全国通訳案内士、旅程管理主任者。
ドイツ語・英語のガイド国家資格と英検1級・独検1級を所有。

バイオリン&教育ママ人生の思い出と生涯学習による終活日記。

お能、長唄三味線、バイオリン、ピアノ、河川水路・史跡巡り、ウォーキング、ハイキングなどを楽しみたい♪

2009年06月27日

昨日のツアーと今日のこと

昨日、朝8時前、神戸港にバス40台が集合。
伊、仏、西、英、独の5言語のツアーが各方面に向けて出発します。
MIKOは41名を連れて、京都日帰り、バイキング昼食付きコースです。

cruise_bus













金閣寺を見た後、錦市場の見学へ。
お惣菜屋さんで、蒸した薩摩芋とうずら豆の煮付けがいかにも美味しそうだったので、
「夜まで持ち歩いても大丈夫?」と聞くと、「保冷材を入れるから大丈夫」との返事。
ホントかなあ?こんな季節に?一抹の不安は残るものの、
食い意地のはったMIKOは、芋と煮豆の魅力には勝てません。
帰りの新幹線で食べる予定なのです。

nishiki_market













平安神宮のお庭ではまだ少しは菖蒲が見られるかと期待したのに、全然~~!
しおれてしまって見るも無残!
池にかかる橋では、猛暑と湿度でいい加減くたばった人々(含むMIKO)がいっぷく。
池の上を渡る風がすーっと心地よい。
錦鯉も暑さでまいったのか、姿さえ見せない。手で合図すると、ひょうきんに首をかしげて
見つめ返してくれる亀さんがカワイイ。

heian_garden













清水寺が終わって、商店の連なる参道に戻ると、5時を少し回っただけなのに、
もうシャッターの閉まった店がちらほら。坂を下りる間にも1軒、2軒と閉まっていく。
新型インフルエンザによる大打撃がまだ後を引いているのかしら。
今日は船のお客さんがまだこんなにいっぱいいるのに。

sannenzaka夜8時以前に神戸港に戻ってはいけない
とのお触れが出ていたので、いったいどうしたものか。6時半まで清水で時間をつぶさないと早く着き過ぎることになる。

そこで、大型団体の場合には迷子が出ると厄介なので普段は連れていかない参年坂、弐年坂を教える。もちろん、自由時間に。

実は、参年坂で「宇治金時ミルク氷」を食べるというMIKOの計画もあったのです。
が、、、ここでも、
「すみません、今日はもう終わりなんです。」
というわけで、カキ氷食べ損なっちゃった。

寒い国から来たMIKOのお客さんたちにとって、この猛暑と湿度は耐えられません。
今すぐにでも船に帰りたそうな様子で、
七味屋さんのベンチにぐったりと座りこむ
夫婦が何組も・・・。

MIKOだっていい加減疲れましたよ。


さすがに6時半までは時間をつぶせず、清水の駐車場にいたクルーズのバスが
一斉に帰り始めたので、こちらも倣って6時に出発。
帰りの車内ではリクエストがあった社会保障制度と有給休暇や勤務時間に関する
テーマだけを話し、後は、神戸市内の三宮とフラワーロードを走って時間をかせぎ、
8時ちょっと前に神戸港に帰着。

お客様たちから有り難いチップを頂き、船会社と旅行会社に終了の挨拶を済ませると、
同じくその日帰宅するガイドさんと一緒にタクシーで新神戸に直行。
新幹線の中で、お芋と煮豆と、それから新神戸でかったタコむすびを食べる。
仲間のガイドさん(彼女は西語と英語の二ヶ国語ライセンス所有者)と楽しく情報交換。

新幹線を降りてから二回乗りかえて家に着いたときには、日付が変わって今日に。

それより更に遅く帰宅したのがコンサート直前の練習に行っていた子供です。
子供の顔を見る元気も話す元気もないMIKOはバタンキュー。
あの猛暑の中で、拘束12時間、41名相手の仕事は正直、きついです!

  

今朝は、寝坊してしまい、午前の室内楽の練習に大遅刻。
本当なら今日も六甲山か大阪城の仕事があったのに、この練習に出たいがために、
わざわざ仕事を外して帰ってきたにもかかわらずです(泣)。

遅刻しておいて、皆さんとの恒例のランチだけはちゃっかり参加。
キーマカレーとコーヒー。さらに他の人が食べていたシナモントーストを見たら
自分も欲しくなり、追加注文。
かなり欲張ったけれど、チップもたくさん頂いたことだし、まあいいっか?

帰りに、子供が明日コンサートで着る素敵なスーツを引き取りにいく。
身長185センチ。それでも裾をたっぷり上げないとはけないなんて、
なんちゅう長いズボンだ?
紳士物の洋服のことがよくわからないMIKOです。

その後、子供にばかりお金使って自分の着るものは何も持っていないMIKOが
ちょっと可愛そうに思えてきました。

それに、このところ、ちょっとした心境の変化があって
おしゃれしてみたくなったMIKO。
麻のジャケットと、薄手ニットのアンサンブル、スカート、カジュアルなネックレス、
それにお洒落なヘアピンまで買ってしまった~~。
いい年して、娘に返ったような気分です。

明日のコンサートが楽しみです
ただ、ひとつだけがっかりしたことがあります。
子供が都合でモーツァルトの一番大事なリハーサルを1回外してしまったために、
本番のモーツァルトから降ろされてしまったことです(涙)
でも、他の二曲はちゃんと弾きます♪
  

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2009年06月25日

親の仕事と子の生活

naha_dinner
那覇の仕事が終わり、仲間達と乾杯
郷土料理の数々に舌鼓を打ちました。

伊語、仏語、西語、英語、独語のガイドが
語学の別なく和気藹々と語り合えるのは
クルーズならではのお楽しみです

普段はみな一匹狼で仕事をしているので、
こんな機会に人脈を広げ情報交換します。

那覇では着岸と同時に、救急車で病院に
運ばれた重病人の乗客がいました。

通訳として病院に行ったガイドもいます。
気の毒に、彼女は飲み会に参加できず、
私たちばっかり楽しんでごめんなさい!

那覇の後、神戸に飛んできました。

明日は、神戸、大阪、奈良、京都の各コース
に分かれてバス40台以上が繰り出します。


今日、機内で読んだ日経によると、昨年の訪日観光客の数は605万人。
このうち、中国人が46万人です(実際にはもっと多いような印象を受けますが)。

国土交通省の外郭団体であるJNTO国際観光振興機構(日本政府観光局)による
"VISIT JAPAN CAMPAIGN"により、着実に客足が伸びていると期待したいところ
ですが、金融危機や新型インフルエンザなどの影響をもろに受けやすい業界です。

円高のため、私も4月はおいしいツアーが2本キャンセルになってしまいました。
5月もかつて経験したことのない暇なシーズンとなりました。

リーマン・ショック以来の社会情勢を受けて、私達に支払われる報酬や日当の条件も
4月から軒並み下がりました。

毎年、難関の国家試験に合格した人たちが敢えてこの仕事を選ばず、
履歴書に箔をつけるだけで、手堅い仕事(サラリーマン、教師、公務員など)を
決して辞めないのは、このような不安定な身分と条件が改善されないからです。

それでも、この仕事を選んだ仲間たちには悲壮な雰囲気は少しもありません。
みんな明るくて楽しくて笑顔が絶えません。

  

親がこんな仕事で留守している間、子供が遅刻せずに大学に行っているのか、
確かめようがありません。

「起きた?授業は?」とメールしても、
返ってくるのは、だいぶ後になってから、せいぜい「うん」の二文字だけ。
大抵は無視です。
うるさい母親のメールなんて、どうせ片っ端から削除しているのでしょう。

親元離れて生活するお子さんを心配される親御さんの気持ちがよく分かります。

このところ子供は間近に控えた定演のために、毎晩練習に通っているようです。

オケには音楽に熱中するあまり留年する学生もいるそうなので、
「もしそんなことになったら、次の年から授業料を払ってやらないし、
音楽もやめさせるからね!転落人生の始まりだよ!」と釘を刺しておきました。

本人は自分の専門分野に大変関心があり、参考書や問題集まで買ってきて
手をつけているようだし、受験でやり残した英語の参考書も電車の中で見ている
ようなので、信ずるしかありません。
  
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2009年06月23日

沖縄戦終結64年目

今日の夕方、那覇にやってきました。

折りしも、今日は沖縄の組織戦が終結して64年目の慰霊の日。
沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園にある沖縄平和祈念堂では、
麻生首相も臨席する中、戦没者追悼式が行われました。

空前絶後の地上戦では一般市民94,000人を含む19万人近くが犠牲になりました。
米兵を含む外国人や県外で亡くなった沖縄県民も含めるとその数は24万人を
超えるそうです。

地元の新聞記事によると、ひめゆり隊のある女性(現在82歳)は、
あたりに散乱する遺体を見て、「一発で一回で死なせてほしい」と切に願ったと
述懐しています。

戦争体験者が高齢化し、その時代を知らない世代が人口の大半を占める現代、
糸満市では今年1月の不発弾爆発により近くの老人福祉施設に被害が及びました。
東京でも昨年3月、調布市国領で不発弾が発見され終日電車を止めて撤去作業が
行われるという生々しい出来事が記憶に残っています。

仕事は明日の午後なので、今夜は少しくつろいで沖縄郷土料理店に行きました。

okinawa_restaurant













沖縄そば、島菜チャンプル(沖縄のからし菜)、スーチカ(豚の三枚肉の塩漬け)、
生ビール、沖縄紅生姜

okinawa_cuisine  
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2009年06月22日

久能山東照宮

6月21日(日)、久能山東照宮の下見に出かける。

静岡駅前19番乗場から路線バスで日本平まで所要時間約35分。580円。
市街地を抜けるとバスは新緑の林の中を走る。
左右の野生の紫陽花が可憐に色を添える。

日本平~久能山頂
標高308メートルの日本平から標高270メートルの久能山まで
全長1065メートルのロープウェイ(昭和30年開通)に乗って5分で降りる。

途中、霧で視界はゼロに近いが、晴れていれば駿河湾から御前崎、
牧の原台地、伊豆半島までを一望できるとのこと。
ロープウェイを降りると樹齢500年の楠の大木が出迎えてくれる。

