全国通訳案内士、旅程管理主任者。
ドイツ語・英語のガイド国家資格と英検1級・独検1級を所有。

バイオリン&教育ママ人生の思い出と生涯学習による終活日記。

お能、長唄三味線、バイオリン、ピアノ、河川水路・史跡巡り、ウォーキング、ハイキングなどを楽しみたい♪

2011年03月31日

節約生活 徹底

年度末を区切りに、節約生活をいっそう徹底することにしました。

携帯のパケット定額、1,000円コースを、390円コースに変更。
携帯の通話料金プラン、2,600円?を、1,600円?に変更。
新聞(朝・夕刊)を解約。

これで、節約額合計、5,500円也。

さらに自分ひとりのとき、勉強部屋以外が真っ暗なのは当然ですが、
勉強部屋も室内照明は使わずに、卓上電灯だけで暮らしています。

大きなパソコンは1日一回電源を入れて一気に用を済ませた後、終日OFFに。
ノートは仕事依頼のチェックに必須なので、起きている間はONにしてあります。
液晶画面の明かりが、部屋の照明を補ってくれていますし。

それから、なるべく買物に行かないことにしました。
どんな半端な野菜も最後まで使い切るまでは(味噌汁、スープ、雑炊)。

また、交通費のかかるところへは、なるべく行かない。
どうしても必要な場合、歩いて1時間の範囲なら、歩いて交通費を節約する。

膝掛け利用で、暖房を極力使わないようにする。
ただし、これらは自分自身のことだけです。

子供はほとんど留守だし、たまに帰っても寝るだけで、・・・・・・・
消し忘れの電気があれば、消してやり、
返却忘れのレンタルDVDがあれば、返しに行ってやるくらいです。  

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2011年03月28日

地震で失業、でも歩き続けます

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3月27日(日)、ウォーキング中に桜並木の横を通りかかりました。
どの木もまだ固いつぼみをつけていました。

3月27日と言えば、子供が小さい頃、武道館でバイオリンを弾き終わると、
靖国神社に花見に立ち寄って、熱燗で一杯やるのがお決まりのコースでした。

だから、経験的に、3月27日には大方、桜が見頃と思っていました。
それなのに今年はまだ空気がとても冷たくて、開花はまだまだですね。

一方、モクレンは今にも咲き出しそうです。

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地震と原発事故の影響で、4月も5月もツアーがキャンセルとなりました。
私だけでなくガイド仲間のみんなが、この春は失業の身となりました。

旅行会社はもとより、ホテル業界、レストラン、観光箇所、土産物店など、
外国人観光客を受け入れるすべての施設が、訪日団体のキャンセルにより
大打撃を受けています。

国土交通省が展開してきた「ビジット・ジャパン・キャンペーン」の間には、
2008年秋のリーマン経済危機と円高による大打撃を経験してきましたが、
ようやくそれを徐々に回復しながら、客足を伸ばそうと意気込んでいた矢先に、
今度は自然災害です。

サルスの流行や世界的なテロ続発のときもそうでしたが、
大事件が起こる度に、就業の機会を奪われる、他力本願の業界です。

桜とツツジ、秋晴れと紅葉、この春と秋二つの季節に仕事が集中し、
それによって1年分の収入を稼いでいるので、春が丸々つぶれることイコール、
ガイド年収の半分がすでに失われたことを意味します。

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でも、一瞬にして家を奪われた人、家族や一家の大黒柱をなくした人、
仕事に復帰できない人、就職内定を取り消された人、・・・・・・

東北の被災者の皆さんが今日もなお寒い中、明日のことさえわからないのに
頑張っていらっしゃることを思えば、自分の失業などは何でもありません。
貯金を食いつぶしていく一年間にはなるけれど、前進あるのみです。

4月半ばになると、あたり一面をピンク一色におおってくれる芝桜が
ほんのわずかですが開花し始めていました。↑

道端では水仙が健気に花をつけていました。↓

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春は必ずまた廻ってくる。
だから今は、今やれることを頑張ろう。

たっぷりと時間を与えられたのだから、思いっきり勉強に励もう。
1日1回のウォーキングで健康を維持して、節約にも励もう。

生まれ故郷ではないけれど、ようやく住み慣れてきた、この地で、
今年もまた、まもなく満開の桜が心を潤わしてくれる、この地で、

今出来ることをやりながら、今日も歩き続けます。  
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2011年03月25日

