れそうになるのは普通でした。
それだけ、戦争が遠い過去のものになったということですね。
風化させてはいけないと思うものの、自分自身の戦争体験がないのでねえ。
親の苦労を偲ぶことから始めるしかありません。
私が若い頃でさえ、終戦記念日をうっかり忘れそうになるのは普通でした。
それだけ、戦争が遠い過去のものになったということですね。
風化させてはいけないと思うものの、自分自身の戦争体験がないのでねえ。
親の苦労を偲ぶことから始めるしかありません。
Posted by MIKO at 2011年08月16日 12:17
今日はブログ開設の記念日だったのですね。おめでとうございますと申し上げてよいのかどうかわかりませんが,五年も続けてこられたことは素晴らしいと思います。
過去のブログも拝読させていただきます。
過去のブログも拝読させていただきます。
Posted by アイルランド at 2011年08月15日 23:11
こんばんわ〜
終戦記念日であることさえ忘れてしまいそうでした。
日本人として、忘れてはいけないのですよね。
MIKOさんがこちらのブログを開設されたことに、深い意味があったのですね、、、
終戦記念日であることさえ忘れてしまいそうでした。
日本人として、忘れてはいけないのですよね。
MIKOさんがこちらのブログを開設されたことに、深い意味があったのですね、、、
Posted by ヒナママ at 2011年08月15日 20:57