ロープウェイ往復、東照宮拝観料、博物館入場料のセット券 1,650円。
ロープウェイを利用しない場合は、久能山下からここまで階段1,159段を上る。

久能山
古くは推古天皇の時代から久能寺があり、平安時代に密教の寺に。
16世紀末、武田信玄が寺を清水に移して、久能山頂に築城。
北条氏と徳川氏に対する備えの拠点として築かれたこの久能城は、
断崖絶壁に囲まれた天然の要塞。難攻不落の城として家康も重要視していた。

久能山東照宮
1616年4月17日、家康が75歳で没すると、遺言に基づき秀忠が久能山に
家康の墓所を造営。これが久能山東照宮の始まり。
その後、分骨されて日光に壮大な東照宮が造営されたため、久能山東照宮の
存在感は薄くなったものの、明治政府による神仏分離、廃仏毀釈の時代を経て、
現代にまでひっそりとその姿をとどめている。

楼門
後水尾天皇の筆による「東照大権現」の勅額がかかる。
東照大権現は家康の神号。

五重の塔の礎石
東照宮は両部神道の寺であった。明治初期、神仏分離により廃仏毀釈の嵐が
全国を襲った際に、この寺も例にもれず一部を破壊される運命となった。
破壊された五重の塔は再建されず礎石を残すのみ。

鼓楼
元々は鐘楼であったが、廃仏毀釈の難を逃れるために鐘を太鼓に取り替えて
現在に至る。

鳥居
鳥居より上方に唐門をのぞむ。

久能山_鳥居













日枝神社
内陣の手前にある日枝神社は元々は薬師如来を祭っていたが、
神仏分離により日枝神社と名を変えた。

本堂
本堂は典型的な権現造。
権現造とは、拝殿、石の間、本殿の三棟から成る建築様式。
写真は拝殿と本殿の屋根。あいにく両棟をつなぐ石の間の部分が見えにくい。

久能山_権現造













日光東照宮の方が文化的、学術的価値はより高いものの、江戸時代初期の
代表的建築様式である権現造としてこの久能山東照宮は日光のそれの先駆を成す。

神廟(徳川家康の墓所)
内陣よりさらに40段上ったところに、家康の墓所(神廟)がある。

久能山_墓所













境内には他に、剣豪柳生家寄進の灯篭、駿府城から分木した家康手植えの
みかんの木、家康が好んだ茄子の木などが見られる。

余談だが、初夢に見ると縁起が良いとされる「一富士、二鷹、三茄子」に諸説あり。
- 家康が、富士山、鷹狩り、初物の茄子を好んだ。
- 家康の駿河国で高いものの順、富士山、愛鷹山、初物の茄子の値段。
- 富士(無事)、鷹(高い)、茄子(成す)の掛け言葉。(Wikipediaより)

こういった類の話題は日本人にこそ受けるが、外国人には面白くも可笑しくもなく、
第一、説明すること自体が困難な部類に属する。

博物館
付設の博物館では、歴代将軍が愛用した太刀、甲冑、鞍、調度品、工芸品、
家康愛用のスペイン製時計などが見られる。訪問の価値あり。

自然
久能山一帯には、500種を超える樹木が豊かに茂る。
樹齢400年、周囲3メートルを超える大木も多いとのこと。

常緑樹が多く、落葉樹は少ない。
クスノキ、シイ、イヌマキ、ウツギ、ムクノキ、ヤツデ、カエデ、ネムの木、
ツバキ、玉アジサイなどの他、ツタ、シダ類、下草も多い。

珍しいものとしては、高野槙(神社境内にもある)、菩提樹の他、
海に面し黒潮の影響で気候が温暖であることから、ビロウ、ナツメヤシ、ソテツなど
南国の植物もも見られる。

以上で、下見は終わり。
大自然の中に浮かび上がる、寺、城、神社の織り成す歴史。
宗教上、戦略上の重要な拠点として歴史の表舞台にも立った久能山を後にして、
宿泊地の清水へと向かう。

路線バス「静岡行き」を東静岡で下車、460円。
JR東海道本線で清水まで2駅、7分。190円。
日本平から清水行きのバスは2時間に1本程度なので利用しにくい。

6月22日(月)
本番。霧がかかっていないこと、富士山が見えることを祈るのみ。
  
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2009年06月21日

再び旅の人に

今日からまた出稼ぎです。
静岡から日本平と久能山東照宮と清水港、その後、那覇に飛び、那覇から神戸、
神戸から京都日帰りをやって、いったん戻り、都内観光の後、すぐまた長崎へ。

いったん戻ってきたときに息子の演奏会があるので、出張前の準備の一環に、
今回はコンサート衣装の買物を入れました。

黒い上品なスーツ、えんじ色のネクタイ、左右の胸に何本かタックを寄せた
おしゃれなYシャツを新調してやりました。引き裂き傷のあるよれよれジーンズ姿の
息子も、試着室でスーツをまとうと、孫にも衣装、立派な青年に変身しました。

長崎ではかわさんに会って7月始めに本格的に戻ります。  
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生涯学習に疑問符?

最近、親しくお世話になっている方から私の生涯学習の在り方について
ご意見をいただきました。

この年齢で、「広く浅く確実に」に勉強して、苦手な数学と格闘してまで、
今さら広く国公立大学に入学することにはあまり意味がないのではないか、
それよりは、好きな科目のひとつを掘り下げて、1科目の聴講生を目指さないかと。

この点について、実はずっと悩んでいます。

☆ 数学を始めた理由

数年前に息子から、
「お母さん、数学をやらないで一生を終わるつもり?死ぬまでに絶対にやって!」
と言われて、のぞいてみようと思ったのがそもそものきっかけです。

そこへ、高校時代に数学を捨てたことに対する悔しさと、国公立大学を
受験するためには数学が必要という事実が重なり、数1Aを始めました。

面白くて、いったんやり始めると、半徹夜で5~6時間没頭することも。
この様子には息子も呆れて、「俺より勉強してる」とつぶやきました。

ただ、平均すると、3ヶ月に一週間くらいの周期で訪れるこの「数学熱」は
じきに仕事や雑事に邪魔されて、また数ヶ月の間、中断します。

再開すると、計算用紙何十枚も使って勉強した内容をきれいに忘れています。

と、まあ、こんな調子なので、いつまで経っても白チャートすら終わりません。
ただ、嫌いではないのです。やっているときは楽しくて、楽しくて・・・。
何で、これを昔は捨てたのかしらと不思議に思うくらいです。

☆ 国公立大学

ひろじぃさん同様、私の志望校は東大文三でした(です?)。
日本と朝鮮半島・中国との交流史、またはチベットかトルコに重点を置いた
アジア史を勉強したいのです。

早稲田大学の文化構想学部にも同様の勉強ができる科があるのですが、
息子にお金がかかるときに、母親までが私学に行く余裕はありません。

公立では首都大学東京にも同様の科があるので、視野に入れています。

息子は、私が文化史をわざわざ大学に入ってまで勉強することに反対し、
「政治経済学部に行って、広く世のために捧げられる新しい仕事を見つけて。」
と言います。

自分個人や特定の会社の利益のためではなく、広く世のために生きること。

すでに3つの仕事を持ち十分に忙しい母に向かって子が与えた課題です。
そしてこれが実現できたら、母のことを心から尊敬してくれるそうです。

☆ 大学院 or 学士入学 or 社会人入学

私が休みながら(さぼりながらも)某大な数の科目をやっているのを見て、
「いっそのこと大学院から入ったら?」とか、
「学士入学や社会人入学があるじゃない?」という人がいます。

私には大学院から入れる学部がないのです。
独文を卒業しているので、同じ独文なら大学院だって、ちょっと頑張れば
入れるかもしれません。
でも、私がやりたいのはアジアです。西欧とは25年ほど前に決別しました。

☆ センター試験

センター試験は、高校レベルの内容を「広く浅く」勉強するのに最適です。

大学院入試や学士入学や社会人入学にしたくないのは、ひとつには
センター試験を通過しなくても入れるからという点があります。

つまり、専門科目と語学さえ出来れば入れてしまうのでは、
40年前の私から何ら進歩していないことになるからです。
私の失われた過去を取り戻すには、全科目勉強するしかないのです。

☆ 二次試験対策

これには大きな価値を見出しています。現在までに社会科だけでも、
日本史B、世界史Bをやり、さらに今年は地理Bを加えました。

地理Bを加えたのは、息子が、
「地理は絶対に勉強して!地理をやることで世の中のことが見えてくるから。」
と、強く勧めるからです。

大学受験計画が、仕事や雑事にまぎれて、ともすると影を潜めてしまいがちなとき、
「数学がそんなに進まないなら、いっそ、社会科系を全科目、完璧にすることを
目標にしたら?」と息子から言われたことも理由のひとつです。

それにしても、東大二次の論述対策、社会科だけでも大変そうです。
私の場合、たとえ大学を受験しなくても、社会科は勉強したことがただちに
仕事の現場で役立つので、二次対策には特に興味があります。

☆ 将来性への疑問符

私にとっての大学受験、それは

国立コンプレックスからの脱出。より具体的には、
受験数学を克服し、一問一答式勉強から理解し記述する勉強に変える、
この2点により、自分の力を試したいこと、

一般教養および好きな分野の講義を大学レベルで受講したいこと、
もう一度キャンパスライフを楽しみたいこと、以上です。

これでは、子が母に与えた課題「広く世のために」にはつながりにくく、
単なる自己満足としか映りません。

ましてや、国民や住民の税金で勉強させてもらう国公立大学に入ったなら、
何らかの形で世に恩返しをしなくてはなりません。
いえ、私学だって国から多額の助成を受けているのだから同じことです。

アジア史を勉強したら、アジアのどこかで何かに貢献できるのかしら?
自分でNPO法人を立ち上げて、(一例を挙げると)アジアの少数民族の権利のために
奔走するしかないのかなあ?

こんなに悩んでみても、果たして、受験までたどり着けるのかなあ?

仮に受験して合格したとしても、本当に通えるのかな?
学生生活と仕事を両立できるのかしら?

????? 悩みは尽きません。
  
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2009年06月20日

仕事+子育て+勉強

 仕事

月曜日に、名古屋に帰る友達夫婦と楽しく別れのひとときを過ごしていたら、電話が。
いきなり、「明日、長崎に飛べますか?」

そんなことってある?
でも、NOとは言えないMIKO、慌てて支度をして次の日には機上の人に。

急なことだけれど、もしかしたらと思ってかわさんに連絡するも、都合が合わず、
かわさんとの「ご対面~~」は次回に持ち越すことに。

長崎での仕事。今回は崇福寺と稲佐山が入っていました。
クルーズ会社の団長(VIP)がよりによってMIKOのグループに付いて来ることに。

旅行会社の営業担当者: 「よろしくお願いします!」

そんなこと言われてもなあ・・・。責任重大じゃん。
なぜ自分のところに?大先輩たちが他にいるのに~~!