欧州人-親切心と過剰反応と無神経さ

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旅から帰って一週間たちますが、家の中はまだ片付いていません。

写真↑ 私の勉強部屋の床
写真↓ トランクルームの中
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旅の間も、帰った後も、海外からお見舞いメールが続々と届いています。
オーストリア、ドイツ、シンガポール、アメリカ、バングラデシュ、インド、ベルギーetc

「ドイツに来るなら (注:避難してくるなら、の意味です)、
うちに滞在してもいいですよ!」と言ってくださる方もいました。

旅先で同僚も同様のメールを受け取ったそうです。
「すぐにミュンヘンにいらっしゃい! かくまってあげますから!」

また、別の同僚のところにも、メールが来たそうです。
「日本を逃れるなら、ドイツへ来て我が家に滞在してください!」

親切な人たちに連日せっせと返事を書いています。
「ありがとう。確かに私の家も激しく揺れたけれど被害はさほどではないので
安心してください。それよりも東北地方の悲惨な状態に心を痛めています・・・・・」

メールをくれた人たちの最初の心配事は、地震と津波でした。
それが、そのうち放射線の方に関心が移ってきました。

特に欧米人は、こと放射線に関しては特別に敏感に反応するようです。

広島や長崎の原爆資料館に案内するとき必ずと言ってよいほど聞かれること。
「ここはまだどのくらい汚染が残っているのか?水を飲んでも大丈夫か?」

「戦後65年も経っているのだから何も残っていません。水も問題ありません。」
と言っても、なかなか信じてもらえません。

何故それほど敏感に反応するのかと言うと、
チェルノブイリの記憶が鮮明だからでしょうか?

チェルノブイリ事故の日、添乗で東欧を旅行中だった私は、
チェルノブイリ直後のヨーロッパ中のパニックをリアルタイムで経験しています。
あれは今もって忘れることが出来ません。


それはそうと、昨夜は腹の立つメールを受け取りました!
日本在住のあるドイツ人からなのですが、

「今ドイツへ避難してきたところです!
パニックが起こらないように日本の報道は「大丈夫だ」と言い張っていますが、
海外の報道やオーストリアなどの研究所によると、チェルノブイリを越えてしまう
可能性が少なくありませんよ!」

この人は家族ぐるみで帰ってしまい、年内は日本を避けている感じですが、
ここにとどまるしかない人に向かって、よくこんな言い方が出来るものだと、
その無神経さに呆れてしまいました!

親切心旺盛で、ホスピタリティー精神に満ちた、スマートな欧米人も、
ひとつ裏返すと、簡単にパニックし、集団ヒステリーに走る傾向があるようです。

冷静に考えても、日本の危険度はチェルノブイリに匹敵するのでしょうか?
素人の私には判断できませんが、うわさに振り回されず、冷静に行動したいものです。

一方、日本に関して嬉しい評価もあります。

日本人はこんな災害に直面しても落ち着いて行動出来る。
避難所で不自由な生活を余儀なくされ、おにぎり1個しか支給されなくても、
感謝の気持ちを失わずに助け合う日本人は素晴しい国民性を持っている。


と、台湾が報道していたと聞きました。
憂鬱なニュースが続く中で、久しぶりに心を和ませてくれた話題でした。

欧米人のように親切心を振りまいたり、器用に人をもてなすことは不得意ですが、
日本人も別の面で誇れるものをたくさん持っているなあとつくづく思います。

写真↓↓ 我が家の食器戸棚

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2011年03月22日

災害から学んだこと、別離の覚悟

たった今ヨーロッパから電話がかかってきました。
地震の後に突然一時帰国してしまった一スタッフからです。

日本での大災害を知った国のお母様がショックでほとんど半狂乱になって、
隣りの人から、「とにかく一度帰ってきて!」と連絡が入ったとのことでした。

母ひとり、息子ひとりなのに、7年間も一度も帰国していなかったのだから
年老いたお母様の心配は痛いほどわかります。

同じように母ひとり、息子ひとりの自分の立場に置き換えてみれば、
本当にわかり過ぎるほどわかります。

お母様の容体が落ち着くのを見届けて、2、3週間で日本に戻る予定とのことでした。
電話を切った後、お母様のことを思って涙が出てしまいました。


先日島原を一緒に下見した同僚(大先輩ですが)とも道中こんな話をしました。

彼女のひとり息子さんはもうすっかり大人なのですが、独立して家を出たときから、
いつ何どきどんなことに遭遇して、親子が突然永遠に別れることになったとしても
少しも不思議ではない。