待てよ、でも、考えようによっては、
うんうん、チャンス到来と見ることも・・・

よっしゃー、頑張ってみるぞー! というわけで、結果、
「すごく面白かった。良かった。」との評価をいただき、MIKOの株が上がりました。

逆に言えば、失敗していたら、仕事がなくなる運命に。
そこがフリーの辛いところ。
昔、大先輩が言ってたなあ、「爆弾を抱えているようなものだ。」

東京に戻ると、ここはここで仕事の山!
納品、請求書発行、振込、etc. やってもやっても終わる気がしない。
今週こそはモーツァルトの「・・・協奏交響曲」を練習しようと計画していたのに、
仕事のために一週間がつぶれてしまいました(泣)

 子育て

20歳にもなって今さら子育てと呼べるのか、いや、やっぱり子供はいつまでたっても子供。

「塾講の件はどうなった?」
「オーディションの結果は?」
「定演に着る服あるの?ドレスコードは?」
「待ってるあの郵便、来た?失くさないように取っておいてよー。」
「レッスン休むって先生に連絡したの?」と、

旅先からうるさくメールするMIKO。
メール5通に対して返信1回あるかないか。

"塾講師模擬授業の巻"
「なかなか良いが、あと、ここのところをもう少し掘り下げて、次回もう一度
授業を見せてほしい。」と言われたそうな。
ヴァイオリンを背負って背広姿で模擬授業に現れた息子。
クラシック・マニアの主任講師から、「何かあるの?」と聞かれ、
さっそく定演に来ていただけることになったそうです♪

"オーディションの巻"
4月に入団オーディション、5月にメイン曲のオーディションがあったので
もうすっかり全曲乗れるとばかり思っていたら、何と先日、別の曲のオーディションが。
合格しても、期待通りに伸びないとすぐに降ろされるという、何ともオソロシイところです。
そこで、昨日は先輩たちと徹夜で練習して、朝帰り。

おいおい、そのシワ寄せが大学の授業に来てるんじゃないの~?
大学、ホントに大丈夫???
せっかく入った大学、勉強はやる気満々なのですが、とにかく忙し過ぎなのです。
でも、土曜日、嬉しいメールが・・・。「オーディション合格」

 勉強

稲佐山に登る途中、「あの木は何?」「あれは何という名?」
「ドイツにはこんな森はない!ドイツにない木ばかりだ!何だろう、何?」と質問攻めに。

植物の名前にうといMIKO。こういうところで、教養の無さを痛感。
そこで、ついに買ってきました!

野山の樹木

山と渓谷社 ヤマケイポケットガイド
『野山の樹木』



今さら?今ごろ?

庭木・街路樹

いえ、同じシリーズの
『庭木・街路樹』

は持っているんです。


ひとつひとつ、焦らずに・・・。
  
Posted by MIKO Comments(18)

2009年06月15日

モーツァルト協奏交響曲



モーツァルト ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲」KV.364(320d)
指揮&ヴィオラ: ユーリ・バシュメット/ヴァイオリン: マキシム・ヴェンゲーロフ
管弦楽: モスクワ音楽院管弦楽団


  

週末、久しぶりに、所属するアマオケの練習に行ってきました。

この日の練習曲は、
モーツァルトの「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲」KV.364(320d)。

少し前に楽譜が郵送されてきて、知らない曲なので慌ててCDを購入したものの、
結局のところ時間切れで事前に譜読みするまでにはいたらず、ぶっつけ本番で
参加することになりました。

オケにとってもこの曲はその日が初めての練習日。それでも、まわりの人は皆
それなりに弾いています。まったく弾けてないのは自分だけでした。

あー、それでも楽しかった♪ と心から言えるのは、
弾けない人も温かく受け容れてくれる雰囲気がこのオケにはあるからです。

  

さて、この日、不思議なことがありました。
しばらく前から私のお気に入りとなっているブログ『アマチュア・ヴァイオリンnote♪』
久しぶりに開いたら、何とこの日の記事が、よりによって(!)、
モーツァルトの「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲」KV.364(320d)
についてだったのです。この偶然には驚きました。というより感動です!

また、昨日の自分の記事『ヴァイオリン&ヴィオラ』の中で絶賛したヴィオリスト、
ユーリ・バシュメットの演奏をネットで調べていたら、そこでも真っ先に出会ったのが
この曲だったのです。

モーツァルトが大好きなのに、今まで知らなかったこの曲。
その曲に、こんな短い間に急にあちこちでお目にかかるなんて、よほど縁があるに違いない、
そう思うと、秋の定演の曲目は私にはもう精一杯の限界を超えているから、
これ以上、曲を増やすのはやめようと思っていた気持ちがどこかへ吹っ飛びました。

この曲、何としてでも弾けるようになりたいものです。
  
Posted by MIKO Comments(12)

2009年06月14日

ヴァイオリン&ヴィオラ

私ほどの年齢でバイオリンを習っている人は意外に多いものです。
まったくの初心者から経験者まで、私の周辺にもかなりいます。

実は私の場合、厳密に言うと弦楽器の全くの初心者ではありません。
大学入学と同時に先輩から勧誘されてオーケストラに入ったのです。

 学生オケ ~ ビオラ

私: 「弦楽器さわったことないんですけど・・・。」
先輩: 「大丈夫!ビオラなら全員初心者ばかりです。」
私: 「でも、楽器、高いんですよね?」
先輩: 「今なら、中古の楽器が弓とケース込みで1万5千円であります。」

このようにそそのかされて入部を承諾したのですが、
家に帰って両親に報告すると、
父: 「大学の費用を納めたばかりだから、そんなお金はない。」

当時、大卒の初任給が 2万円台、
私大文系の初年度納入金が年額 14万円ちょっとでしたから
「弓とケース込みで1.5万円」というのは確かに大金でした。

思い起こせば、私立の女子高に入ったとき、
部活紹介で聞いたギター・マンドリン部の演奏に感動し、
マンドリンをやらせてもらえないかと親に言うと、
父: 「高校の費用を納めたばかりだから、そんなお金はない。」

そういうわけで、マンドリンとはついに縁がないままでしたが、
オーケストラの弦楽器となると、小学校のときX君が弾いていたヴァイオリンが
ずっと頭の中にあったので、これはついに自分にもチャンスが訪れたぞと、
大学の先輩の勧誘に心を躍らせたものでした。

そこで、「アルバイトをして返すからお金を貸して。」と母親と交渉。
こうして目出度く手に入れたヴィオラという楽器なのですが、いざ始めてみると
先輩が勧誘文句でうたっていたようには簡単ではなかったのです。

当時はまだヴィオラ用の曲の本がほとんどなかったので、スケールや、
スラーやスタッカートなど、退屈で辛い技術の練習のオンパレードでした。

同じく初心者でバイオリンパートに入った友達は、
あっと言う間に「メヌエット」、「ガボット」などの曲を弾くようになったのに、
ヴィオラには、そのように曲を順に追っていく楽しい教則本がなかったので、
個人練習がちっとも楽しくありませんでした。
(今日ではスズキ教本のビオラ版が海外で出版されています)

弾けないながらも、1回目の定演では5プルト目位の見えないところで、
シューベルトの「ロザムンデ」に乗せてもらいました。
その次の定演では、何と、ブラームスの交響曲第4番の全楽章に乗りました。

「母さんはブラ4をやった♪」と息子に言っても絶対に信じてくれません。

「簡単に書き換えた楽譜だったんじゃないの?夢でも見てるんじゃない?
ブラ4なんて絶対に弾けないってば!!」

そう、私も何がどうなっていたのか、遠い過去のことゆえ、もうわかりません。
いずれにしても、この「ブラ4」を区切りにビオラを断念しました。

自分には無理。練習が楽しくない。
後輩も入ってくるのに、こんなに弾けなくては先輩としての面目が保てない。

 50+α (60-α) の手習い ~ バイオリン

それから30数年の間、私のビオラはぼろぼろのケースに封印されたまま、
引越しの度に押入れの奥に放りこまれる運命となりました。

そんな私が再び弦楽器をやろうと思ったきっかけが2回ありました。

一つ目のきっかけは、息子が2歳でバイオリンを始めたとき。
先生が、「お母さんも一緒に始められたらいかがですか?」とおっしゃったので、
大人用の安い(それでもチェコ製)のバイオリンを買っていただきました。

violin_viola


左: 学生オケのときに使ったビオラ


中: 自分のチェコ製のバイオリン


右: 息子の最初のバイオリン (16分の1)














子供と一緒にやったのは、「キラキラ星変奏曲」、「むすんで」、「こぎつね」位です。
そのうち、子供のお稽古に夢中になり、自分のバイオリンどころではなくなりました。

かくして、私のバイオリンもまた押入れの中で十数年眠る運命となりました。

二つ目のきっかけは、息子の通っていた高校が創立記念に「第九」をやることになり、
生徒達による弦楽オーケストラ部や合唱部と一緒に演奏するメンバーを、
広く保護者や関係者の中から、かなり前びろに募っていたときです。

一年以上も準備期間があるなら、もしかしたら参加できるかもしれないと思って
取り合えずエントリーしたのです。ただし、このときはビオラで申し込みました。

早速、ぼろぼろのビオラを押入れから出してきて修理に出し、弦も張り替え、
弓の毛替えもし、ケースも新調しました。しめて5万円ちょっと。

生まれ変わったビオラを前にして、さて、どうやって練習しようかと考えた結果、
よし、まずは弦楽器の基礎であるバイオリンを正式に習ってみようと思ったわけです。

 現在から未来へ ~ バイオリン、そしてビオラ

こうして、行けるときだけ行くという形で、息子の先生にお世話になってから
かれこれ2年以上になります。

ツアーシーズンで断続的に留守をするときは当然行けませんから、
極端なときには、4ヶ月ぶりにまたレッスンに顔を出すといった調子です。
それでも懲りずにまだ続いています。

スズキ1巻の「キラキラ星変奏曲」から始めて、2巻、3巻、4巻と進み、
今は、ヴィヴァルディの協奏曲イ短調とバッハのドッペル1楽章(2nd)を弾いています。
あこがれの「ドッペル」に到達できたなんて、夢のようです♪!♪!♪

バイオリンを始めるきっかけとなった、息子の高校の「第九」のビオラは
結局、第九を弾けるレベルには到底到達できなくて断念しました。

せっかく修理して生まれ変わったビオラは、幸いなことに、息子がユース・オケで
時々ビオラに持ち替えたり、他のオケの賛助出演でビオラを弾きに行ったりして
使ってくれるので、ムダにはなりませんでした。

と言うよりは、ビオラが家にあったから、息子も時々ビオラに持ち替えるという
新たな楽しみを発見したという方が正確です。

バイオリンがある程度弾けるようになったら(目安としてスズキ8巻終了)、
私もビオラを再開したいと思っています。

ユーリ・バシュメット・・・
ビオラを主役楽器に、ソロに出来る、鬼才の演奏家です。

生で聴いた彼のリサイタルで、涙なしには聴けなかった、
シューベルトの「アルペジオーネ・ソナタ」とラヴェルの「泣き王女のためのパヴァーヌ」、
10数年前のその記憶が今よみがえってきます。

ビオラって何て素敵なの、ビロードみたいで、燻し銀みたいで、ぬくもりがあって・・・。
ビオラの美しさを再発見した演奏会でした。

写真はバシュメットのお気に入りの一枚
Bashmet_mycd

  
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2009年06月13日

結婚・職業婦人・人生

職業婦人、こんな言葉を使うだけで、属する年代がわかってしまいますが、
今風に言うならば、さしずめキャリア・ウーマンといったところでしょうか。

会社勤めが長く、今では零細ながらも起業し、またフリーの仕事もしていると言えば、
専業主婦から見ると、「職業婦人=別世界の人」という先入観で見られるようです。

ところが、当の本人はまったく別のことを考えているのです。

こうなるのは自分の希望じゃなかった、
平凡に結婚して専業主婦になるのが夢だった、と。

  

大学で恋愛した彼がドイツに留学してしまって帰る様子がなかったとき、
長すぎた春になるのを恐れて、岐阜の彼の実家まで仮祝言のお願いに行ってくれと
母親に頼んだ自分でした。

彼の両親からは、まだ親のすねをかじっていて今後一人前になるかどうかさえ
わからない息子と今から婚約するわけにもいくまいと断られました。

その後、大学を卒業した私は医学部附属病院に就職しました。
心臓外科の医師たちが集って最新の治療法や現場の問題を討論する部屋の中に、
小さなパーティションを隔てて私のデスクがありました。

この医師たちの中に私の夫となる人はいないのだろうかと考えなかったと言ったら
嘘になります。もちろん、考えました。
でも、まわりから聞こえてきた話によると、医学部を卒業後、地方の病院で経験を積んで、
大学病院に戻ってくるころには、一人残らず妻帯者であるとのことでした。

その後、同じ課の非常勤の掃除のオバサンからイジメを受けて出社拒否になり、
経済的な基盤を失った私は、不安と淋しさからますます結婚願望を強めていきました。

地元の結婚相談所に登録し、母校が主催する集団見合いにも行きました。

ところが、一人っ子の自分に紹介されるのは、よりによって長男ばかり。
長男も嫁の来てがないので、そういう場所で相手を探していたのです。

長男 = 両親の面倒を見る
一人っ子 = 両親の面倒を見る

と言うわけで、長男と一人っ子が結婚したら4人の親を見ることになります。
ですから、一人っ子は敬遠されるのです。

こちらが「長男さんでも結構です」と言っても、向こうが「でも・・・」と来る。

結局、どいつもこいつも優柔不断なやつばかりで、ひとつのお話を除いて
まったく進展がありませんでした。

話が進んだのは、旧帝大工学部大学院卒で地元の有名メーカーに勤めていた
Kさんでした。Kさんには淡い恋心を抱きました。会う度にモダン・ジャズのレコードを
貸してくれて、私を啓蒙しようとしているようでした。

でも、Kさんもだめになりました。
三河の旧家の跡取り息子の嫁になるには、私があまりにも幼くてナイーブだと
いう理由で・・・。

結婚とはそんな夢のような甘いものではない。
本当の苦労を味わっていない貴女は、これから苦労して、
逆境を乗り越えて大人の女性になるべきです。

そんな言葉を残して、Kさんは去っていきました。
私はどんなに傷ついて泣き明かしたことか。

大学病院を辞めた後の私は、月水金は洋裁、火木土は機械編み、その他、
茶道と生け花、料理教室に通い、まさに100% 花嫁修業の生活でした。

こんなことしてたら、一人っ子の自分はいつまで経っても結婚できない、
結婚できなかったら、淋しくて一人では生きていけない、
淋しさから逃れるために尼さんになろうかなどと考えたものでした。

こんなことを安易に考えたりする人間だから、幼いと言われたのでしょう。

  

「逆境を乗り越えて大人になる」
Kさんのこの言葉を胸に、私は結婚できない場合に備えて、別の生き方、新しい価値観を
探し始めました。

自分には何が出来るのか、これまでに勉強したことで何か仕事につなげられることは
あるのか?

そこで、手始めに慶應の通信教育学部に入学して教職の単位を取り、
母校の女子高に教育実習に行きました。

そして、当時開校したばかりの全国規模の中学生英語塾の講師になりました。
同時に、昼間は小さな商社に正社員として就職し、昼は会社勤め、夜は週4日間、
塾講師として子供達を教える生活となりました。

結婚しなくても生きていけるように、一歩一歩、足場を築き始めたのです。

  

そんなとき、ふとした縁から知り合った人と恋愛結婚することになり、
ついに夢にまで見たゴールインの寸前まで行きました。

婚姻届けを出すために区役所の玄関で待ち合わせました。
約束の時間になっても彼は現れません。
当時は土曜日も正午まで役所が開いていて、正午までに手続きを完了すれば、
私は晴れて結婚できるのです。

タクシーに乗って彼のところに行きました。
彼はアパートのデスクの前に座って考え込んでいました。

「なぜ来ないの?」と私。
ちょっと沈黙が続いた後、「迷った。」と彼。

婚姻届を出すその瞬間になって迷うだろうか?

私は、彼を強引に待たせてあったタクシーに乗せて役所にかけつけ、
正午の5分前に婚姻届の受理票を手にしたのでした。

たった判子ひとつ押してあるだけのその紙切れが、何年後かに
私を苦しめることになろうとは、そのときは思いもよりませんでした。

こうして、彼に多少の迷いはあったものの、双方の両親に祝福されて結婚。
名古屋とニュージーランドと茨城県で合計7年間にわたる結婚生活をおくりました。

大学院生で生活力のない夫の代わりに、私が働く毎日でした。
朝起きると彼がミルクティーを運んでくれて、洗濯物干しもアイロンがけも
リネンの整理収納もやってくれました。

  

ままごとのような結婚生活は長く続かず、やがて、博士課程の入試に落ちて
落胆した夫が酒浸りになり、そのうちに重度のアルコール中毒となり、
非常勤講師をしていた大学から契約の更新を断られたばかりか、
家庭内暴力を振るうようにもなりました。

その頃、私の父は少し前に世を去っていました。
夫と名古屋に住んでいたときです。父の最期を看取れたのは幸いでした。

母に相談すると、別れたらどうかと言われ、また友達も同じことを言うので、
ある日、母に手伝ってもらって、夫の留守中に一気に家出を決行しました。

こうして、単身、家出上京して東京で仕事をする生活が始まりました。

結婚して一緒に暮らしたのが7年、別居が7年。
合計14年の歳月の後、ようやく離婚が成立しました。

離婚までの道のりは非常にストレスの多いものでした。
ガイドの仕事で十分に忙しかったお陰で、このストレスから救われたのは
不幸中の幸いでした。

その後、おそらくどちらかの人生が最期を迎えるときまで音信だけは続くであろうと
思われる人と出会い、シングルマザーとしてその人の子供を産み、育て、働く
人生が始まりました。

平凡な専業主婦こそを夢見た若い頃の自分には想像も出来なかった展開でした。

  

こうして、一見、職業婦人(キャリア・ウーマン)のように暮らしていますが、
本当は家にいて、お天気の良い日に布団を干したり、洗濯したり、花を育てたり、
明るい陽が差し込む居間でお茶を飲んだりする、そんなささやかな幸せに憧れるのです。

 働かなくても暮らしていけるなら、仕事は疲れない程度にやって生活を楽しみたい。
そして出来れば、ひろじぃさんみたいに、大学に入って学生生活をやり直してみたいのです。

 『老いの前夜祭』のasakidiamokさんや、『ドッペル練習帳』のdebopさんや、
『アマチュア・ヴァイオリンnote♪』の marikoさんのように、レイトスターターとして、
楽しくヴァイオリンを弾けるレベルになりたいのです。

 また、『鳶と鷹』のゲールハルトさんみたいに、花を育て、趣味を楽しみたいのです。

出張のある仕事を持っていると、そのいずれも難しい・・・。

二度と結婚はしたくないけれど、
いかにして仕事との折り合いをつけ、妥協点を見い出すか、
子離れ後の人生をいかに楽しむかが今いちばんの関心事です。
  
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2009年06月10日

コンサートチケットの値段

ほんの2日前、息子が知り合いから携帯メールを受け取りました。
間近に迫った某オペラ公演のチケットを割引価格で購入できるという案内です。

チケットの料金は、上は3万円台から下は4~5千円。
その他に、おそらくはこの特別の案内のために付け加えられた1,500円!