その覚悟をしっかりと持つこと。

子育ての究極の目的は、子供を自立させることだから、
その役目が終わったら、親としての覚悟を決めること。

歴史の中で、どれだけの親が子供と突然に引き裂かれてきたことか!

生老病死 愛別離苦

淋しいけれど人生とは正にこの四苦八苦を乗り越えて生きることなのですね。  
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2011年03月18日

六甲と島原から東京の現実へ

地震の翌朝、タクシーを飛ばして横浜へ。スタンバイの末、仕事はキャンセル。
中一日おいた14日(月)、神戸へと仕事の下見に行きました。

家の最寄駅の路線が運休で復旧の見通しが立たないので、1時間タクシーを待ち、
同じ方面へ行く見知らぬ人と4人でタクシーに乗り合い、電車のある駅に行きました。

そこから50%本数を減らして運行中の線で都心に出て、乗り換えて東京駅に着くと、
ようやく新幹線に乗れました。

新神戸に着いたのが16時前。荷物をホテルに置きに行き、それから三宮に戻り、
阪急と市バスを乗り継いで、六甲山ケーブル駅に着いたのが17時半。
ケーブルで六甲山上に着いたときには、18時前でした。

六甲山ケーブル山上駅の天覧台より、神戸港を望む
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次に、その日の最終の山上バスで、六甲ガーデンテラスへ。
ガーデンテラスに着いたのが18時23分。

六甲ガーデンテラスの展望デッキより、神戸港を望む
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山を降りると、市バスで阪神御影駅に。そこから阪神電車で住吉へ。
灘の白鶴酒造を、せめて外観だけでも下見するためでした。もう20時前なのに。

白鶴の後、住吉のホームのベンチでネットに繋ぎ、その日の21時が締切の仕事を
片付けました。再び電車に乗って三宮に行き、夕飯を食べてホテルに着くと21時半。

それから、六甲と酒造のまとめをやって寝ました。長い1日でした。

翌15日(火)、無事、六甲と白鶴の本番を終え、夜、ブログ友のつとさんに
初めてお会いして、夕食をご一緒して楽しく歓談しました。




16日(水)、朝、神戸から長崎に飛び、長崎空港から1日3本しかない路線バスで、
同僚と一緒に、島原半島へ下見に行きました。

バスの車窓より、有明海をのぞむ
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島原駅に着くとさっそく、島原城、武家屋敷、鯉の泳ぐ湧水を下見。
夕方になってから、お城近くのべーカリーレストランで大満足のランチをしました。
その後、島原鉄道で諫早に出て、JRかもめに乗り換え、夜は長崎に泊まりました。

翌17日(木)は、長崎から島原半島の日帰りツアー本番。
前日の下見と十分な準備により、成功裡に仕事を終えることが出来ました。

キリスト教伝来、島原の乱、隠れキリシタン、雲仙普賢岳の噴火と平成新山、
1792年の大噴火と有明海の大津波など、話題に事欠かない場所なので、
自分としてはとても説明がしやすく仕事がやりやすかったと思いました。

島原城天守閣から、島原駅と有明海をのぞむ(対岸は熊本県)
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18日(金)、長崎を後にして、神戸空港を経由して、羽田に飛んできました。
雲ひとつない晴天だったため、瀬戸内の島々も伊豆諸島もくっきり見えました。

飛行機の小さな窓いっぱいに、紀伊半島から浜名湖あたりまでがほぼ一望でき、
さながら地図帳を眼下に広げたような姿なのには、つくづく感心しました。

浜名湖を通過していく新幹線も、小さいけれどはっきりと確認できました。

羽田に着くと、楽をしたかったので、・・・・・ リムジンバスに乗りました。

というのも、地震で一時帰国してしまったスタッフの代替要員を確保するため、
この日は、長崎空港でも神戸空港でも、チャンスがある度にネットに接続して、
メールのやり取りをしていたからです。

メールのやり取りは、リムジンバスに乗ってからも続きました。

地震と原発事故と、・・・それによって被った二次被害の中で、
旅の仕事をしながら、行く先々、立ち止まる先々で、メール、メール、メール!!