息子は「1,500円だから行ってみたい」と言いました。

この話を聞いて、私は以前やっていた仕事を思い出しました。
実は現在も細々と同じことに関わっているのですが、本格的にやっていたのは
13年ほどでした。

その仕事とは、音楽家の招聘と興業、
わかりやすく言うと、海外のオペラやオーケストラ、バレエ団、ソリストなどの
演奏団体を呼ぶ、いわゆる「呼び屋」です。

私の仕事は、その呼ぶところまで、つまり、これはと思うアーティストと交渉して
契約を結び、プログラム、スケジュールなどの詳細を打ち合わせ、法務省や外務省に
査証の手続きをしに行くところまでです。

実際に公演を企画し、地方の公共団体やホールにセールスを行い、
ツアーに随行するのは営業の人間で、私はその部分にはいっさい関わりません。

いずれにせよ、その頃、巷でよく、
「日本はコンサートのチケットが高すぎる。本場のウィーンでは安いのに!」
という批判を耳にしました。

これについて、ちょっと物言いをつけるのが、今日の目的です。

ウィーンのオケやロシアのバレエを呼ぶのに
一体どれだけお金がかかっているのか、バレエ公演の例をとってみます。
(人数はおおよそ。金額は省きます)。

バレエ団
ソリスト、ダンサー、振付家、バレエ教師、舞台監督、レッスンピアニスト、
衣裳係、メイク、美容師、照明係などを含め 100名

オーケストラ(オケピ用)
指揮者、演奏家、ステージマネージャー、楽器係、楽譜係、音響などを含め80名

その他に、団の幹部や、医師、マッサージ師、ジャーナリストなども付いてくるので、
来日人数は200名ほどになります。

これだけの人数が、日本全国を回るわけです。

かかる費用としては、
来日メンバーの国際航空運賃(指揮者、ソリスト、幹部は最低でもビジネスクラス)
舞台セットと衣裳の国際輸送(船、または、稀に航空貨物)
楽器の国際輸送(常に航空貨物)
滞在中のホテル代(200人分!)
滞在中の新幹線、飛行機、バスなどの移動費(200人分!)
滞在中の日当(200人分!)
滞在中の舞台セットと楽器と衣裳の輸送(貸切10トントラック、飛行機など)

この他に、
バレエ団とオケと指揮者に支払うギャラ(これも莫大!)
各地のホール使用料(一晩100万なんてのもあります)
ツアーに同行する日本側の制作スタッフ(ステマネ、照明、音響、メイク他)

それだけではありません。
ツアーの計画を始めてから実現するまでの、私たち社員の働きに対する給料も
支払わなければなりません。

このように興業には気の遠くなるようなお金がかかるのです。

それでは、これらの興業が成功しているかというと、ごく一部の、特別なブランド力
を持つ団体を除いて、苦戦を強いられているのが現状です。

変な例えですが、大学で言えば「東大」がブランド力の面で独走しているのと同じで、
二番手、三番手は一気に知名度が落ちるのです。

クラシック音楽業界で、チケット売り出しと同時に電話がつながらなくなり、
ようやくつながったときには「即日完売」などという、招聘元にとっては笑いが止まらない
快挙を経験できるのは、ウィーン・フィルとベルリン・フィル位でしょう。

今から書くことは業界内部の話なので、一般には知られていないことですが、
大雑把に東京23区を除く地方公演は、営業マンが公演を丸ごと売りに行くものです。
一方、東京公演は、大抵の場合、音楽事務所が自らのリスクで行なうもので、
チケットも自分のところで売らなくてはなりません。

どの団体にとっても、世界の"TOKYO"で公演しないなんて想像できないでしょう。
だからやるのです。採算が取れないことがわかっていても、"TOKYO"だけは
外せないのです。

東京公演を財政的により厳しくするものに、プログラムの内容があります。
東京では、月並みなプログラムはやれないのです。
どの指揮者もオケもバレエ団も、革新的な、マニア向けのプログラムをやりたがる、
しかし地方都市にそんなプログラムを提案したら、どこも集客できないから公演を
買ってくれない。従って、東京でやるよりしょうがないのです。

そうしてやってみても、果たして東京の聴衆がチケットを買ってくれるかというと
そうではないので、東京公演は常に大赤字なのです。

音楽事務所がこれ以上倒産しないためには、無理してまで東京公演をやらない!
これに尽きるでしょうか。
しかし、考えてもみれば、あるオケ、あるいはオペラが、東京を除く地方都市で
公演するのに、東京だけがない?となったら、どうなるでしょう。
そんなケースは実際ほとんどありません。

どこも赤字覚悟で無理をしているのです。
チケットが全部売れてホールが満席になったって採算は取れないのです。
ところが、満席どころか、半分、いや三分の一も売れないなんてのはざらです。

興業側は、かなり直前まで待って、もうこれ以上は売れないとわかったときに、
関係者や知人を通じて、ダンピング価格、あるいは非常にしばしば、タダで
チケットをばら撒くのです。

私が経験した例では、マンションの住人全員に来てもらってもいい、来たい人は
何人でも無料でご招待と言われ、私の同僚などは100人も動員しました。

こうして、一見、ホールが客で埋まっているように見えると、
演奏家は帰国するなり、「TOKYO公演は大成功だった」と書きます。
そして、次に来日するときには、「自分達のコンサートは良く売れるのだから
ギャラを値上げして」と主張してきます。

タダのお客で会場を埋めるより、空席だらけの真実を見せるべきとの
主義を貫く興業主もいますが、ステージに立ったときに会場ががら空きだったら、
アーティストは張り合いがなくなり、演奏意欲が遠のくでしょう。
ですから、タダ客でホールをいっぱいにするのです。

完売してさえ採算が取れないのに、タダでばら撒くわけですから、
これはもう手のつけられない赤字を背負うことになります。

その赤字を埋めるため、営業担当者は地方セールスで何とか収入を得ようとします。
地方公演は、大抵、〇〇市文化事業団などと言った名の地方公共団体やローカルの
テレビ局、新聞社、ホールが主催しますから、そこへ売り込みに行くわけです。

バレエ「白鳥の湖」一晩1,500万円といった具合に・・・。

しかし、不況のときには、地方都市も音楽ごときに市民の税金を使えません。
福祉や土木といったことが優先されるので、なかなか買ってもらえません。

また、スポンサー、俗に「冠」をつけるために、スポンサー探しも行なわれますが、
いくらメセナだの何だのと綺麗ごとを言っていても、所詮は企業イメージアップのため
という下心があるので、何らかの強力なスポンサー・メリットがない限り、
スポンサーにはなってくれません。

私が経験した例では、某航空会社のロゴをポスター、チラシに掲載し、
プログラムの表紙に、〇〇エアライン presents などと明記し、
無料招待券を100枚も提供することを条件に、
航空運賃をかなりディスカウントしてもらったことがありました。

ところが、同社の幹部が交替したとたんに経営方針が変わり、

「クラシック音楽には金輪際、力を入れない!メリットがない!」と叫んで、
以後、協力は得られなくなりました。

このように、華やかな公演の裏にはあまり知られていない事情があるのです。

チケットが高いのには理由があるのであって、高くても少しも儲かっておらず、
社員のボーナスなどは論外、給料さえ満足に払えないというのが現状なのです。

ウィーンやベルリンのオケが、自分のホールを使って、自宅から通ってくる団員を
使って演奏するのとは訳が違います!


こんなに割の合わないビジネスなのに、毎週のように演奏団体が押し寄せ、
ブランド力のある団体だと、音楽の値打ちのわからない人も、ただ、見栄、虚栄心
だけでチケットを買います。しかし、知名度は落ちても、芸術的に価値の高い団体は
たくさんあるのです。

そうした優れた団体をリスク覚悟で呼び、日本の聴衆を啓蒙しようと働いている、
それなのに、批判ばかりされるのでは、この業界に今なお細々と関わる私からすると、
どうしても物申さずにはいられないのです。
  
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2009年06月08日

一橋・小平祭 当日

予定通り、6月6日と7日に一橋大学の小平祭が開催されました。

大学の近くに住む、子供のヴァイオリンつながりのお母さんと16年ぶりに会って、
一緒に見物しました。
娘さんは今春、東大の理科に入学したのですが、この地に長く住んでいるので
一橋大学は自分の庭のようで、愛着があり、小平祭にも毎年来ているとのことでした。

6月6日(土) あいにくの小雨 

小雨にけむる大学前の歩道
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西キャンパス
一橋大学のキャンパスは国立駅前から続く大通りをはさんで、西と東に広がります。
元々、千代田区神田の一ツ橋にあったことから一橋という名前になりましたが、
関東大震災で校舎が崩壊したのを機に、この緑深い郊外に移転したそうです。

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 東キャンパス守衛所脇で美声を披露する
アカペラ・サークル"The First Cry"の一グループ
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 街を知り尽くしている友達が薦める
国立のレストラン「農家の台所」でランチ休憩
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契約農家から届いたばかりの新鮮な野菜が並んでいます。
目の前で切ってくれるスティック野菜のサラダ・バーはめずらしいです。
ご飯は発芽玄米にしました。

 モダン・ジャズ
室内が暗いので写真が撮れませんでしたが、上級生のテナーサックスはプロ並。
皆、なかなかなものです。思いっきり楽しませてもらいました。

 模擬裁判
裁判員に選ばれた様々な人々に扮した法学部の学生が参加して行なわれました。

事件の概要:不況のため解雇された青年がスーパーで万引きをし、それを目撃、
指摘した警備員を、持っていたカバンで殴り、胸を押して転倒させ、怪我をさせた。

この事件について、どの罪に該当するか、情状酌量の余地があるか、執行猶予の
対象となり得るかなどの点を、被告、被害者のロールプレイも含めて、
細かく話し合っていきます。よく勉強してきた裁判員、何もわからず他人の意見に
いちいち左右される裁判員など、きっと現実にも出てくることでしょう。

 お茶席
友達の希望で茶道部のお茶席に参加。
西キャンパスの緑に包まれた純日本建築の座敷での本格的なものになりました。
着物を着た女子学生が無駄のない美しい動きでお茶をたててくれました。
お茶碗もお道具も掛け軸も和菓子もすべて一流のものを使っており、
茶道部員の男子学生がお茶碗の作者や掛け軸の意味などを説明してくれました。
濡れ縁の前に広がる庭では、ウグイスが鳴いていました。

 夕食
生活水準の高いここ国立では、住民のニーズに合わせて、同じファミレスでも
ワンランク上。内装、メニュー、すべてが一味違うとのことです。
そんなお店に友達の薦めで入り、子供達の受験、大学生活、介護問題などを
話していたら、時間の経つのも忘れて22時になってしまいました。

彼女が娘さんから知らされたという東大生の実態
東大合格が人生のゴールだったために、入学したとたんに目的を失い、
不登校になってしまった学生が相当数いるとのことです。

大学合格はゴールではなく、人生はこれからもずっと続くこと、
これからの生き方こそが大事だ
ということを話し合いました。
彼女の娘さんは活発で、自己主張もしっかりしていて、勉強も頑張るが、
アルバイトとおしゃれにも余念がないとのことでした。


6月7日(日) 快晴 

この日は朝から晴れ渡り、暑い中、汗をかきながらの見物となりました。

東キャンパス 小平祭ゲート
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 地域のオーケストラ活動で、息子が高3のとき一緒にドイツ演奏旅行に行った
お友達が一橋のオケに入ったので、その子の演奏を聴くために名曲喫茶"ハルモニア"
に直行♪
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音楽の後、また少し外を散歩。
大学前の歩道は緑でおおわれていました。
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西キャンパス 国の有形文化財に指定されている一橋大学の兼松講堂
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この春入学した新入生1001名の写真で作られた大モザイク
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模擬店
新一年生がクラス対抗で模擬店を出しています。
クラス分けは第二外国語により決まり、入学後、各クラスごとに自分達の手で
Tシャツをデザインしました。ムラサキのTシャツを着るのは5組の人たち。
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こちらは、電気通信大学のお店ではありません。
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近年、地域の大学との協力関係はますます重要になってきています。
電気通信大学や津田塾大学をはじめ、東京農工大学、東京外国語大学など、近くには
大学が多いのです。テントひとつにしても、このように協力で成り立ったいるのです。

 ミスター・フレッシュマン・コンテスト
各クラスから推薦された代表が面接を経て5名に絞られ、今年のミスターを競います。
ルックスだけでなく、特技なども含めて審査、投票されます。
少年ジャンプを手で真っ二つにちぎった子もいれば、イタリア語の通訳をした子、
ピアノでドビュッシーを演奏した子などがいました。
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 受験相談
これから一橋大学を目指す高校生が先輩のアドバイスに耳を傾けます。
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一橋受験生のバイブル
『黄本』

そして合格祈願の御札

我が子は思いがけず後期で
受験することになったので、
この『黄本』の存在を
知りませんでした。

前期で一橋を目指すなら
必携らしいです。

小平祭では、これが無料で
配布されていました。






 "くにたち・どうぶつえん"
一橋大学は地域社会に溶け込んでいます。大学キャンパスは市民の憩いの場所。
近隣の住民がキャンパス内を子供連れで散歩する姿は日常茶飯事です。

今日は、小平祭特設の小さな動物コーナーで、近所のちびっこたちが、
うさぎやひよこやニワトリを抱いて可愛がります。
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 "アカペラ・ライブ"
アカペラ・サークル"The First Cry"の中の一グループがステージの最後を飾ります。
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 フィナーレ
体育館に結集して、とうとうフィナーレのときが・・・。
小平祭のテーマは入学以来2ヶ月間の新入生の活躍(新歓期)。
見事栄冠を勝ち取り日本中から集まった新入生1001名。
新歓オリエンテーション合宿を皮切りに、クラス対抗スポーツ大会、カヌー競技、
小平祭でのクラス対抗の歌合戦、模擬店、ミスターコンテストなど、
これまでの2ヶ月間をクラス単位で過ごしてきました。

小平祭を境にして、新歓期とはお別れです。
クラスの仲間たちがそれぞれのサークル活動で忙しくなってくるにつれ、
クラスの結束はだんだんと崩れていくことでしょう。

何もわからない最初の2ヶ月間を結束して過ごすことで、一橋の生活に慣れました。
これからは、各自がそれぞれの方向に向かって進んでいくでしょう。

2ヶ月の生活を振り返る映像が紹介されたので、ちょっと胸が熱くなりました。
良い学校に入れていただいたと、改めて幸せを噛みしめました。
その感動を胸に秘めて、夕方ひとり帰路につきました。

 一方、子供の方は、地域のオーケストラに、世界的なヴァイオリニストの
五嶋みどりさんが来訪されたので、そちらに行きました。
この日の朝、一橋の名曲喫茶で演奏した仲良しのお友達も一緒でした。
Midori_2005July03

五嶋みどりさんとは池袋の芸劇で
ヴィヴァルディの「四季」を一緒に
演奏させていただいて以来、
4年ぶりのことです。

とても気さくな方で、4年前も
子供達と親しく話して下さいました。
(写真は4年前にご一緒したとき)

ミュージックシェアリングという活動を
もう長く展開されており、我が子のオケにも
既に3回も来訪して下さいました。




夜、家に帰ると、子供は疲れてすぐに寝てしまいました。
でも、月曜日から試験が始まります。

お祭の翌日から試験なんて、何て酷な・・・。
  
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2009年06月06日

ウィーン少・独語・TV出演

【追記】後日(2011年クリスマスイブ)、テレビ画像を公開しました。


クルーズなど台数口のお仕事で、大勢のガイドさんとご一緒させていただくと、
大先輩や仲間のお話が聞け、情報を交換し、交流を深められてとても楽しいです。

今回は、あるガイドさんと昔の思い出話に花が咲きました。
彼女と私の間には、1964年に来日したウィーン少年合唱団がきっかけで
ドイツ語を始めたという共通点があるのです。

私が雑誌『合唱界』に投稿した記事に彼女が手紙をくれたことで交流が始まり、
中3か高1から2年ほど文通していました。

その後、十数年もの歳月を音信不通、消息不明のまま過ごし、
26年ほど前のある日、ガイドとして新幹線の中で奇跡的に出会ったのでした。

名前を聞いて、かつてのペンフレンドだということが分かったのですが、
まさか二人とも同じ職業に就いているとは思いもよりませんでした。

先日、長崎から羽田に帰る機内では、ほぼその話題で終始しました。

   追っかけ

東京オリンピックが開催された1964年に来日したウィーン少年合唱団
追っかけていた少女たちの多くが、私たちと同様にドイツ語を学びました。

私は中1から大学生用の参考書で独学。
高校時代は、カトリック教会でシスターが受け持っていた教室に通い、
大学生や社会人に混じって勉強しました。

そんな風にして、ウィーン少年合唱団つながりで文通していたペンフレンドたちは、
大抵ドイツ語を勉強していました。

ガイドや通訳、大学のドイツ語の先生になった人などを何人も知っていますが、
私の高校の同級生などはウィーン少年合唱団のペンフレンドLR君とゴールイン
してウィーン在住の人となりました。

彼女はエキゾチックな美人で、写真を同封してファンレターを送ったのが成功して、
毎日200通にも及ぶ日本からのファンレターの中できらりと輝き、LR君の心を
掴んだのでした。

W_S_Knabe一方、私のお気に入りのWP君(左)に
ファンレターを送る作戦、私の写真では
絶対に振り向いてもらえないと思ったので

他の女子高の綺麗な子の写真を
自分だと偽って送り、


ぬいぐるみや日本人形やLPレコードも送って、
来る日も来る日も返事を待つも、なしのつぶて(泣)

こうなっては、何が何でも大学でドイツ語を勉強して、

他のファンと決定的な差をつけて、
ウィーンまで押しかけないと!

と思って独文を専攻した次第です。

独文に入学すると、1、2年上の先輩たちも、似たり寄ったりの理由でドイツ語に憧れて
独文に入っていたので、その多くはドイツ語圏に留学して、その結果、国際結婚したり、
海外で就職したりしました。

肝心の自分は、後年、念願かなってウィーンに旅行できたものの、
お金がないため留学はできず、まったく別の道を歩むことになりました。

   テレビ出演

あれから何十年も経った1992年8月、
突然、ドイツのテレビ局ZDFから私宛に特別番組への出演依頼が届きました。

1964年に来日したウィーン少年合唱団の憧れのWP君とのエピソードを綴る

「音楽(ご対面)番組」

を制作したいというのです。

なぜ、私の昔話をドイツのテレビ局ZDFが知っているのか?

きっかけは、こうです。
息子が生まれる前にやっていたガイドの仕事でお世話をしたことがある
ドイツ人のご夫婦が、私のウィーン少年合唱団がらみの身の上話を特ダネととらえ、
同番組の出演者候補として内緒で私をテレビ局に推薦していたのです。

こうして、翌1993年の5月、私は会社から2週間の有給休暇をもらって
ドイツへ飛び立ちました。
私ともう一名が招待されたので、その一名は私の息子になりました。

zdf_fra_1993












フランクフルトの空港までテレビ局からお迎えの車が来ました。

背中に小さなヴァイオリンをしょった3才の息子は、生まれて初めて乗った
飛行機の旅に疲れ、抱っこされたまま眠っていました。

Sindelfingenという町まで連れていかれ、番組制作スタッフや、
私と同様に音楽にちなむエピソードで出演依頼を受けた他の人たちとホテルに滞在し、
舞台監督や司会者と打ち合わせしたり、化粧や髪型や衣装のリハーサル、
そして本番さながらのゲネプロを経て、ライブ本番の日がやってきました。

テレビ局が用意したベビーシッターが楽屋で息子と遊んでくれている間に、
番組は進み、とうとう私の出番が来て、ドイツの有名な司会者と手を取り合って
ステージに進みました。

司会者から受けたライブインタビューでは、
ウィーン少年合唱団の1964年来日の思い出話や
ファンレターをいっぱい送ったのになしのつぶてだった話、でもそれがきっかけで
ドイツ語を勉強したことなどを話しました。

その後、はるばるウィーンから呼ばれていた現代のウィーン少年合唱団
「流浪の民」など数曲を披露してくれました。

   ご対面

そしていよいよ、あの瞬間が来ました。
憧れだったあの少年と果たして「ご対面」なるかどうかの。

あらゆるリハーサルはやったものの、この瞬間のリハーサルだけは
ありませんでした。これだけは秘密裏に進められていたからです。

「ご対面」なるか?!

何と、何と、テレビ局は、私ごときのために、オーストリア中を探し回って、
あの少年を見つけていたのです!