そうこうするうちに、輪番停電や計画停電で騒がれる東京の現実に
5日ぶりに引き戻されました。  
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2011年03月15日

東北地方太平洋沖地震

3月11日(金)14:46、仕事に出かけようと用意していたときに地震に遭いました。

マンションの高層階に住んでいるのですが、あり得ないほどの激しい揺れと共に、
食器戸棚や本棚から次々に物が飛び出して、またたく間に床を覆いました。
ピアノも位置がだいぶずれていました。

その激しさたるや、てっきり関東が直撃されたのかと思いました。
揺れと不気味な音だけでも生きた心地がしないのに、後で津波の映像を見るにつけ、
自然が地球に起こしうる脅威の程度に心臓が凍りつき、震えが止まりませんでした。

余震の不安が残る中、また路線の相次ぐ運休による交通機関のマヒの中、
仕事のためにあちこちに行くにも普段の2、3倍以上の時間を要しています。

それでもまだ働きに行けるだけ幸せです。
しみじみ、あんな怖い思いをした後では、この命があること自体が不思議です。
そのときそこに居合わしたかどうか、それがすべての明暗を分けます。

一瞬にして尊い命を失われた方々のご冥福を心からお祈りするとともに、
住む家や家財道具をなくして明日の暮らしの目途がつかない被災者の皆さまに
一日も早い救済と復興を心から祈念しています。  
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2011年03月08日

傍用問題集がスゴイと、紀伊半島

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那覇空港駅 東経 127° 39' 8"
日本最西端の駅か、なるほどなあ。

日本最〜端っていう言葉を聞くと、何故か不思議な感動に包まれます。
そう呼ばれる所に行ったのは本州最南端の潮岬が最初で、学生時代のことでした。
その潮岬のある紀伊半島を、今日は那覇への途中、空から堪能してきました。

前に関空に飛んだときにも思ったのですが、三重から和歌山にかけて脈々と連なる
紀伊半島の峰、尾根、そして深い森は、神秘的でスリルがあり、感動そのものです。

さらに今日は、鳥羽や賢島あたりの志摩半島のリアス式海岸もくっきり見えたし、
河口の奥から大きくうねる熊野川の様子も、潮岬を望む熊野灘の海岸線も見渡せて、
故郷に帰ったような、子供の頃に戻ったような、なつかしい気持ちに浸りました。

ただ、那覇までの約3時間、窓の外ばかりを見ていたわけではありません!
紀伊半島を過ぎると海ばかりで、そのうち雲で下が見えなくなったこともあるのですが、
今日の日課をこなすため、残りの時間は勉強に充てました。

教科書傍用問題集 『サクシード』 の数1Aをハンドバッグに入れてきたので、
苦手意識のある、場合の数、集合といった単元をやりました。

傍用問題集! 子供の本棚から勝手に抜き取ったものです。
子供による書き込みがあり、解説集の薄い表紙はヨレヨレで半ば破れています。

それでも今は私の宝物☆
傍用問題集、大好き
教科書レベルともう少し上のレベルの問題を徹底的に練習できる問題集!

各小単元は、見開きで完結。
左ページに、重要例題が、難易度別に、★、★★、★★★。(ヒントもあり)
右ページに、難易度別に、Aランク、Bランクの問題。

解説集はびっくりするほど丁寧で、途中式も省略せずにすべて書いてあります。

これを繰り返せば、いやでも大事な基本が身につくんだ!
きっと何周も繰り返して、隅から隅までマスターしてみせるんだ!
すでにいくつかのページには、2周目の印がつきました。

教科書の傍用問題集!
いつも目の前にあった、このごく当たり前のような問題集を、
今ではまったく信頼しています。

もうあれこれの基礎問題集の類いを中途半端にかじったりはしない。
とにかく、これ1冊を完璧に仕上げるまでは!