こうして、29年の歳月を経て、ついに憧れの少年と対面できました。

その少年は、年を重ねて、昔の面影ばわずか・・・。

これが世の現実です。
人のことは言えません。私も思いっきりオバサンになっていましたから。

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左側: 司会の超有名人 ディーター・トーマス・ヘック氏
右側: オッサンとなったWP君
後ろ: 現代のウィーン少年合唱団

テレビ出演の後は息子とミュンヘンに行きました。
街の真ん中のカフェレストランに行くと、見知らぬ老紳士が近づいてきて、

「もしかしたら、あなたは昨晩テレビに出ていらした方ではないですか?」

「はい、そうです。」

すると、さっそく奥さんの方を向いて、
「おい、お前、やっぱり思ったとおり、テレビの人だったよ!」

次に、国境を越えてオーストリア、ザルツブルグのモーツァルト生家に行くと、
売店の年配の売り子さんが、

「私、あなたにどこかで会ったんですけど、どうしても思い出せないわ。」
と頭をかかえます。

そこで、私が、
「あの、私、昨日テレビに出てたんですけど、もしかしたら?」と言うと、

年配の売り子さんはキャアッっと叫んで、
「まあ、信じられないわ!昨日テレビで見た人が私のお店に来るなんて!」

一夜にして、ドイツ、オーストリア、スイスの三カ国で有名になってしまった
MIKOでした。

今ではもう、このテレビ出演の話も、夢かうつつか幻のようになってしまい、
ビデオで再確認しない限り、本当に自分に起きた出来事とは信じられません。

   ミーハーな親とその子供

年少_vn小さなヴァイオリンを背中にしょった
3才の息子の手を引いての
きわめて珍しいドイツ旅行でした。

旅先のホテルでもヴァイオリンを練習♪

どこへ行くにもヴァイオリンがお供しました。

バイエルン州の昔のペンフレンド
(元、レーゲンスブルグ少年合唱団員)の
家に立ち寄って泊まったときも、
そこの6人の子供達と音楽を楽しみました。

子供に音楽のお稽古事をさせたのも、

音楽業界の仕事に長く関わっているのも、

老化で固くなった指関節と闘いながら
この年でヴァイオリンに挑戦しているのも、

元はと言えば、ウィーン少年合唱団
レーゲンスブルグ少年合唱団
影響も大きかったと思います。

名古屋を基点に、岐阜、浜松まで追っかけをやって、
しょっちゅう父や母から叱られていた自分ですが、
何が幸いするのかは、そのときには分からないものです。

先日行なった工作機械の会社の仕事でも、ドイツの現地法人の方たちは
私のこのエピソードを前からよくご存知なので、立ち寄った鎌倉の駅前で
明日(6月7日)のウィーン少年合唱団・鎌倉公演のポスターを見つけたときは、
思いっきり冷やかされてしまいました。(・◇・)ゞ
  
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2009年06月05日

一橋大学 小平祭

6月6日と7日、一橋大学の春の祭典「Kodaira祭」が開催されます。
「小平」といっても、実際の開催地は国立(くにたち)キャンパスです。

私はこれにまだ一度も行ったことがありません。
あることすら知りませんでした。
五月祭のことも、この春、初めて知りました。

でも、今年から息子がお世話になっているので、行ってきます!

オープニング
これを見なきゃ、Kodaira祭が始まらないとか。
各クラスの模擬店PRや豪華賞品が当るビンゴゲームなど。
幕開けは学内のアカペラ・サークル"The First Cry"の歌声で!

音楽
ここでは、まずいつもコメントをくださるオーディターさんの一押し
アカペラ・サークル The First Cryについて。

このサークルは、大半が一橋生、一部、津田塾生も参加しており、
その中の「どんぐり」というグループは、2008年9月23日、
フジテレビ「アカペラ青春甲子園全国ハモネプリーグ」で優勝したそうです。
「どんぐり」以外にも色々なグループが活躍中とのことです。

息子に「知ってる?」と聞いてみたら、当然!とばかりの返事でした。
とても上手いらしくて、何と、自分もそこに入りたかったそうな!これは初耳。


アカペラ・ライブ
6月7日(日)15-16時 生協前ステージ
アカペラ・ストリートライブ
6月6日、7日の期間中、守衛所前フィールドで常時

名曲喫茶ハルモニア
一橋大学管弦楽団のメンバーが安らぎの音楽を奏でてくれるそうです。
もしかしたら、入り浸ってしまうかも。


ジャズ・ステージ
モダン・ジャズ・サークルによるジャズ・ライブ

新入生企画
モザイク・アート
新入生1005人の写真が織り成すモザイク作品!
息子の写真も入っているはず!老眼でも見つけられるかしら?

ピッカピカの一年生の企画
さあ、クラス対抗?で何かが始まる?
一橋の一年生のクラスは第二外国語別による編成。
よって、同じクラスに4つの学部の学生が入り交じってオモシロイ。


ミスター・フレッシュマン・コンテスト
今年入学した一橋生の中で、見事ミスターに選ばれるイケメンは?
息子は絶対に選ばれない・・・。

ちなみに、一橋のキャンパスには可愛い女の子があふれています。
一橋の才女だけでなく、昔より仲睦まじいことで有名な、津田塾の才女も
たくさん、たくさ~んサークルに参加しています☆!
  
講演会
黒木知宏講演会「今頑張れ 今頑張らず いつ頑張る」
あのロッテの"ジョニー"がにやってくる!

小栗左多里講演会 ~「小栗左多里」ができるまで~
漫画「ダーリンは外国人」の作者が登場!

模擬裁判
2009年5月21日、裁判員制度の導入。
裁判員になったら何をすればよいのか?

シンポジウム
「少年犯罪~メディアとの関わり」
「日本と安全保障理事会」

一橋講義
「世界金融危機と国際通貨問題」
「司法はどこに向かうのか?・・・」

受験生応援企画
受験生相談室
一橋大入試のバイブル「黄本」がもらえるらしい。
我が子は「黄本」のお世話にならずに、後期で入ってしまった~~。
そこで、一橋への本来の正攻法を描いた「黄本」、私も見てみたい。


合格への軌跡~ live version~
この春に合格した新入生の生の声が聞ける!

キャンパスツアー
国の文化財である兼松講堂など、一橋大学を案内してもらえるそうです。

ちびっこ企画
「アトラクション&バルーンアート」
「ちびっこ実験室」

くにたちどうぶつえん
ひよこ、うさぎ、チャボ、あひる、モグラなどカワイイ動物がいっぱい!らしい。

  


先週末は五月祭、明日からはKodaira祭と、子も母も忙しいです。
よって、この母は口先ばっかりで、東進の勉強さぼりっぱなし。
お祭騒ぎが終わったら、よ~し、勉強再開するぞ~~!

ひとつだけ残念なのは、国立には私のお友達が一人しかいないので、
盛り上がりに欠けるかも?という点です。
子供のヴァイオリンつながりのお母さんなんだけどな。

子供の高校から一橋に行った子たちのお母さんたちは知らないし・・・。
でも、もしかしたら、「あら、まあ!こんなところで!」っていう出会いが
あるかなあ。

週末、お天気になるといいなあ。
なってくれ~~!

  
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2009年06月04日

慶應経済学部(A方式)

慶應の経済学部をA方式で受験計画中のうたさんからコメントをいただきました。
コメント返信で書くには長過ぎるので、この場を借りてお返事させていただきます。

ただし、受験したのは息子であって、私自身ではないので、
あまり参考にならないかもしれません。その点は、ご容赦ください。

A方式について

A方式は数学受験ですので、B方式(社会選択)よりも定員が多くて入りやすいと
一般に言われています。

ただし、そこにはちょっとした罠が隠れているので、ご注意ください。

A方式を選ぶのは、ほとんどが国立狙いの人です。

より具体的に言うなら、東大、一橋、名大、阪大、京大を始めとする国立難関校の
経済系を目指す人が併願先として利用する方式です。
理系からの併願も相当数あると言われています。

よって、数学は元からやっているし、残るは英語と小論文だけなので、
国立志願者にとっては、何ら特別な準備が要らないのです。

したがって、私立専願でA方式を選ぶ場合は、国立組と競争することになるので、
よほど覚悟してかからないと泣く羽目になってしまいます。

酷なようですが、現実をお伝えすべきだと思いました。


具体的な対策

合格するためにはまず、採点方法が二段階になっている点に注意します。

 足切り問題(数学、英語)

数学も英語も足切り対象となる問題に時間を注ぐこと。
これは本番では当然のことですが、準備段階においても言えると思います。

足切り対象の問題は、マーク式だったり、基本的な問題だったりしますから、
ここでは、誰もが取る問題を絶対に落としてはいけません。

ここで足切りに合うと、以後の問題は一切採点してもらえませんし、
どんなに立派な小論文を書いても、読んでもらえません。

これら足切り部分を突破するには、数学ならチャート式(色は黄でも青でも)などを、
漆塗り方式で何度も解いて解法を身につけること、英語は、長文を早く正確に読んで
処理する訓練を積むことだと思います。

数学の場合にも、正確さと解くスピードが要求されます。
そうでないと、足切り対象以外の、思考力を要する、一部、論述の問題にかける
時間が減ってしまいます。
当然ながら、計算ミスは致命的となります。

英語は、最低限の単語やイディオムを身につけることは大事ですが、
知らない単語が出てきても、前後関係、全体の流れの中で類推できる力を身につける
方が大事です。そのためには、多読、速読で勘を養うしかないでしょうか。

足切り部分を突破する力がついたかどうかは、過去問を数年分解いてみれば
大体わかると思います。

それからです、後半の対策をするのは!

 後半の問題(数学)

私自身、数学が得意でないので、気の利いたアドバイスはできませんが、
息子は、東大対策用にプラチカなどをやっており、それがそのまま慶應経済にも
役立ったようです。

慶應経済対策だけに絞る場合に、果たしてこれがベストな本なのかどうかは
正直なところわかりかねます。
参考までに、高校時代はチャート式(青)をやっていたようです。

後は、とにかく早く過去問を解いてみて、傾向を知り、時間配分の感触を掴んだ上で、
自分に不足するものを補う問題集を探しに行くより他ありません。

いずれにしても、経済学部にA方式で入ることには大きな意味があります。

実際、息子は、経済学部(一橋)で、統計学、微分積分、線形代数などを
勉強しています。

数学が出来ないと入学後に苦労することになります。

ですから、なぜB方式が存在するのか、今もってよく理解できません。
せっかく経済学部を目指すなら、是非、A方式で最後まで貫いてください。

 後半の問題(英語)

後半の英語では、相当長い文章が出ます。
私自身が解いてみて面倒だと思ったのは、複数のスピーカーA,B,C,Dなどの
ディスカッションにおける、各人の意見の要旨を素早く見抜く問題です。

あれは本当にいやな問題ですね。頭が混乱してきます。
頭の中を整理整頓する能力も問われているのでしょうか。

後半では、足切り部分以上に、超・長文の読解力、情報処理能力が試されます。

英作文に関して言えば、2007年度までいやらしい問題が出題されていました。

2007年度の過去問は私も実際に挑戦してみたのですが、英作文を最後に残したため、
残り時間がわずか18分ほどとなってしまい、問題の条件を整理し、予算案を練って
書き出している間にどんどん時間が経ってしまい、いざそれを英語にしようとしたら、
残り時間が8分もなかったように記憶しています。

2008年は、問題文の傾向ががらりと変わり、問われる内容自体は一般的で
簡単になったと思います。
それでも、息子は、英語以前の問題として、アイデア、想像力に乏しく、
指定のワード数をクリアできなかったと言います。

そのため、英作文が零点にされるのではないかと(私は)随分心配しました。
(息子はそんなことは絶対にないと言い張っていましたが)

結果的に合格できたところを見ると、ワード数が少しぐらい足りなくても
内容と文法が良ければ大丈夫だったようです。

2009年の英作文も素直な内容でした。かつての意地悪問題は影を潜めたようです。

経済、社会に関するあらゆるシチュエーションを自分でシミュレートして、
100ワード程度の英作文を書く練習を重ねることです。

今後は、円高、不況、高齢化社会、年金問題のようなテーマが、
経済面から見た切り口で問われることが考えられます。

あと、英作文では文法が大切です。ネイティブのような自然さは求められません。
もちろん自然に越したことはありませんが、そんなことを気にする時間があるなら、
まずは文法をがっちり固める方が得策です。

内容的に筋道が通っていて、文法のミスさえなければ、日本人的な文章であっても、
そのために減点されることはなく、高得点が得られると私は確信しています。

 小論文

うちでは、小論文は一切対策しませんでしたが、数学と英語の配点が高いので、
数学、英語で失敗しない限り、小論文で落ちることはないと言われています。

もっとも、どのような基準で採点されているかは、実際には誰にもわかりません。
ですから、数学と英語が心配なら、小論文で高得点を取るに越したことはありません。
ただし、その場合でも、数学、英語の足切りを突破していることが大前提です。
あくまでも、本末転倒にならないように。

それから、小論文についても、国立組はセンターで公民を取っているので、
その知識が役立つことも否定できません。

 最後に

繰り返しますが、数学、英語の足切り部分をセンター試験に例えるならば、
後半の記述問題や小論文は国立二次のようなものなので、論述対策をしている
国立志願者にとっては、特に準備しなくても有利になっているのです。

したがって、まずは、数学、英語に的を絞って力をつけなくてはなりません。
国立組と違って科目数が少ないので、強い意志を持てば不可能ではありません。

頑張って、栄冠を手にされるよう、応援しています☆
  
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2009年06月02日

大学生の生活費、反響

先日、「大学生の生活費とアルバイト」について書いたところ、
意外に反響があったのにはびっくりしました。

こんな一学生の生活費のやりくりなど、他の誰に興味があるかと思ったんですが、
ふたを開けてみると、どこのご家庭もいろいろ悩み、工夫されているんですね。

コメントのポイントだけ紹介させていただくと、

 お昼代だけ渡して、足りない部分は奨学金とアルバイトでまかなわせる

 お金を渡すときには、必ず借用書を書かせている

 貸したお金はすべて記帳して、就職したら返してもらう

 「遊」の部分は自分で稼がせたいのが本音だが、忙しいとそれも難しい

 浪人中の塾の費用を社会人になってから返済することを条件に親が立て替えた

 やることが多くて忙しくてアルバイトする時間がなければ、経済的に許す限り
勉強に専念する方が良い

 女の子は自炊したりお弁当を作ったりして、節約に励む子がいる

 教える仕事は自分の知識を再構築することになるので、是非やった方がいい

 塾講師のアルバイトは週一回程度では、職場の雰囲気への順応や
仕事の手順の習熟が遅れるので、長続きはしない

 大学生は国立私立を問わず国の助成金を受けて勉強しているのだから、
将来、社会に還元する自覚を持って過ごすべき

 アルバイトも大事だが、4年間はあっという間に過ぎてしまうので、
充実した大学生活を送ることも大事

 交通費がばかにならない点について、ある都市ではバスカードが
学生なら7,000円で買えるが、片道13キロを自転車通学したこともある

 交際費(飲み会など)節約には、なるべくお腹いっぱい食べてから居酒屋に行く


上記とは別に、ここ数日、お弁当を持たせるというアイデアも浮上してきました。
anonさん 『子育てを振り返る』 が、次男さん(高校生)やご主人に持たせる
お弁当を紹介してくださり、それに感銘を受けたのがきっかけです。

大学生にもなると、お弁当をかえって荷物に思うかもしれない、
下宿生が多いので、お弁当持参だと周りから1人浮いてしまうかもしれない、

などの話をanonさんとしたところです。
anonさんのところの次男さんは勉強と部活で忙しいのに、ちゃんとお弁当箱を洗う
感心なお坊ちゃんです (たまに爆睡して洗い忘れても、翌朝のお弁当をお母さんに
カワイクおねだりする良い子です)。

我が子なら、残飯が入ったままのお弁当箱をカバンから出し忘れて、
翌日、「うーん」と鼻をつまむ思いをさせられることでしょう。
中学校のときがそうでした。
高校時代は学食で食べるようになってくれて、お互いに喜びました。

今になって、息子も、
「ときどき何か食べ物作ってもらおうかな。」とつぶやくことがあります。
そこで、料理が大の苦手の私、anonさんのように立派なお弁当は作れなくても、
何かちょっとしたヒントでお金を節約できないかなあと考えているところです。

皆さんのご家庭の例を参考にして、いろいろ考えた結果、
当面、次のようにやりくりすることにしました。

 食費
一日1,000円だけ渡す(月、3万円)
親が泊まりのときは、夕食・朝食補助として、追加で一日1,000円を渡す

 交通費
大学、お稽古など、親が認めているもののみ、親が払う

 サークル代
可能な限りは奨学金とアルバイトでまかなって欲しいのが本音
難しいければ、親が認めたサークルでもあるので、ある程度はサポートする

 アルバイト = 塾講師
塾講師に限定して、しばらく可能性を追求してみる

現時点では採用の筆記試験には合格済み
今度、模擬授業を行い合格不合格が決まるので、結果待ち

今は週1日でも、秋学期から大学の授業時間割が変われば、
将来的には週2日に増やすことも不可能ではない

週2日やれば、奨学金(自宅生は45,000円)と合計した場合
いくらかの余りが出て、旅行費用くらいは捻出できるかもしれない

と、まあこんな前提で始めてみようかと思います。

親の方は、昨秋以来の極端な円高のため、ビジネスが低迷。
フリーの仕事の方も円高でキャンセル続き(新型インフルエンザの影響もあり)。

学業とヴァイオリンを生活の中心に据えて欲しいのは山々なのですが、
本人も自立を強く意識し始めている矢先だし、経済的にこちらも助かるので、
何とかうまく折り合いを見つけることができればと思っています。
  
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2009年06月01日

五月祭にて

あいにくの悪天候でしたが、5月30日、31日の二日間は、
東大の五月祭で過ごしました。

サークルに入っている我が子が参加するので、
それを見るのが目的だったのですが、思いがけない急展開があって、
ブログのお友達にお会いするという夢のようなことに発展しました。

1日目

飛行機でかけつけたクイーンさん(ご長男が東大生)、
コアラのママさん(お坊ちゃんが来春東大受験予定)、
みおさん(お嬢さんが東大生、清楚で可愛い!)

と赤門前で待ち合わせると、
里ちゃん(4人!のお子さんのお母様)もいらして、紹介していただきました。

クイーンさん(女王様)、お名前の通りに堂々として心の広い方。
みんなを包み囲んでくださるようでした。

コアラの母さん、お若いことはお若くイメージ通りでしたが、
キャピキャピ・ママというよりは、落ち着いた雰囲気のお母様でした。

みおさん、ブログをお持ちでないのですが、
いつものコメントから感じる雰囲気の通り、とっても優しい方でした。

まずは、皆さんがチャンコさんの模擬店(燻製のおつまみ系)に行くというので
のこのこと付いていった私、さっそくビールとソーセージを賞味しました。
チャンコさん、明るくて親しみやすい青年でした☆

その後、37歳で今年文三に入学されたひろじいさんにも会えるというので、
胡麻団子の模擬店に行きました(胡麻団子美味しかったですよ~!)。

ひろじいさん、とっても若くて、清純そうで、静かな優しい雰囲気の方でした。
折り紙サークルにも案内していただきましたが、ひろじいさんの作品は
清楚で可憐な雰囲気で、優しい性格がにじみ出ているようでした。

それから、クイーンさん、コアラのママさん、里ちゃんと4人で、
喫茶店でぺちゃくちゃとおしゃべりしてからお別れしました。
クイーンさんが早々に帰郷されるので、時間制限付きだったのです(残念!)。
次回お会いするときは、「お泊り付」「お酒付」になるかな?
幹事さん、よろしく!

その後、みおさんと二人で
オーケストラと室内楽を心ゆくまで堪能しました

2日目

朝、親切にもクイーンさんが、ゲールハルトさんと会えるように
手はずを整えてくださったので、安田講堂前でゲールハルトさんとご対面~!
ゲールハルトさんは息子さんが東大生、娘さんも東大のサークルでご活躍中です。
とっても素敵な明るいお父様でした!

その後、みおさんのお隣りの席で、学生たちの発表を楽しみました。

我が子、親馬鹿ですが、なかなか頑張っていました
私が元から大ファンのZ様も、ますますイケメンでかっこよかったぁ!

高校の先輩や後輩のお母様やお父様方、地域の音楽仲間のお母様にも
お会いできました。

一方、音楽部の方には、ゲールハルトさんとみおさんのお子さんの他、
1日目の室内楽を聴いてファンになった素敵な皆さんが乗っていました。

バースタインの『ウェストサイト・ストーリー』が終わると、後方客席から
ゲールハルトさんの例の「ブラボー~~!!」が聞こえました。
1月の「ブラボー~~!!」以来、楽しみに待っていたこの瞬間でした。

学生たちの頑張りを見た後、
ゲールハルトさん、みおさん、MIKOの3人で打上げをやりました。
焼き鳥に、たこぶつ、タコの唐揚げ、サラダ、ソーセージ、etc.
そして、もちろん、こうゆうときには欠かせない も!!

ブログを通じてご縁のあった皆さんと、このような形でお会いできたのが
未だに信じられません。あれは夢かうつつかと、雲の上を彷徨っているような、
そんなふわふわした気分の抜けない月曜日です。

五月祭で活躍された学生の皆さん、お疲れ様でした!
  
Posted by MIKO Comments(14)