* 『語りかける中学数学』 問題集は別です。 あれは絶対に欠かせません。
でも、厚さ 5.2センチもあるので、旅のお伴には不向きなのです。  
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2011年03月07日

定年後に学生に戻られ夢半ばで逝った平内好子さんへ

NZ地震の日本人被災者の中で初の死亡確認がされた平内好子さんは、
昨年富山県立高校の校長職および生物の教師を退職後、第二の人生を歩むべく、
教え子と変わらない若い人たちに混じって外国語専門学校に入学された方でした。

享年61歳、これからというときに夢を中断されてしまって、
どんなにか無念だったことでしょう。

同年輩の者として、また、第二の人生を見つけるために頑張っている仲間として、
平内さんのことを思うと、胸が張り裂けそうになります。

もっと生きたいのに生きられなかった平内さんの無念さを思いやったら、
自分なんか、少しぐらい辛いことがあっても、今日1日を生かせていただけることを
文字通り「有り難い」ことと感謝せねばなりません。

常に前向きで勇敢であられたという平内さん!
同年輩の向学心を持つ人たちに、平内さんに代わって勇気の灯火を渡せるよう、
そんな人になれるよう、私も頑張ります!

平内好子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。  
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2011年03月06日

大学入試のない国なんて

先日お世話をしたお客様はドイツからの5人家族。
お子さんの1人が18才の男の子でした。 9月から大学生になるそうです。

「どこの大学に行くの?」
「未定。でもドイツかスイスのどこか。兄貴がスイスだから僕もスイスかなあ?」

そこへお母様が横から、
「それよりもまず、東京で6週間の実地研修をして、職業の適正を見るのです。」
聞けば、日本の某メーカーから、見習い実習生として受け入れられたとのこと。

ドイツでは高校卒業資格(すなわち大学入学資格を満たす = Abitur) さえあれば、
行きたい大学の行きたい学部に進学できます。 まれに希望者の集中する学部では
Abiturでの成績が問題にされるものの、大方は好きなところに行けます。

日本で国公立大学の2次試験2日目が実施されていたその日に、ドイツを飛び立ち、
日本を旅行し、家族が帰国した後には、東京に残って会社体験をする。実習の後、
国に帰ったら、悠々自適に残りの高校生活を楽しみながら、行く大学を決定する。

なんかねえ!
携帯使ってカンニングしてまで大学に入りたい切羽詰った若者がいる日本と比べると、
この違いは、いったい何なの??!!って気持ちになります。
(スイスもオーストリアも、ドイツ語圏はみな同じですが・・・)  
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2011年03月03日

NZがとりもつ縁と思い出

はるか昔、ニュージーランドに住んでいたときのこと。
国語(現地では英語が国語)の試験対策のため、夜間クラスに通っていました。

シェークスピアの 『マクベス』 を読み込んで、討論したり、ロールプレイをしたり、
ノーベル賞受賞作家ゴールディングの 『蝿の王(Lord of the Flies)』 を読んだり、
わくわくするような授業の連続でした。

また、オークランド大学では、ドイツ語科の授業を正式に聴講したりして、
短い年月でしたが、またとない楽しい思い出ができました。

そんな中で、その後の人生を通じて付き合うことになる友人と出会いました。
シンガポールの女性です。 シンガポールでの2度にわたる再会を経て、
2年前、家族連れで訪れてくれた日本で、感動の3回目の再会を果たしました。

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大学を卒業した社会人の子供3人を持つ彼女は、もう還暦を過ぎて?年?
このたびもまた、彼女と年に一度のプレゼント交換をしました。
私たちの間では、高価なプレゼントがご法度なのは暗黙の了解です。

彼女からは中国色豊かな布地の小箱が送られてきました。
私は南アルプス北岳から撮った、薄紫の雲に浮かぶ幻想的な富士山の写真と、
私とお揃いの花柄のカードケースを送りました。

一生涯続くかもしれないこうした小さな出会いや、楽しい思い出の数々、
こうしたことを味わう前に、不運にして被災してしまった方々の安否を思うと、
本当に他人事ではなく、心の痛まない日は1日たりともありません。

  
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2011年03月01日

色彩の対比 可憐と深厳

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一昨日、ホテルのロビーで見つけたフワラーアレンジメント。
ダリア、椿、桃、寒桜、ユリ科、・・・・・・・ ピンク、大好き!

一方で、昨日の華厳の滝は、雪、また雪の、モノトーンの世界。

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